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短編小説『喫茶店の過ごし方』悩める受験生と私

 カラン、と控えめにドアベルが鳴った。
 私はタブレットPCから顔を上げ、反射的に入口を見る。
 入ってきたのは高校生くらいの男の子だった。

 制服姿――肩に掛けたリュックは少しくたびれていて、片手には分厚い大学案内。
 店内を見回す様子がどこか落ち着かない。初めて来た客だろうか。
 男の子は少し迷ったあと、窓際の二人席に座った。
 マスターが静かに水を置く。

「ご注文は」
「あ……ブレンド、で」

 どこか緊張した声だった。こういうところに慣れていない、そんな印象を持つ。
 私は視線をタブレットPCへ戻す。
 別に気にする必要はない。そう思いながらも、つい視界の端で様子を追ってしまう。
 大学案内を開いては閉じ、そしてスマホを見る。また大学案内を見る。

 落ち着かない。
 その様子が妙に気になった。
 しばらくして、コーヒーが運ばれる。
 高校生は「ありがとうございます」と頭を下げたあと、またパンフレットへ視線を落とした。
 表紙に見えた文字は、『工学部』『情報工学科』『総合システム学科』――理系か。
 さらに別のパンフレットには、『デジタルクリエイション学科』『ゲーム・映像制作』と書かれていた。
 私は小さく瞬きをする。

 なるほど。そういうことか。
 どちらも『作る』側ではある。
 けれど、親から見た安心感はかなり違う。
 男の子はパンフレットを見比べながら、大きくため息をついた。

 ……なんとなく、分かるなぁ。
 進路って、他人は簡単に言うのだ。
『好きなことをやればいい』とか、『安定した方がいい』とか。
 でも実際は、そんな簡単なものじゃない。どちらがいいか、その間でずっと揺れる。

 私はキーボードを叩きながら、ぼんやりそんなことを考える。
 すると。

「あの」

 不意に声を掛けられた。
 私は顔を上げる。高校生がこちらを見ていた。

「はい?」
「あの……すみません。変なこと聞くんですけど」

 嫌な予感がした。

「その仕事って、楽しいですか?」
「……え?」

 思わず間抜けな声が出た。
 高校生は少し慌てたように言葉を足す。

「なんか、こういう場所でパソコン開いてるから……そういう仕事の人なのかなって」

 私は視線だけでマスターを見る。
 ――マスター、助けて。
 だがマスターは、こちらを一瞥しただけで、何事もなかったようにカップを磨いていた。
 逃げた。絶対、私が助けを求めたのが、わかってるのに。

「ええと……仕事というか、趣味というか」
「文章を書く人、ですよね?」
「まあ、一応」

 高校生は「そっか」と小さく呟いた後、視線をパンフレットへ落とした。

「……好きなことって、仕事にしていいと思いますか」

 思わず、キーボードの上の手が止まった。
 重い。
 いや、高校生の悩みとしては普通なのだろう。でも、初対面の相手にする話だろうか。
 ちらりとマスターを見る。
 マスターは完全に聞こえているはずなのに、知らない顔でコーヒーミルを回していた。
 絶対わざとだ。

「……何を、やりたいの?」

 結局、私はそう聞いていた。
 高校生は少しだけ顔を明るくする。

「ゲーム作りです」
「ゲーム?」
「はい。プログラムとか、アプリとか……そういうの」

 なるほど。完全に絵描きとか音楽ではない。
 だからこそ、揺れている。

「でも、親は工学部に行けって」
「それも近いんじゃない?」
「近いんですけど……」

 高校生は困ったように笑った。

「親が言ってるのって、『ちゃんと就職できる方』なんです」

 私は黙る。
 その気持ちは、分からなくもなかった。

「理工系なら潰しが利くって。開発とか、営業とか、いろいろできるからって」
「……間違ってはないわね」
「そうなんです」

 高校生は小さく頷く。

「だから余計、何も言えなくて」

 店内にコーヒーミルの音が響く。
 静かな音なのに、妙に会話の間を埋める。

「親御さん、心配してるんでしょうね」
「はい。ちゃんと」

 高校生は苦笑した。

「別に反対されてるわけじゃないんです。『好きにしろ』って言われてます。でも、それって逆に怖いなって。ちゃんとした答えを出して、ちゃんと未来に繋がなきゃって」

 ああ、と私は思う。
 責任を、自分で選ばなければいけないのだ。

「好きなことを仕事にすると、楽しいだけじゃない」

 気づけば、そんな言葉が出ていた。
 高校生は静かにこちらを見る。

「締切もあるし、評価もされるし、好きだったものが嫌になることもある」
「……はい」
「趣味のままの方が幸せって人も、結構いるのよ」

 言いながら、自分にも刺さるなと思った。
 高校生は少し俯く。
 なんだこれ。夢を諦めさせる大人みたいじゃないか。
 私は一息つくために、コーヒーを飲んだ。

「……でも」

 私はカップを置く。

「好きじゃないと、続かないこともある、と私はそう思う」
「え?」
「特に、作る側って」

 ゲームでも、小説でも、絵でも――結局、好きじゃないと続かない。
 しんどくても、考えてしまう。やめても、戻ってしまう。

「向いてるかじゃなくて、『やめられるか』で考えた方がいいかもしれない」

 高校生は少し目を丸くした。

「やめられるか……」
「完全にやめても平気なら、別の道でもいいと思う……かな」

 私は苦笑する。

「でも、やめても気になるなら、多分ずっと気にすると思うわ」

 高校生は黙ったままパンフレットを見る。
 工学部。ゲーム制作。似ているようで、違う道。

「……親を、安心させたいんです」

 ぽつりと高校生が言った。

「苦労してほしくないって言ってくれてるの、分かるから」

 私は小さく息を吐く。

「親って、多分、子供が苦労するの見たくないのよ」
「はい」
「――でも」

 少し迷ってから、続ける。

「人生って、親の安心のためだけに使うには長いものよ?」

 高校生が顔を上げた。
 自分でも、少し意外な言葉だった。
 私はそんな立派なことを言える人間ではない。それでも、口から出てしまった。
 しばらく沈黙が続いて、やがて高校生は、小さく笑った。

「……なんか、少し楽になりました」
「そう、それは良かった」

 すると、マスターが静かにカップを置いた。

「サービスです」

 高校生の前に、新しいコーヒーカップが置かれる。

「え?」
「おかわりです。受験生サービス」

 高校生は目を丸くしたあと、「ありがとうございます」と頭を下げた。
 私は思わず言う。

「私にはチョコ一個だったのに」
「あなたは受験生ではないので」

 真顔だった。
 高校生が吹き出す。
 私もつられて笑ってしまった。
 窓の外では、夕方の光がゆっくりと街を染め始めている。
 静かな喫茶店の中で、コーヒーの香りだけがゆっくり漂っていた。



『喫茶店の過ごし方』シリーズ目次。


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