選択式小説『まだ、名前で呼べない』第2話
第2話 姉からの電話
ハルはスマートフォンの着信音に気づくと、バッグと買ってきたものをテーブルに置いて、画面を見ると、姉のアキからの電話だった。
すぐに『応答』をタップして「もしもし」と返事をした。
『もしもし、ハル? こんばんは。配属初日お疲れ様』
「お姉ちゃん、ありがとう。それより、この時間に電話くれるなんて珍しいね」
アキは仕事が忙しいと言っていたのを思い出し、疑問を口にした。
『今日はハルの配属初日だから、気になって定時で上がってきたの。今夕食を作っているところ』
「……気を遣わせちゃって、ごめん」
気を遣ってもらったのを知って、ハルは複雑な気持ちになった。
優しい姉は気遣いだけでなく、勉強や仕事などもハルの上を行く。過去を思い出して、ハルは少し苦い気持ちが込み上げてきた。
『そうじゃないの。ただ私が気になっただけ。そういえば、ハルは今どこにいるの?』
「ちょうど家に帰ってきたの。夕飯を作ろうと思って。―—スピーカーにするね」
『うん。私もスピーカーよ』
ハルはスマホのスピーカーのところをタップし、それからキッチンテーブルに置いた。
ハルの姉、アキはハルよりほぼ四つ年上で、学年で言うと五つ上になる。年の離れた姉を、ハルは慕っていたし、アキもハルを可愛がっていた。
だからこそ、今日、電話をしてきてくれたのだろう。
『仕事はどんな感じ?』
「希望通り、広報グループになったよ」
『そう。ハルの希望が叶ってよかった』
「うん。ありがとう。―—そうだ、お姉ちゃんは何を作っているの?」
『私? 今日はご飯にお味噌汁、それに豚バラの生姜焼き』
「……」
『ハル?』
「私も一緒」
まさに買ってきた豚肉のパッケージを、エコバックから出している時だった。
『偶然ね』
「……ううん。偶然じゃない。お姉ちゃんが教えてくれた、生姜焼きが美味しかったから」
『そう? それなら嬉しいわ』
「でも、蜂蜜が買えなくて。意外と高いから。ちょっと違う味になりそう」
『砂糖でも美味しいわよ』
ハルとアキは他愛無い会話をしつつ、それぞれ料理をし始めた。
ご飯は朝予約を入れてあるので、そろそろ炊けるはず。お味噌汁は豆腐とわかめと長ネギに決めていた。箸休めに、たくあんを買ってきている。
ハルは先に生姜焼きのたれを作り、豚バラ肉を取り出して揉み込んでおく。
その後、まな板と包丁を用意して、それぞれ刻んでいく。玉ねぎと長ネギは全部切って、残りを日付を書いたフリーザーバッグに入れて、冷凍庫に入れた。
作業をしている間も、アキとの会話は続く。
『で、仕事の方はどう?』
「今日は、私がパソコンとかソフトをどれくらいできるかの確認だったのかな? ちゃんと仕事を任せてもらうまで、時間はかかりそう」
『ふぅん。でも、いきなり丸投げされるよりいいじゃない』
「うん。それに、職場の雰囲気もいいよ」
スピーカーモードでの会話の中、時折、じゅうっと肉が焼ける音が混じる。アキの方が先に帰ってきていた分、料理が終わるのが早そうだ。
ハルも包丁とまな板を洗って、豆腐、わかめ、長ネギ、ほんだしを鍋に入れて、適当に水を入れ火をつけた。
その間にご飯が炊けたので、軽く混ぜておく。本当は冷凍用のご飯を先に作ろうと思っていたが、お腹が空いているので食事を優先することに決めた。
『いい環境なのね』
「うん。一番年の近い沙織さんがいろいろ教えてくれて。それに、グループリーダーの小宮さんも、言葉を少ないけど、よく見てくれているというか……」
さすがにトイレに行っていないことまで指摘されたことは黙っておこう――ハルがそう決めた後も、アキから返事がなかった。
「お姉ちゃん?」
『……あ、ごめん。小宮さんって下の名前分かる?』
「えっと、小宮蓮さんだよ」
『……そう』
「お姉ちゃん、どうかした?」
『なんでもないわ』
なんでもない割に、アキの言い方が気になったが、ハルはそれ以上追及するのをやめた。
お味噌汁の鍋が噴き始めたからだ。
フライパンを熱しながら、生姜焼きの準備を始める。
『そういえば、一人暮らしはどう?』
