選択式小説『まだ、名前で呼べない』第8話
第8話 土曜日の寂しさと月曜日の朝
「すみません、さすがに一人暮らしの女性の家に上がるのは……」
大学時代の一人暮らしの友人の家に気軽に遊びに行っていたし、中には異性もいた。
だから気にせずに誘ったのだが……まさか、そう返されるとは思わなかった。
けれど、よくよく考えたら、異性の時は二人きりではなく、他にも何人かいる時だった。
「すみません。気にしていませんでした」
「……大学の時の友人と何人かで、というのであれば、問題ないと思います」
「はい」
「けれど、松下さんはもう社会人です。行動に責任が伴いますので、理解してください」
「すみませんでした」
「いえ、俺の方こそ、水を差すようですみませんが……。本の話は、楽しかったです」
そう言われて、蓮に断られたハルは、寂しそうな顔をしながら帰っていく蓮を見送った。
「もっと、話をしたかったんだけどな……」
でも、社会人になって一人暮らしをしているのであれば、行動した結果を自分で受け取らなければならない。
親元を離れ、一人で生活するというのは、そういうことなのだ。
ハルは頭を左右に何度か振ると、思考を切り替えるようにした。
鍵を開けて入ると、すぐに鍵をかけた。そして、靴を脱いで中に入り、ダイニングにある机の上にバッグを置いた。本が入っているバッグを下ろすと、一気に軽くなった。ついでに気分も。
やかんに水を入れて火をかける。その後、姉にもらったドリップ式のコーヒーを開けて、マグカップにセットした。
残りは六つ。本来なら、あと一つ減るはずだったのに――と、少しだけ暗い気持ちになるけれど、すぐに考えを改めた。
気を取り直して、借りてきた本を奥の部屋に置きに行って戻ってくると、ちょうどやかんから『ピー』という音が出ていて、慌ててガスコンロの火を止めた。
カップに少しずつお湯を注ぐと、コーヒーの香りが部屋の中を満たしていく。カップ一杯になると、コーヒーを取り上げ、小皿に移した。コーヒーの粉は消臭効果もあるので、乾かして小袋に入れてシューズボックスなどに入れている。
ハルは一口飲んでから、砂糖を取り出して多めに一杯入れた。スティックシュガーなら二本程度だろうか。
「ん、美味しい」
コーヒーの味を確かめてから、奥の部屋に行こうとした時に、お腹が空いてきているのに気付いた。考えてみれば、昼食の時間だ。空腹を感じてもおかしくはない。
買い置きしてあった食パンに急いでジャムを塗って、皿に載せてコーヒーと一緒に持って行った。
ハルの部屋は古い2DKのアパートだ。
玄関を開けてすぐにダイニングキッチン、横にバス、トイレなどの水回り、その奥に六畳二間続きの部屋があり、手前の部屋に低めのベッドと家具調こたつが置いてある。もう一つの部屋は、画材を置いてあり、絵を描いたりするために使用していた。
この広さを確保するため、姉の薦めるマンションではなく、アパートにした経緯があった。
「さて、と。続きから見よう」
今見ているのは、この間美也子から借りた、『秘密(トップ・シークレット)』だ。漫画だけれど、ミステリーと言えるこの話は、繊細で美しい絵柄とは反対に内容はかなりえぐい。すでに10巻に入っていて、その展開にハルははらはらしながら読んでいた。
そして、いつの間にかコーヒーも食パンも忘れ去られ、10巻を見終わった時にようやく思い出し、冷めきったコーヒーを飲む羽目になった。
***
月曜日の朝、眠気と戦いながらも朝食とお弁当を用意して、寝ぼけ眼で朝食を食べて会社に向かった。
朝に弱いハルは、会社の近くで歩いて行ける範囲のアパートを借りているため、徒歩通勤をしている。
眠くてはっきりしない頭も、歩いていると徐々に眠気が振り払われていき、会社に着く頃には通常に戻っていた。
「おはようございます!」
職場につき、ハルは元気よくあいさつした。
周囲からも「おはよう」という声が返ってくる。
ハルは、ああ、やっぱりこの職場はいいな――と思いつつ、すでに出社していた蓮に近づいた。
「小宮さん、おはようございます」
「おはようございます、松下さん」
「あの、土曜日ありがとうございました!」
ハルが土曜日と言った後、沙織と前田が「え?」と驚いた顔をした。
けれど、ハルは全く気付かず、蓮が少し気まずそうに「……いえ、あまり気にしないでください」と答えた。
「あ、そうだ。お礼できなかったので、これを――」
そう言ってバッグの中から、手のひらサイズの水色の袋に青いリボンで結ばれたものを取り出した。
「これは?」
「あ、姉からもらったコーヒーです。美味しいのでどうぞ」
と、目の前に出され、蓮は驚いてつい手を出してしまった。
その手に、ポンっと置かれた水色の袋。
「……ありがとう、ございます」
「ぜひ飲んでみてください! 夜……は眠れなくなっちゃうかな。会社はコーヒーメーカーがあるし……」
「朝、飲んでみます」
「良かった!」
ハルは話が終わったとばかりに、自分の席に行き、バッグを下ろした。
水分補給のために麦茶を入れたステンレスボトルをバッグから取り出し、あとは机の下の荷物入れに入れて席についた。
そのあとに入ってきた吉川が「おはようございます」と言うと、ハル以外、蓮を初め前田、沙織の戸惑った声音の挨拶が帰ってきた。
吉川は前田に近づき、小声で「何かあったんですか?」と尋ねる。
「(実は、小宮さんと松下ちゃん、休みの日に会っていたみたいで)」
「(そうそう。それで、なんの、かは分からないけど、お礼だって小宮さんに可愛くラッピングしたものを渡したのよね)」
「(そうそう。小宮さんも戸惑ってます)」
「(……面白いことになっていたんですね。見たかったです)」
ひそひそ話を繰り広げる三人に、蓮は軽くため息をついた。
内容は聞こえてこないが、話している内容は見当がつくからだ。
ハルだけが、何も考えずに席について、就業前まで――とばかりに本を読みだしていた。
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今回の選択は……
選択じゃなくて、今まで三人称でしたが、主にハル視点で来ていました。
たまには、蓮視点を見てみませんか?今の蓮の心境は?
A. 蓮視点を見てみる。今、彼は何を考えてる??(笑)
B. そんなの後でいい(笑)。そのまま話を進めよう!
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