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【エッセイ】小説投稿サイトのお約束・テンプレとジレンマ

昨今、小説投稿サイトが増え、人気作はテンプレといえるものが確立されたように感じる。

もちろん、いつの時代でもテンプレはある。
個人サイト全盛期〜終わりの頃、小説家になろうができた。
なろうのアカウントを取ったのは、多分20年以上も前だと思う。

当時はまだ、人気が出たらすぐ書籍化ということもなく、書籍化したい人はアルファポリスのアカウントを取って、エントリーしていたと思う。

最初はROM専で見ていると、テンプレが浮き彫りになってくる。
自分が見始めた頃は、『異世界召喚』『異世界トリップ』が多かった。

それから、気づいたら『乙女ゲーム』『悪役令嬢』『婚約破棄』のワードがランキングを占めるようになっていた。
恋愛が絡まないのは『追放系』でまとめていいのかな?

先駆者が成功して人気が出ると、追従する作品があふれ返る。
そして、いわゆる『テンプレ』が出来上がる。

それが、悪いことではでないではないと思う。ただ、時間が経つにつれ、テンプレの内容が過剰になっていくように思える。

『悪役令嬢』『婚約破棄』ものであれば、相手の王子(ないし、高位貴族令息)が、その立場に立つのに相応しくない凡愚だったり、乙女ゲームのヒロインが淑女とは思えないし、また一人の人間としてあり得ないほどの自己中心的と一言で済ませられないような性格だったり。

追放ものなら、追放される主人公の実力を、周囲のパーティーメンバーがきちんと理解していなかったり。
そもそも、命を預けあうようなパーティーで、相手の実力を知らないのはどうなのだろうか?

読む分にはいい。
あり得ない性格や、過剰な能力も、『ざまぁ』という展開に持って行った際に、スカッとする。
そのためにあると言ってもいい。

ただし、書くほうに回ると、これが悩むもの。
上で言ったように、過剰な性格や能力は自分の頭の中で作り上げることができない。

何故なら、そこまで過剰になった、人から外れたものは記号のように思えてしまうから。
ただ、物語を進めるための、『ざまぁ』まで持っていくための『物語を動かすための役割』に見えてしまう。

キャラはそこで生きてきたが故に出来上がった性格だと思っている。
設定で言えば、語られない裏設定だけど、人格形成の上で必要な部分。

そこからはみ出るようなキャラだと、ただ物語を動かすだけの存在のように感じてしまい、どうしても書けなく(動かせなく)なってしまう。

『人』として見られなくなってしまうからだ。
しいて言うなら、きっと私はどんな世界でも根底にある『ヒューマンドラマ』が好きなんだと思う。

なので、小説投稿サイトで書いていたものは、いわゆるテンプレから外れたものになってしまう。
せっかく書いたのだから、人に見てもらいたい。だけど、『人』じゃないものは書けないというジレンマがある。

それでも、見られるより、自分の書きたいものを優先しているけど。

 

ここで、悪役としていいと思ったのは、例として挙げるのなら『渡る世間は鬼ばかり(以下、渡鬼)』の幸楽の小島キミとか、本間病院の本間常子とか。

ちょうど夕方に再放送をしていて、親が見ているので耳に入ってくる。
実は、当時放送していた頃は嫌いだった。
見ている家族も苛々すると言っていて、なんで苛々するのを好んで見るんだ、と思っていたから。

でも、今になって思う。
渡鬼の登場人物は、「ああ、いるいる、こんな嫌な奴!」という範囲に収まっている。
それに、いいほうに入る人物でも、問題のときには嫌な人になるときもある。

この、いい人だけでも、悪い人だけでも終わらない。
自分の意見を大きな声で言うか言わないか。
これが絶妙なんだと思う。

それでも登場人物も多いため、一波乱起きて収まると次の問題が持ち上がってくる。
ましてや日常であり得るかもしれない世界。

だから、特定の問題を起こす登場人物に苛々するけど、つい見てしまう。
その時の時事ネタも入れ、上手く盛り上げている。
飽きさせないストーリー作り。
つい、次回を見たくなる最後。
だから、あれだけ長く続き、再放送で展開が分かっていても見てしまうのだと思う。

 

話が少し逸れた気がするけど、テンプレがあるからこそ楽しめる作品も多いと思うし、その中で自分の書きたいものを見つけていけたらいいなと思う。


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