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どんな「意識」を採用するか

気がつくと、《今ここ》にいない。

まだ見ぬ未来の、 影のような不安にフォーカスして、
無意識の自動運転で、 味気ない景色の中を走り続けてしまう。

「意識」とは、なんて刹那的で、
こんなにも自然に「自分」と同化していくものなのだろう。

ふと我に返ったとき、 自分がどこを見ていたのかに気づく。

ハンドルを離し、
助手席で流れていく不安を眺めていただけの自分に。

そうか、
不安や恐怖、不足感というのは、
「自分」ではなかったんだ。

刹那的に流れる「意識」を「自分のもの」と信じ、

どうしよう
どうにかしなきゃ
やっぱりだめだ

そんなふうに捉えて、
「自分ではないもの」をなんとかしようとしていた。

だから、
今日はそのフォーカスする自分を注意深く観察してみる。

何か活動しているときも、
ぼーっとしているときでさえ、
自分がどんな「意識」に向かっているのか。

その向かう先は、
“自分が望んでいること”なのか。

望んでなどいないのに、
体験したいと思っていないのに、

その意識を“採用”することを許可していたのは、
自分だったんじゃないのか。

そんな視点を持てたのなら、
《今ここ》で見える景色が変わっていく。

目の前の、なんてことのない風景。

交わされる、何気ない言葉。

日常で出会う、いつもの人々。

普段の自分なら、
つまらないと、平凡だと決めつけて、
光を当てずにいた日常の一点。

そこに意識のスポットライトを、
《いま》という一点にぐっと絞り込む。

すると、世界が色づき始める。

解像度が上がり、世界が鮮やかになる。

世界に温度が生まれ、温かさを帯びる。

一分一秒の“濃度”が、深くなっていく。

そこにあるのは、 不安でも、恐怖でもなく、
ただ静かに溢れ出してくる、“愛おしさ”。

「ああ、いま、私はここで生きている」

その実感が、
不安や恐怖という意識にフォーカスしていた自分を、
鮮やかで、温かくて、深い愛おしさに満ちた《今》に還らせる。

はじめから、不安などなかった。

はじめから、幸せはすぐそばにあった。

それを、あなたが思い出すだけ。

その世界を、
その意識の向け方を、

あなたが“創造”するだけ。

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