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僕の背中を押し続けたラジオが40年経ってまた押している

深夜のAMラジオがスマホのradikoに変わった日

転校生だった僕の友達は深夜のラジオだった。僕の世代では、深夜に流れるオールナイトニッポンを欠かさず聞いていた派と、それから後にFMラジオで海外から届く洋楽を、当時はエアーチェックなんて言葉があったほどに、外国の音楽を聴いていた派といた。

前者の僕は、松山千春や中島みゆきなど、シンガーソングライターが自分の曲をかけ、リスナーのハガキを読んで、僕もひとりじゃないんだなっ。ラジオの前にこんなにも仲間がいるんだな。そんな人の温もりを毎晩毎晩感じながら寝落ちしていた。

学校生活よりも深夜の時間に生きていた

毎晩毎晩、夜深く、というよりも朝日が昇る頃までラジオを聴いていたものだから、ほぼ寝たんだか寝てないんだかわからない状態で学校へ通っていた。
当然授業はほぼ居眠りしていた。先生にはお前の目は死んでいる。なんて漫画のヒーロみたいなことを言われたこともあったけど、つまらない学校の授業よりも、もっと大切なものが、深夜ラジオの中で学んだ気がする。

世の中の理不尽なこと、人間にはどうしても越えられない非平等な社会。努力は報われるとは限らない。むしろ努力しなくとも上手くやれる奴も多い。でも、真面目にコツコツと、一本の芯の通った生き方をしなければ、自分に嘘をつきながら生きることの辛さを教えてもらった。

中島みゆきの最後のハガキ

中島みゆきのラジオの最後のハガキのコーナーは有名だ。グーグーガンモと例えられる彼女の声と話し方が面白いけれども、リスナーから届く番組最後のハガキコーナーの、彼女の話し方や対応は本気の語りになる。

ただ優しい言葉をかけるだけじゃない。綺麗ごとを並べるわけじゃない。現実をしっかりと受け止めて、それでも明日へ歩むヒントをくれる。そしてそれを聴いているリスナーたちは、自分のことの様にそれを受け止めて、自分の生きるバイブルのページに刻み込む。

この「最後のおハガキ」というコーナー、
リスナーから来たハガキをみゆきさんはかなり大事に選んでいたらしい。
バカな話をして笑わせておいて、最後の一枚だけは、少し空気が変わる。
誰かの悩みだったり、誰かの人生だったり。
僕は知らなかったのだが一度だけあまりにも大きな悩みだったのか、名前だけを読んで内容は読まなかったこともあったという。という話を聞いた。
「私には簡単には答えられない」
そういうことを言えるラジオだった。

弱音だって吐いたっていい

いつでも自信満々に夢を語るばかりではない。自身の弱さや切なさ、いたたまれない理不尽なことさえもリスナーに晒し、語るラジオの向こう側にもひとりの人間がいるんだ。そう感じさせてくれた松山千春。
受けた恩は返さなくてはならない。もらったものはいつかは次の人へ伝えなければならない。例え辛い出来事があっても、人は生き続けなければならない。人生はいつ何が起こるかわからない。まるで人生は旅の様だ。明日突然何かが起こるかもしれない。起こらないかもしれない。
だから人はまっすぐに歩み続けなければならない。疲れたらこのラジオの前で気持ちを休まればいい。

転校生でなかなかクラスに馴染めなかった僕は、ひとり部屋でギターを弾き松山千春を歌っていた。ある日たまたまクラスメートとそのラジオの話になった。なんだお前も聞いていたのか?松山千春ファンなんだ!それからすっかり意気投合して、松山千春のコンサートのスタッフのアルバイトに2人でよく出かけていき、ポスター貼りのバイトで市内をかけずり回った記憶が蘇ってきた。

みなさんも同年代の方なら、似た様な経験をお持ちだろうと思う。

特に中島みゆきファンは肩身が狭かった。
あの暗い歌を歌う人でしょ?恨みま〜す。って。あぁ怖い。
そんなことを言われたこともあり、大人になって中島みゆきファンは、当時はファンだと公言できない少年時代を過ごした。という話で盛り上がるのが「中島みゆきファン」あるあるだ。
先日もSNSのコミュニティでこの話で盛り上がりました。

あれから40年の時が経ち

そんな僕も社会に出て、満員電車に揺られて、通勤電車の中では、事務所につくなり昨日のメールを送らねば、昨日届いた資料を確認して上司に伝えなければ。心も休む暇さえない。
シャワーを浴びても仕事。晩飯を食べながら、テレビのバラエティを見ながら明日の会議のこと。
24時間戦えますか?世代は24時間頭の中は仕事です。
あのCMソング覚えてますよね?

けれども今やスマホの中にradikoがある。

昨日の夜に配信された松山千春のラジオを、翌日の朝に通勤電車の中で聴くことができる。
それからの僕は毎週月曜日の朝の通勤電車が楽しみになってきた。無駄な時間だった空間が、ラジオを聴く楽しい空間に変わった。
若い人たちはショート動画や漫画を読んでるんでしょうが、僕はラジオを聴いてます。
先日も同世代と思わしき、いつもの車両のいつものおじさん。スマホの画面には、あっ!それ僕も同じアルバム持ってますよ!と話しかけるかかけないか迷いながら降りる駅に着いてしまいました。

歳を重ねても昔のままで

流石に僕も中高生のイキがってる少年ではなくなったし、松山千春もフサフサだった髪の毛はなくなり、今やおじいちゃんと呼ぶに相応しい人相に変わった。
それでも、ラジオの中で語る話は相変わらず、この日本の行末を心配し、何か自分たちの手でできることはないのだろうか?例えできなくとも、やろうとする気持ちは消してはいけない。例えこの身が終わる時まで、この心の灯火は灯し続けなければならない。しばらくラジオを聞かなかったけれども、ラジオの向こうもこちら側もひとりの人間。この40年の間に、お互いがお互いの人生の時間を過ごしていた。
そしてそんな同じラジオを聴いて過ごして、そして今日まで生きてきた同輩たち。
顔も見たことのない戦友。

松山千春は無名の頃から、ラジオに育てられた。そしてラジオで有名になり、ラジオでファンを増やしていった。

だから今でもラジオにこだわる。SNSでもない、ブログでもない。全てラジオから想いを伝える。彼の生の声で、生のニュアンスで、微妙な表現をリアルな声で伝える。

だからラジオはあたたかい。

なんて言ったって
松山千春のコンサートに
二十代の若者がやってくるんですよ!このご時世に(笑)

#わたしとラジオ

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