チェンソーマン最終巻感想・消えた世界と残った感情
チェンソーマン
藤本タツキ
※チェンソーマン最終巻の感想です。
ネタバレがあります。
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↓本文です
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チェンソーマン最終回を読んだ。
正直、設定として何が起きたのかを説明しろと言われると難しい。
藤本タツキ氏も、あえて明確な説明はしていないように思う。
読者それぞれの捉え方を楽しめるように作られた作品だと思うので、私も私なりのひとつの解釈として感想を書いてみたい。
虫によって世界が滅ぼされようとする中、いつものように戦おうとしたデンジは、なにかを思い出す。
そしてそのまま、ポチタとの精神世界へと入っていく。
そこでポチタは、
「自分が存在している世界ではデンジは幸せになれない」
「自分はデンジと出会って見たい夢は全部見た」
と告げる。
さらに、
「これから私は私を食べる」
「チェンソーマンがいなかった世界が構築されることになる」
と続ける。
ポチタと離れたくないデンジ。
しかしポチタは、自らを食べてしまう。
「デンジはもっともっと夢を見続けて」
そう言い残して。
ポチタは、自分と共に夢を叶え続けてきたデンジが、それでも心の底から幸せではないことに気づいていたのだと思う。
だからこそポチタは、チェンソーマンからデンジを解放した。
デンジが本当の意味で幸せを見つけられるように。
チェンソーマンという概念が消えたことで、チェンソーマンが存在した世界そのものが消滅し、別の世界へと再構築された。
私はそんなふうに読んだ。
でも、読後に強く残ったのは世界の仕組みではなく感情の方だった。
もし世界が書き換わったのなら、アキもパワーもナユタも、あの世界で生きていた人たちも存在しなかったことになるのかもしれない。
それでも最後の小屋のシーンを読んでいると、私はそうは思えなかった。
記憶はなくなっても、感情だけはどこかに残っている。
パラレルワールドになっても、人と人が関わった痕跡は精神世界のどこかでつながっている。
私はそんな余韻を感じた。
だからあの場面に現れたパワーは、「復活した」のではない。
存在しなかったことになった世界でも消えなかった感情そのものだったように思う。
表側はド底辺で血みどろのダークヒーローアクション。
その一方で、ド下ネタと崇高な哲学が同居している。
「人間とは何か」
「感情とは何か」
「考えるとは何か」
そんな問いが作品の奥底で、ずっと静かに流れている。
私はそんな藤本タツキ作品にすっかり沼ってしまった。
チェンソーマンという物語は、悪魔や世界の話でありながら、最後まで「人の精神とは何か」を考えさせる物語だったと思う。
世界は消えるかもしれない。
歴史は変わるかもしれない。
それでも、誰かを好きだったことや、大切だったことまでは消えない。
消えた世界のことを、私はたぶんずっと忘れないと思う。
