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ホロトロピック・ブレスワーク体験記②

ホロトロピック・ブレスワーク①の続き。
25年も前の手記なので、今読み返すとスピリチュアルな話題を
取り巻く時代の空気の変わりようをしみじみと思い、
また、なぜ私はあれほど目に見えない世界に呑み込まれまいと
踏ん張り続けていたのか、今となっては滑稽ですらある。
ひとつには敬愛する大学の恩師に
「そっちの世界に傾くと現実社会に適応できなくなる」
と止められていたからなのだが、30代半ばまで愚直に
その教えを守っていた反動が、このワークに集約されたようだ。

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どうやって号泣がおさまったのかはよく覚えてない。
放心し鼻水をだらりと流して横たわるころには、
音楽もゆったりしたヒーリングミュージックに変わっていた。

「そのまま今の気持ちや感覚を味わってください」

Nさんの言葉をかみしめるうち、今度はものすごく心細いような
せつない気持ちがこみ上げてきた。

「帰りたい…」勝手に口が動いたと言ったほうがいい。

「どこに?!」もう一人の自分がつっこむ。

「帰りたい、帰りたーい、かえりたあああい…!!」

私の魂が「元いた場所」に帰りたいと泣いている。
なんて遠い所に来てしまったんだ…
「元いた場所」から長い長い旅をして、
こんな所までたった一人で…
そしてとうとう道に迷ってしまった。
今いる場所がどこかわからない。
早く帰りたい、安らぎのあふれるあの場所へ…!

迷子の魂がむせび泣いている間、赤毛のくりくり巻き毛の天使が
私に手を差し伸べてくれるビジョンが見えた。
「わかっている、わかっているよ…今あなたがどんなに心細いか、
どうしてこんな所にいるのか、私はあなたの全てを理解している。
でもあなたの旅は終わっていない。まだ帰る時ではない。
あともう少しだ。がんばりなさい」
という声なきメッセージが圧倒的な慈悲心とともに伝わってきた。

私の全てが理解され、受け入れられているという大きな安心感。
そうか、私が今取り組んでいる人生の課題は「旅」なんだ。
そこにはちゃんと帰る場所が用意されている。
どんな道を通っても必ず戻れるそういう場所が。
ああ、そうだった、思い出した…

私の魂は人生をまさしくある目的地に向かう「旅」として捉えていた。
引き返すことのない、ただただ前進するのみの旅である。

そして旅をしていても帰れる場所があるということ。
これは生きていく上で大きな安心、支えではないだろうか。
今回私が思い出したのは、
どんな道を通っても必ず戻れる、そういう場所だ。
帰ることこそが目的。
だから手段、つまり、どんな道を通るかは、あまり問題ではない。
旅の道連れが誰だろうと、道端の景色がどうであろうと、
実はそれはあまり重要なことではないのかもしれない。

だとすれば何かの拍子で選び取った、今来た道をそのまま進めばいい。
どこをどう通ったっていずれは必ずあそこへ戻れるのだから、
必要以上に怖れることも不安になることもいらない。
どっしり構えていればいい。
すーっと自分の中に落ちていくものがあった。

落ち着いてから、事後のカウンセリングを受ける。
ワークの余韻が残り、かなりぼうっとしている。

「みなさん、1回目でこんなになるもんなんですか」
「いや、かなり珍しいですね」
「それって、どういうことなんでしょうか」
「うーん、私がよく言うのは、
1回目で深い体験をされるというのは、
それだけ機が熟していたということです。
ぎりぎりのところに来ていたというか…」

そうか、私の自我は気づいていなかったけど、
道に迷った私の魂が今いる位置と目指す方向を確認したくて
悲鳴をあげていたってことなんだな…
それを自我が抑えつけて無理させちゃって…
かわいそうに魂くん、ごめんね魂くん。

自我と魂の足並みが揃っていなかったから、
私は追い詰められたのかもしれない。
そこまでしないと魂が欲していることに気づかなかったとも言える。

だから魂がワークのキャンセルを阻止したのかもしれない、
と考えるのはこじつけが過ぎるだろうか。
そしてこの経験を通して、自我とは違う意識体 
—ここでは魂と勝手に呼んでいる—
が私の身体に宿っているらしいということを知った。

ワークの最中、流れに身を委ねる自分とそれを見つめる自分。
泣いたり、わめいたりしていても、もう一人の自分が
「このワークを開発したグロフってすごいなあ。やっぱ天才」
とか
「この体験を誰に話そうかなー」
などと恐ろしく冷静に考えを巡らせているのだ。
人間の意識はいくつかのレベルがあると
本を読んで頭では理解していたけれど、
それを実感できたのはひとつの大きな収穫だった。

そして私の魂は「帰る場所」を思い出すことによって
精神世界との新しい関わり方を私に見出させようとした。

つまり
ほんとうは精神世界に興味があるくせに
呑み込まれまいとふんばり
目に見えないものに惹かれるアブない人という
世間の誹りを受けないよう「知りたい」欲求を
ギリギリと抑えるという屈折した態度を続けてきた。
その結果、心のエネルギーが行き場を失ってしまい、
諸々の問題として浮き上がってきたのではないか。

一回目のカウンセリングの時、Nさんに
「スピリチュアルなことを特別視しすぎていますね。
物質世界と精神世界は表裏一体ですから」
と言われた意味が今回わかった気がする。
物質世界と精神世界の間に断絶はない。
2つの世界は同一線上にある。
このことをボディワークを通じて文字どおりからだで理解したようだ。
魂が帰る場所を見つめていれば迷うことはない。
魂の故郷を目指して物質世界の道を歩いていく。
これが私なりの世界への新しい関わり方なのかもしれない。

またこの時期にこの体験をしたことにも意味があるように思う。
物質世界でもまれて自我もそれなりに強くなり、
心の奥に下りていっても溺れる危険が少なくなった。
そろそろいいだろう、と “上”からお許しをいただいて
今回の体験に至ったような気がするのだ。

こう並べると私がかなり達観してしまったように思われるかも
しれないが、残念ながらそんなことはない。
相変わらず、職場のイヤな人はやっぱりイヤな人のまんまだし、
取り組まなければいけない課題は山積みだ。

だけど、ワークを通して複雑に絡み合っていた諸々の問題が
ふるいにかけかられ、今一番大事にしなければいけないことだけが
自然に手のひらの上に残ったようだった。
今からは、そこに注力すればいい。
そうすれば残りの問題は後から片付いてくるだろう。
そう腹が決まった。

残日常生活の中で、この感覚が薄れていくのは
ある程度仕方のないことかもしれない。
けれど、また道を踏み外しそうになったら、
魂が軌道修正をしかけてくるに違いない。

−終わり−

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