うそ
最近、嘘をつかなくなったなあと思う。
こう見えて、以前はよく嘘をついていた。
いや、嘘というより「言い訳」の方が近いかもしれない。
目標を達成できなかった言い訳。
期日どおりに終わらなかった言い訳。
約束を守れなかった言い訳。
できなかった理由を正直に伝えられないので、若干話を盛る。だから、その言い訳には嘘が混じるのだ。
そもそも、かなりの幸運が降ってこないと達成できないような目標だ。だけど「幸運が巡ってきませんでした!」というわけにはいかない。だから、ちょっとした嘘を加えて、もっともらしい理由を創り上げなければならないのだ。
以前勤めていたのは、まあまあゴリゴリの営業会社だった。
営業会社の目標の作り方は、どこか勢い任せのところがあって、達成したい数字ありきで、その数字を(いい感じに)営業マンに割り振る。当時のその会社もそんな感じだった。
ただ、ボクはひねくれものだったので、上司に軽く嚙みつくか、軽く受け流すかのどちらかにすることが多かった。だから上司に好かれることはなかった(ように思う)。
結果、ボクは異動の宣告を受けたのだが、どういう風の吹き回しか、目標を作る側の部署に異動になった。あれがどういう会社の判断だったのか、今となっては確認のしようがない。
それから退職するまで、ボク自身が数字に追われることはなかった。そりゃそうだ。ボクが営業本部長から指示を受け、目標数字をいい感じに営業マンに割り振る役割なのだから。
それからしばらくは面白く仕事をしていた。
それまでやったことがない仕事だったので、仕事から学ぶことが多かったのだ。ExcelもPower Pointもこの仕事で磨きがかかったと思っている。Wordだけは今でも苦手だけど…
昨日『目標という幻想』という本の読書記録を書いた。
その本には「目標を設定しないことで、むしろ価値ある結果に至る」というオープンエンドネスというコンセプトについて書かれていた。目標は探索を欺くことがあるのだ。
だけどボクは知っている。
目標は自分自身を欺くことがある。
それは、ボク自身が目標を与えられる側と目標を与える側の両方を経験したから言えることだ。人はなぜか「目標を達成するために行うことはすべて正義だ」と思い込んでしまう。そして、その正義を正義と信じるために自分に嘘をつくのだ。
その後、6年ほどでボクはその会社を辞めた。
自分が嘘をつくのも嫌だったけど、誰かに嘘をつかせるのも嫌だったのだ。
そして、巡り巡って今の仕事に就いている。
運よく数字的な目標を与えられることのない部署だ。
まあ、まったく目標がないわけではないけれど、自分を欺かない程度にやりくりできている。
おかげで肩凝りもしなくなったように思う。
