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選択式小説『まだ、名前で呼べない』第19話

第19話 アキと蓮


 アキはハルに問いかけられて、すぐに返事はしなかった。
 ハルはそんなアキを見て、訝しげに思う。

「お姉ちゃん?」
「ハル……その、小宮さんって、二十八だって言ったわよね。誕生日、分かる?」
「え? 誕生日?」

 普通なら、上司の誕生日など知らないのだろうが、ハルはたまたま知っていた。
 喫茶店でたまたま誕生日の話になり、すでに過ぎていたことに慌てて、「今日は私に奢らせてください。誕生日のプレゼントがランチで申し訳ないですけど……」とハルが言い出した。
 蓮は慌てて拒否したのだが、「それでなくてもいつも車に乗せてもらっているので。そのお礼も兼ねて!」と押し切ったのを思い出した。

「確か……七月十五日だって聞いたけど」
「七月十五日……」
「うん、それがどうかした?」

 ハルはアキが難しそうな顔をしているのを見て、不安になった。
 なぜかは分からないけれど、姉であるアキのこのような表情を見たことがなかった。

「その、小宮さんって、それで二十八になったのね?」
「うん。だから、お姉ちゃんとは同じ学年になるのかな、って」
「そうね。同じ高校だったわ。クラスメイト――だったの」

 年齢的には同じ学年だと想像はした。
 けれど、クラスメイトだったというのは予想外だ。

「お姉ちゃんと……小宮さんが?」

 ハルとアキでは、四年の差がある。
 小学生の頃ならともかく、中学、高校と同じ学校に通ったことはなかった。
 そのハルが知らない学校生活で、蓮がアキと一緒にいたのだと知り、不思議な気持ちになった。
 車を運転するアキは、前を見つめていてハルを見ない。当たり前のことなのだが、いつも目を見て話してくれる優しいアキではなく、ハルの心に不安が芽生えた。

「お姉ちゃん、話しにくいこと?」
「……そうね、ちょっと」
「私が、あそこで小宮さんの名前をあげたから?」
「……それも、あるわ」

 信号が青から黄に変わる。交差点まで距離があったので、アキはブレーキを踏んで減速した。ゆっくりと車が赤信号になるのと同時に停止線の前で止まる。
 アキはしばらく前を見ていたけれど、一度目を瞑った後、ハルのほうを見た。

「高校三年の時にね、クラスメイトだったの。そして――」
「そして?」
「彼――蓮君と付き合ってたの」

 アキの告白に、ハルの表情が強ばった。
 好きかもしれない――そう思った相手が、姉の元恋人だった。
 しかも、アキは『蓮君』と名前で呼んでいる。
 ――今も。
 そう思うと、心が苦しくなった。

「お姉ちゃんは……今でも、小宮さんのこと……」
「……もう、思い出よ」

 少しの間を置いて、それでも言い切った。
 ハルは本当にそうなのだろうか、と考える。
 アキの性格からして、ハルが気になっていると言えば、たとえ未練があったとしても口にすることはないのではないか、と。
 悩んでいる間に、車はすでに走り出していて、アキはハルを見ることはなかった。
 視線が合わない。表情が読めないことが、不安を助長するようだった。
 いたたまれずに、ハルは近くのスーパーの傍に来ていることに気づき、「お姉ちゃん、ここでいい」と声をかけた。

「でも、買い物したら、荷物重いでしょう?」

 その言葉に、一瞬蓮が重なる。

『本、重いでしょう?』

 同じようなことを言うのは、付き合っていたからなのか――ハルはそう考えると、何かに耐えるように唇をかんだ。

「私は買い物は済ませてあるから、ここで待ってるわ」
「……うん、ありがとう」

 ハルは車から降りると、アキを待たせないようにと早めに買い物を済まそうとした。
 スマートフォンのメモアプリを立ち上げ、必要な食材を見ると、野菜コーナーから順にかごに入れていく。
 この時だけは、蓮とアキの関係を気にしないで、買い物に専念できた。
 自動レジで会計を済ませ、スーパーを出てアキの車に向かう。
 車の窓ガラス越しに、アキの愁いを含んだ表情を見て、これ以上踏み込んで聞いていいものか躊躇った。
 ハルは「お待たせ」と、努めて明るく振る舞うと、アキから「早かったわね」と返ってきた。

「うん、買うのは決めていたから」
「そう。思ったより遅くなってしまったものね。ごめんね」
「ううん。お姉ちゃんのおかげで、家に帰ることもできたし。言ってくれなければ、一年くらい帰らなかったかも」

