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【あなたの2000年代を聞かせて】第4回ゲスト:九龍ジョー(その①)

サムオブメンバーが様々なゲストを招いて2000年代についてトークする連載。第4回のゲストは編集者の九龍ジョーさん。(その①)では、カンノメンバーによる九龍さんが編集で携わった本の出会いの話から、九龍さんの定職に就くまでの2000年代前半のお話を伺いました。この回はポッドキャストでも聞くことができます。ポッドキャストは下記リンクから。


カンノ:そもそも僕が九龍さんをなにで知ったかを考えたとき、僕はいまだにただのフリーターとしてフラフラと生きているんですが、フリーターでいることの理由の一つに、オードリーの若林正恭『社会人大学人見知り学部 卒業見込』という本の文庫版に収録されている、読者からもらった単行本の感想のエピソードがあって。

カンノ:そのなかに「二十六歳のフリーターだけどこれからがんばります」という感想があったと。著者としてはそういった子に受け入れられてよかったという話なんだけど、僕がそれを読んだのが26歳くらいなんです。僕もそのフリーターの子と同い年くらいで、勤めてた仕事も辞めた直後のとき。僕も同じように「がんばろう」と思ったんですが、もう少し掘り下げて、そもそもなんでフリーターで生きること、正社員でなく生きるということについて考えたときに、大学生のころに坂口恭平『ゼロから始める都市型狩猟採集生活』を、なんのきっかけかはもう忘れてしまったんですが、学校の図書館で借りて読んで、「発電機があれば生きていけるんだ」って変に刺さってしまった記憶があって(笑)。で、その本の編集が九龍さんなんですよね。

九龍:あの本は2010年刊行。ゼロ年代にやってきたことの一つの帰結みたいな本でした。

カンノ:そのころから九龍さんが携わった作品の影響を受けていて、今こんなふうに生きているんだなと思ったんです。

九龍:26歳で仕事を辞めたとか、フリーターっていう話がありましたけど、同じような景色が、自分にとって2000年代の原点だった気がする。僕の『メモリースティック』っていう本も、それが通底音になっています。

九龍:そういう「何もない」「やる気も出ない」自分が社会と関わっていくときに、そこにポップカルチャーがあった、みたいな。なので、カンノ君の話はその問題意識のど真ん中な感じがします。

カンノ:九龍さんのフリーター期は2000年代ですか?

九龍:大学卒業が1999年で、まさに就職氷河期の一番底。なんとか最初、テレビの番組制作会社に潜り込むんだんだけど、1年も持たなかった。

カンノ:そこから職を転々とされるんですね。

九龍:定職という意味で出版業界に落ち着くのが、太田出版に入った2005年頃で、もう20代も終わろうかって時なんですね。それまではニートとフリーターを行き来するような感じで、ずっとフラフラしていた。

カンノ:いろんな媒体で話されているかと思いますが、築地で働かれたり。

九龍:そうそう。築地市場の仲卸で働いたり、ソフト・オン・デマンド、コアマガジンっていうエロ&バイオレンスあり、あと広告代理店の営業みたいなこともやりました。ちょうど、昨日、大橋裕之先生のイベントに又吉直樹くんと一緒にゲスト出演して、そこに大橋先生の漫画を出しているカンゼンという版元の新入社員が来てて挨拶されたんですけど、そのカンゼンの前身がレッカ社という編プロで、そこの広告事業の部門で働いていたんです。

九龍:2000年代の頭ってまさにインターネットが普及してIT関連のビジネス雑誌も活況だった時代で、日経とかアスキーとかIDGとか、とにかく雑誌がいっぱいあった。いろんな業務ソフトウェアとか基幹系システムとか、とにかく広告がバンバン入って羽振りがよかったんです。僕なんて、単語の意味もよくわからないまま「Linuxのカーネル2.4がどうした」とか「ノンストップクラスターだから安心です」とか、そんな記事広告を作ってたんです。なぜかコンペとかも勝ってしまって、東京ビッグサイトの業界イベントの展示ブースの設計図まで書いてた。

オノウエ:そうなんですね(笑)。

九龍:そのレッカ社が今、カンゼンになって、そこで僕が大橋裕之先生の漫画『音楽』の担当編集もしたりしているという。

カンノ:そこがつながるんですね。

九龍:とは言っても、レッカ社の広告事業も1年ちょいぐらいしかやってなくて。

カンノ:ニート期と仕事期を繰り返して(笑)。

九龍:そうそう、ニート期はちゃんと失業保険をもらうんだけど、それが切れると「そろそろハローワーク行くか」って感じ。……そうだ、レッカ社で重要なのが、この時期に初めて雑誌のライター編集みたいなことをちょこっとしたんです。

