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南方熊楠記念館に行ってきた|粘菌、民俗学、白浜で出会った知の変人

南方熊楠記念館へ行ってきた

南方熊楠記念館に行ってきた。

ここは、以前からずっと気になっていた場所だった。

※館内は一部撮影不可の展示があります。撮影可能な場所で、展示の雰囲気が伝わる範囲で撮影しました。

大阪市内から白浜までは、距離だけで言えばそこまで遠くない。けれど、白浜というとどうしても「海水浴」「観光地」「人が多い」というイメージがあって、これまで家族で行くこともほとんどなかった。

今回、家族で和歌山に行くことになり、家族は京都大学白浜水族館へ。私はひとりで南方熊楠記念館へ向かった。

南方熊楠を知ったきっかけは荒俣宏さんだった

南方熊楠を知ったのは、たしか20代の頃だったと思う。

最初のきっかけは荒俣宏さんの本だった。荒俣宏さんの本を読んでいると、博物学、妖怪、怪物、植物、民俗、歴史、異界のようなものが、ごちゃっと混ざりながら出てくる。その中で、南方熊楠という人物の名前を知った。

その時にまず興味を持ったのが「粘菌類」だった。

粘菌というものが、そもそも不思議だった。動物でも植物でも菌類でもあるようで、どれでもないような存在。増えたり、移動したり、合体したり、環境に応じて姿を変える。神出鬼没で、分類の枠からはみ出している。

どこにもきれいに収まらないもの。
境界を越えていくもの。
一つの分類では説明できないもの。
見えないところで広がり、ある時ふっと姿を現すもの。

「神出鬼没」というのがいい。

妖怪や幽霊もそうだけど、そういうものに、昔から惹かれるところがある。

松岡正剛『千夜千冊』で、熊楠への興味が戻ってきた

その後、松岡正剛さんの『千夜千冊』で南方熊楠のことを読み、また興味が戻ってきた。

熊楠は、単なる「粘菌の人」ではなかった。柳田国男と手紙を交わし、民俗学にも深く関わっていた。神社合祀反対運動にも関わり、自然、信仰、民俗、地域の記憶を守ろうとした人でもあった。

博物学者であり、民俗学者であり、思想家であり、在野の研究者であり、奇人でもある。

こういう人は、なかなか一言では説明できない。

だからこそ面白い。

一つの肩書きに収まらない。大学教授でもない。制度の中にきれいに入った人でもない。けれど、圧倒的な知識量と観察力で、自分の世界をつくってしまった人。

私が惹かれるのは、たぶんそのあたりなのだと思う。

南方熊楠の知性と、鍼灸師として身体を診ること

私は鍼灸師という仕事をしているが、身体を診ることも、実は一つの分類だけでは終わらない。

患者さんの身体には、生活、記憶、痛み、緊張、気候、薬、病院での検査結果、家族関係、仕事のストレス、過去のケガ、性格の癖のようなものまで、いろいろなものが絡んでいる。

ひとつの原因で説明できるほど、人間の身体は単純ではない。

そういう意味では、熊楠の世界の見方には、どこか鍼灸の臨床にも通じるものを感じる。

分類するけれど、分類しきれないものを見る。
名前をつけるけれど、名前からこぼれるものを見る。
細部を観察しながら、全体のつながりを考える。

熊楠マンダラにも、そういう理由で惹かれた。

熊楠の「知」は、図鑑の中に収まる知識ではなく、森や海や民俗や言葉や身体の中に散らばっているものを、拾い集めていくような知だったのではないかと思う。

南方熊楠記念館への行き方と駐車場

記念館へは、入口の右側にある駐車場を使うのがおすすめだと思う。

そこから記念館までは少し坂道を歩く。


道は狭く、急な坂もあるので、車で上がるよりは、少し歩いた方がよさそうだった。観光施設に行くというより、少し山の中に入っていく感じがある。

11時過ぎに入館したが、人は少なめだった。

私以外には、4人連れの方と、2人のカップルがいるくらいだった。静かに展示を見るには、ちょうどよかった。

南方熊楠を知らない人は、意外と多いのかもしれない

あらためて思ったのは、南方熊楠を知らない人は、案外多いのではないかということだった。

※館内は一部撮影不可の展示があります。撮影可能な場所で、展示の雰囲気が伝わる範囲で撮影しました。

私の家族も、熊楠のことはほとんど知らない。友人で知っている人も、考古学を早稲田で学んでいた友人くらいだった。あとは、イシス編集学校で同じ教室だった方くらいかもしれない。