 これは本当。平日は仕事、土曜日は図書館、日曜は家のこと――そんなルーティンができていた。
 他の予定を入れるのは、なかなか難しい。

「そう、そう言ってくれて良かった」
「うん、ありがとう」

 ハルがシートベルトをしているのを確認すると、エンジンをかけて車を発進させる。
 道路に出て車を走らせている間、アキは口を開かなかった。
 ハルも、なぜか踏み込んで聞けなかった。
 そうこうするうちに、アパートに着き、また車が止まった。

「ありがとう」
「ううん。お疲れさま」
「私はただ乗っていただけだし。車の免許も取りたいんだけど、みんなに止められたんだよね」
「まあ、分からなくもないわ」
「お姉ちゃん、地味に酷いよ」

 一度ミスすればそこから何度もドジを連発し、ついでに方向音痴となれば、ハル自身も車の運転は怖く思い、免許を取ることを諦めたのだった。
 自分でも理解しているけれど、正面から突きつけられると悲しいものがある。

「まあ、また家に行くときに誘うわ」
「お願いね。じゃあ、ありがとう」
「ええ。……待って、ハル」

 降りようとしたところで、アキに止められた。体を捻ってアキの方を見る。

「どうしたの、お姉ちゃん」
「その……、ハルの気持ちに水を差すようだけど……」
「ん?」
「蓮君は、やめた方がいいと思うの」
「!」

 頭が真っ白になった気がした。
 何を言われたのか分からなかった。

「な、なんで……」
「それ以上は言いたくない。でも、それがハルのためだから」

 自分のためだからと言われて、納得できる訳がない。
 感情は、理性とは別物だから。
「どうして」と食い下がるハルをよそに、「ごめん」とアキは短く答えて、それ以上口を開かなかった。

 

 仕方なく部屋に戻り、買ってきた食材を機械的に処理していく。野菜を刻む、袋に小分けにする、そこに鶏肉を足して、野菜炒めにも鍋にもできるセットを作り、冷蔵庫に放り込んだ。
 その後、風呂に入り、出てきて喉が渇いたため、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出してコップに注いだ。
 その時――

『蓮君は、やめた方がいいと思うの』

 そう言った、アキの困った顔を思い出す。

(お姉ちゃん……どうして、小宮さんを……)

 駄目と言われれば、余計に意識してしまう。
 それでなくても、蓮とは職場で、好きな図書館で一緒にいる人で、一番身近な人になっている。
 母に言われて、思い浮かんだのは蓮の顔だったのに。

『聞かれた時に相手の顔を思い浮かべるの……それって、気になってる人じゃないかしら?』

(そうだね、お母さん。小宮さんに対する気持ちが『好き』なのかは分からないけど、小宮さんのこと、すごく意識してるよ。なのに……)

 アキの『蓮君はやめた方がいいと思うの』が再度よみがえる。
 その声を聞くたびに、胸が痛んだ。

 ***

 月曜、寝不足でほんのり目の下にクマを付けながら出社した。
 いつもは元気よく挨拶するのに、今日は静かに「おはようございます」とだけ言い、席に着いた。
 その様子に、すぐに沙織が「ハルちゃん、大丈夫?」と声をかける。

「ちょっと寝不足で……」
「そう、具合が悪いなら無理しちゃダメよ。今日は小宮さんも朝から会議づくしでいないから、少しゆっくりした気持ちで仕事をしてね」
「……はい、ありがとうございます」

 ハルは沙織の話を聞いて、蓮の顔を見なくて済むのだと、少しほっとした。
 安心したら襲ってきた眠気を、コーヒーを飲むことで誤魔化して午前中を乗り切った。
 そして、昼休みは気分転換にと、いつもの公園に向かった。
 ベンチに座り、本はご飯を食べるまで我慢――と思いながら、おにぎりを頬張った。
 寝坊して急いで作ったため、いびつな形をしていた。けれど、塩加減はちょうど良く、中に入っている昆布はほんのり甘みがあって美味しかった。
 そうして食事を終え、本を読もうと思った時だった。

「松下さん? またここにいたんですね」

 背後からした声は、蓮のものだった。

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今回の選択は…
昼休み、公園で蓮を見てハルはどんな行動をするのか?

A:ぎこちなく日曜日の話をする。
B:張りつめていた気持ちが切れて、急に泣いてしまう

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