カンノ:おぉ!今の九龍さんのお仕事の原型みたいなものがここであるんですね。

九龍:ホント成り行きな感じなんだけどね。今でもあるかもだけど、当時SONYのVAIOっていうPCが、Adobe Premiereがプレインストールされていて、動画編集に特化したマシンっていう触れ込みで売ってたんです。当時は僕は、自分で映画とかも作っていて、まさにVAIOで動画編集もやってて。ソニーマガジンの『VAIO Style』って雑誌で「お父さんが子どもの運動会ビデオを作る」みたいな3ページの広告連動記事があって、「VAIO使えるんだから、お前がやれ」って言われて、レイアウトとライターもぜんぶ自分でやったら、それが褒められたりして。この時、書いた原稿を発展させて、SCCという版元から本も出したんだよね。会社名義になってるけど、ぜんぶ僕が書いてて、なんなら表紙でDVカメラを構えているのも僕で(笑)。ただ技術的なことを書いてるだけなんだけど。まあ、いま思うと悪くない環境にも思えるんだけど、上司のパワハラもすごくてね。

カンノ:で、また辞めて。

九龍:そうだね。家でダラダラして、漫画喫茶で漫画ばっかり読んでた。わりと巻数の多い漫画を読み直してた時期で、ある時、オープンスペースでテーブルに『キン肉マン』を積んで集中的に読んでたんです。それでフッと気づいたら、自分では意識してなかったんだけど、その日、バッファローマンのTシャツを着てたんですよ。キン肉マンTシャツ着ながらキン肉マンのコミックをテーブルに積み上げてて、これ客観的に見たらけっこうヤバイやつだなって(笑)。

カンノ・オノウエ・YOU:アハハハハッ!

九龍:それで急に「このままじゃいけない!」と思ったんだよね。

YOU:すごいきっかけですね(笑)。

九龍:もちろんそれだけじゃないんだけど、それでまた一念発起してハローワークへ行ったんです。そしたら、新中野で映像編集の仕事があると。いまでもそうかわからないけど、当時の求人票って会社名が書いてないのね。で、面接行ったら、そこがソフト・オン・デマンドだったんです。

カンノ:はいはい、青梅街道沿いにありますね。

九龍:そう。ビル一棟にスタジオから何から全部入ってて。僕が紹介されたのは正式にはアートワークスっていう子会社だったんだけど、そこでAVにモザイクをかける仕事に就いて。12時間二交代制で大変といえば大変だけど、単純労働でかつデスクワークだから音楽が聴き放題なのがよかった。この時期、人生でいちばん網羅的に音楽を聴いたかもしれない。毎週お茶の水のジャニスで何十枚とか借りてた。バンドマンも多くて、ちょっと真偽不明だけど、元人生(ZIN-SÄY!)のメンバーだったっていう人もいたんですよね。

カンノ・オノウエ・YOU:えぇ~!

九龍:あと、デリヘルの運転手とか、毎晩12時間も一緒にいるから、音楽も聴きまくるけど、バカ話もいっぱいして楽しかった。当時は、自分でもホームページとかブログに日記を書いてて、それがきっかけで音楽ブロガーの友達もできて、DJイベントをやってたりもしたな。

オノウエ:それははてなブログですか?

九龍:同世代だとはてなも多かったけど、僕はココログだったけど。

オノウエ:ココログ…!

九龍:JUGEM使ってるやつもいたり。はてな界隈とはちょっと距離があったんだよね。でも、そのころに遊んでた人でも、速水健朗さんとか、映画監督の古澤健さんとか、真魚八重子さんとか、そのあたりのはてな人脈とつながってる人もいて、バックボーンは共有している感じがする。今でも速水さんとかと、その頃の話になると、はてなであんな人いたねえ、みたいな話になることがあるよ。

オノウエ:おぉ~!

九龍:といっても僕はなんていうか何者でもない感じで、なのに、あの2000年代中盤のカルチャー環境の豊かさったらなかった。

カンノ:僕らは2003-5年は完全に中学生なので、そもそも入り込む余地もなかったね。

九龍:もちろん、どの世代にも面白い時期とか、トピカルなことはいっぱいあるっていうのは前提で、僕の場合、学生時代がコミュ障であまり友達がいなかったから、2000年代の20代の頃がまさに青春時代って感じだったかもしれない。趣味のことで夜通し語り合うとか、映画のイベントに行くとか、勢いでバンドを組むとか、なんか一通りあったね。

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