私の時代の教科書にも、たぶん南方熊楠は出てこなかったと思う。

テレビでも、そこまで大きく紹介されていた記憶はない。紹介されるとしても、どうしても「奇人」「変人」「逸話の多い人」として語られがちだったように思う。

もちろん、熊楠にはそういう面もある。

けれど、奇行の話だけで終わらせるには、あまりにも惜しい人だ。

科学、民俗学、博物学はマイナーなのか

世の中では、野球やサッカーのワールドカップには多くの人が熱狂する。もちろん、それはそれで楽しい。私も否定するつもりはまったくない。

ただ、科学、民俗学、博物学、思想、宗教、自然観のようなものになると、一気に関心を持つ人が少なくなる。

※館内は一部撮影不可の展示があります。撮影可能な場所で、展示の雰囲気が伝わる範囲で撮影しました。

人間とは何か。
自然とは何か。
分類できないものをどう見るのか。
地域の信仰や風習は、なぜ残ってきたのか。
身体や生命は、どのように環境とつながっているのか。

こういう問いは、本当はとても面白い。

でも、たしかにマイナーなのだろう。

けれど、私はそういう人にこそ惹かれる。

松岡正剛さんもそうだし、荒俣宏さんもそうだし、民藝に関わった柳宗悦や河井寛次郎、濱田庄司にも、どこか同じ匂いを感じる。

制度の中心ではなく、少し外れたところから世界を見ている人たち。

単なる知識ではなく、ものの見方そのものを変えてしまう人たち。

展示はかなり見応えがあった

熊楠記念館の展示は、思っていた以上に見応えがあった。

粘菌の標本、熊楠の研究、手紙、資料、生活の跡。ひとつひとつを見ていると、ただの天才というより、異常なまでに観察し、書き残し、集め続けた人だったのだとわかる。

知識が多いというより、世界への執着がすごい。

知りたい。
見たい。
確かめたい。
記録したい。
つなげたい。

そういう欲望が、展示の奥からにじんでくる。

屋上の景色もいい。でも、それだけではない

記念館の屋上は、たしかに見晴らしがいい。

天気が悪かったのが残念・・・

白浜の海が広がり、風が通る。展望台としても気持ちのいい場所だった。なかには「記念館より屋上の景色の方がよかった」という人もいるようだ。

それはそれで、わからなくもない。

けれど、それはたぶん、熊楠にそこまで興味がない人の感想なのだと思う。

私にとっては、屋上の景色もよかったが、その前に見た展示の方がずっと強く残った。

南方熊楠は、今の時代にこそ必要な人かもしれない

南方熊楠という人は、単に「昔のすごい学者」ではない。

むしろ、今の時代にこそ必要な人なのではないかと思う。

専門性は大事だ。
けれど、専門だけでは見えないものがある。

科学は大事だ。
けれど、科学だけでは拾いきれないものがある。

民俗や信仰は、古くさい迷信として片づけられがちだ。
けれど、その中には、人が自然や死や病や共同体とどう向き合ってきたかの記憶が残っている。

身体を診る仕事をしていると、こういうことをよく感じる。

検査では異常がない。
でも、本人はつらい。

数値は落ち着いている。
でも、身体は重い。

薬は効いている。
でも、生活はまだしんどい。

そういう場面に、何度も出会う。

その時に必要なのは、ひとつの正解だけではない。

観察すること。
関係を見ること。
背景を見ること。
言葉にならないものを、すぐに切り捨てないこと。

熊楠の知のあり方は、そういう姿勢を思い出させてくれる。

白浜に行って、海だけ見て帰るのはもったいない

南方熊楠記念館は、誰にでもわかりやすく楽しい観光施設というより、少し人を選ぶ場所かもしれない。

でも、粘菌、民俗学、博物学、自然、思想、在野の知、そういうものに少しでも引っかかる人なら、かなり面白いと思う。

白浜に行って、海だけ見て帰るのはもったいない。

私にとっては、かなりよい時間だった。

南方熊楠。

やはり、面白い人だった。

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