Mission: Impossible
企業Missionのリアリティ
Missionとは、社会に対する企業の使命や存在意義を示すものだ。
優れたMissionは、顧客のニーズに応え、社会の問題解決につながるものであり、自社ならではの強みが表現されているべきだ。そして、シンプルな言葉で、従業員が直感的に理解できて、日々の業務に落とし込めるものでなければならない。
例えば、メルカリは「新たな価値を生みだす世界的なマーケットプレイスを創る」、楽天グループは「イノベーションを通じて、人々と社会をエンパワーメントする」をMissionに掲げている。
ボクは、仕事柄スタートアップ企業が掲げるMissionを見ることが多い。
そこに書かれている言葉は、「日本の〇〇を変えたい」とか「△△な社会を実現する」というような壮大なものだったりする。
もちろん、壮大なMissionを掲げること自体が悪いわけではない。だけど、そうしたMissionを眺めていると、そこにリアリティがないと感じることがある。
そもそも、Missionとは「やりたいこと」なのだろうか。
Impossibleであること
『Mission: Impossible』の主人公 イーサン・ハントは、自分でMissionを考えるわけじゃない。突然とんでもない事件が起き、それを放っておけば大変なことになる。誰かが何とかしなければならないというシチュエーションから物語は始まる。
すると、その事件の影響の大きさを知ったIMFからイーサンのところへMissionが落ちてくる。
Your mission, should you choose to accept it...
おそらくイーサンは、永遠にMissionなんて落ちてこなければいいのにと思っているはずだ。可能であれば、ずっと趣味のフリークライミングやバイクに興じていたいのだ。
でも、事件は起きてしまった。
落ちてきたMissionは、どう考えてもImpossible(不可能)だ。三都市同時核爆弾テロの阻止なんて、クレイジーすぎる。
だが、誰かが処理しなければ大変なことになる。
そして、やるかやらないかはお前自身で選べと言われている。
Impossibleであることがわかっていながら、毎回イーサンはそのMissionをaccept(受諾)する。そう、彼にはどこかにこんな自負があるんじゃないだろうか。
誰にでもできるわけじゃない。
でも、オレならできる。
Missionとは、誰かがやらなければならない社会的な問題を解決することだ。
イーサンは、自分の「Value(現在有している能力)」を基に、その課題解決が可能かどうかを判断したはずだ。それは、経験値や技術だけでなく、どんな仲間を持っているかも含まれる。
そして、MissionをCompleteするための「Vision(Missionを実現するために何をするべきか)」を組み立てる。それは往々にして計画通りに進まなかったりするが、何とかギリギリのところでリカバリーする。だからオーディエンスは熱狂し、ファンになっていく。
誰でもいいというわけではない。
Missionには「なぜ、それをやらなければならないのか」だけではなく、「なぜ、それをオレがやるのか」が必要なのだ。
FreedomとAutonomy
普段のイーサンは自由人だ。
フリークライミングを楽しんだり、バイクを乗り回したりして、人生を謳歌しているように見える。
自分のやりたいことを自由にやる。
それは英語で言うと「Freedom」だろう。
一方で「Autonomy(自律性)」という単語もある。
こちらは「自分で自分をコントロールし、意思決定する状態」を指している。だがボクは、この説明に(やりたくないけど、やらなければならない)という一文を加えたい。
きっとイーサンはFreedomの人ではなくAutonomyの人だ。彼はいつだって、ImpossibleなMissionをひとつだけ提示され「やるか、やらないか」の二択を迫られる。そういう意味では、Autonomyとは上流側のContext(背景)やConstraint(制約)に手を加えようとすることではなく、それらを受け入れた上での「やる!」というチョイスなんだろう。
そう、制約があるからこそ、Autonomyなのだ。
いつだって、Autonomyは「誰にでもできるわけじゃない。でも、オレならできる。だからオレがやる。」なのだ。
レオンだって、マチルダと一緒に暮らしたかったわけじゃない。むしろ巻き込まれたくなかったはずだ。でも、家族を殺されたマチルダが自分の部屋のドアの前に立っていて、その場で彼女を救えるのは自分しかいないというConstraint(制約)下でドアを開けるというチョイスをした。
炭治郎も、本当なら家族と山で静かに暮らしていたかったはずだ。だけど、家族を殺され、妹の禰豆子が鬼になってしまったというConstraint(制約)下において、鬼殺隊に入るというチョイスをしたのだ。
ContextとConstraint
さて、企業のMissionに戻ろう。
Missionを考えるとき、多くの社長は「自分たちは何を実現したいのか」と考えるだろう。でも、本当に考えるべきなのは「今、何をやらなければならないのか」であり、そして「なぜ、それをウチがやるのか」なのではないだろうか。
Missionを探すこと、それは「やりたいこと探し」ではない。ましてや「こんなことができちゃったらカッコいいよね」でもない。探さなければならないのは、自分の会社が置かれているContext(背景)とConstraint(制約)だ。
それらをよく見ていくと「誰かが何とかしなければならない課題」が見つかることがある。それは「三大都市核テロ計画の未然防止」のような壮大なものでなくていい。目の前にいる女の子を救うというような小さなことでいいのだ。
ボクが知りたいのは「なぜ、それをあなたたちがやるんですか?」ということなのだ。
それは「ドアを開ける」という小さなことかもしれないが、それによって呼び込んでしまうリスクは大きいかもしれない。それなのに、なぜドアを開けるというチョイスをしたのか。
その答えにリアリティがあるなら、Missionにもリアリティがある。
見つけてしまった社会の課題は、本当は「やりたいこと」ではないかもしれない。やりたくないけれど、誰かがやらなければならない。
しかし「それができるのはオレたちしかいなさそうだ」という判断に基づいて「じゃあ、オレたちがやろう」とチョイスする。
それがその会社の「Mission: Impossible」なのだ。