「えっと、ちょっと大変。仕事が終わってから、自分で全部やるのって、結構大変だね」
『まあ、慣れないうちはそうね。私も大変だった』
アキがしみじみ言うのを聞いて、ハルは「お姉ちゃんでもそうなんだ」と思う。
ハルにとって、アキはなんでも出来る優秀な姉だったから。
年上で落ち着いてなんでもできる姉に対して、ハルは何かに没頭するとほかを忘れてしまう癖があり、親に心配されたものだった。
『みんなそんなものでしょ』
「そうかなぁ」
鍋の火を止めて味噌を溶かしていくと、味噌の香りが周囲に漂い、食欲が増す。
同時にフライパンに熱が通っているので、軽く油を引いて、まずは玉ねぎを炒める。しばらくして、たれに漬け込んだ豚肉をフライパンに入れると、じゅわっと音がして、香ばしい香りがさらに食欲を増加させた。
「私一人だったら、一人暮らしの準備さえもまともにできなかったもん」
『しょうがないわよ。何が必要かなんて、その人それぞれだもの』
「そうかな?」
『例えば……私は料理が好きだから、料理道具や食器に拘るけど、ハルはそこまでじゃないでしょ?』
「うん」
『替わりに、ハルは画材があるものね』
「うん。置く場所や作業する場所が欲しいから、2DKにしたわけだし」
アキは1Kの広めのマンションを借りている。
ハルは画材を置きたかったため、1Kでは手狭。そのため、アパートで築年数がある2DKを選んだ。
『そういうところ、一緒にできないでしょ。ただ、アパートの方がセキュリティの問題もあるし、気を付けてね』
「うん。気を付ける」
話している間に生姜焼きが完成し、味噌汁も出来た。
生姜焼きを皿に移して、味噌汁をお椀によそう。最初から長ネギを似たため、少々くたっとしていたが、ハルはしっかりと煮込んだ長ネギの方が好みだった。
残りは冷やして冷蔵庫に保管し、明日の朝食にする予定だ。
「ご飯の支度ができたから、ご飯食べるね」
『あら、できたの? 私はもう食べているけど』
「いつの間に……」
咀嚼音が聞こえないため、食べているとは思わなかった。
ハルはご飯をよそってテーブルに置くと、手を合わせて「いただきます」と言って食べ始めた。
温かい食事が体に染み込んでいくのが分かる。
『ハル?』
「なに? お姉ちゃん」
『今更かもしれないけど……一人暮らしなんだから、少しは好きにしなさいよ』
「……」
『それに、うちは「働いて、一人暮らしができれば一人前」って言ってくれてるじゃない? 昔なら、「結婚して、子供を産んで育てて一人前」って言われてたんだから、ハードルがちょっと低いと思うのよね』
『働いて、一人暮らしができれば一人前』―—これは、ハルとアキの母が言っていることだった。
ただ、ハルが一人暮らしをするのは、母もかなり不安がっていたが……それでも、我が家の方針、とばかりに一人暮らしをすることになった。
「……うん」
『研修期間の二ケ月も頑張れたんだもの。気づいたら一年くらい経ってるわよ』
「だと、いいな」
『うん。大丈夫。ハルが頑張り屋さんなのは分かってるから。ただし、周りをちゃんと見なさいね』
「うん。気を付ける」
『言いたいことはそれだけ。夕飯の時間にごめんね』
「ううん。私の方こそ、気にかけてくれてありがとう」
互いに「お休み」と言って電話を切った。
ハルは、はぁ、とため息をつく。
姉のことは好きだ。尊敬している。
でも、そそっかしいハルは、母によく「お姉ちゃんを見習って」「お姉ちゃんみたいにしっかりしていたら」と言われていた。
少し、胸に痛みが走る過去だった。
「……気を取り直して、明日のお弁当の用意しよう」
沙織の言ったように、公園でランチもいいかもしれない――そう考えて、ハルはおにぎりを用意し始めた。
天気が悪いなら、食堂で菫と沙織と共に食べるのもいい。
どちらにしろ、一ヶ月はお弁当を作ってみよう、と思ったハルだった。
次回の選択:次の日、お昼ご飯をどこで食べる?
A:社員食堂で菫と沙織と一緒に
B:沙織お薦めの公園に行ってみる
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