アイデアの鮮度
文章を書くことが子どもの頃から好きだった。
小学生のときに通っていた塾で、創作物語を自由に書く課題があって、鉛筆とか消しゴムとか文房具を擬人化した冒険物語を書いた。
原稿用紙17枚、約7000字。
小学生としてはなかなかの長編物語笑
当然授業内で終わる量じゃなく、宿題として持ち帰る。
宿題というものに何のやりがいも意義も見出せないふつーの小学生だったけど、この塾の宿題だけは時間を忘れて取り組んでいた気がする。
文章を書くというのは、僕にとって好きなこと、ただそれだけでなのであって、得意だったわけではない。
中高の国語の成績はMAXの評価を取ったことは一度もないし、大学の小論文授業の最終テストで提出した課題では評価がCだった。
また、小学校でよく出される「遠足の作文」なるものは、書くことが思い浮かばず、1枚書き終えることさえ苦労するほどだった。
要は、自由に設定したり想像を膨らませて書くのが好きなだけであって、事実に基づいたり、自分の考えを筋道立てて論理的に書くようなものは、ほとんど振るわなかった。
楽しいと感じられず、上手く書こうという意欲も湧いてこない。
少しは我慢して努力してスキルを身につけていれば、もしかしたら今仕事として定着していたかもしれない。
と思うと少しもったいなかったなぁとも感じる。
僕にとって文章を書くというのは、「伝えたい」や「伝えなきゃいけない」といった動機はあまり生まれない。
「伝えよう」とした瞬間に、“どうやって分かりやすく書こうか”というテクニックに入り始める。
「伝えるべき」と思った瞬間に、自分が展開しようとする主張の“必要性”について考え出す。
それは正直、自分にとって楽しい作業ではない。
何か、源泉から湧き出ているものから遠ざかっていく行為である気がする。
最近気づいたのが、「文章を書く時間」よりも、「文章になる前のアイデアや言葉単体を思いつく時間」の方が楽しいんだなということ。
この表現いい!
この例えはおもろい!
この主張はいかす!
そのようなビビっときた“ちょっとしたフレーズ”を頭の中で拾い上げる作業。
そのまとまりや一貫性のない単語や表現を並べて、「なんだか文章にしたら楽しそう🎶」と1人でワクワクしている時間が好きなんだと気づいた。
その後の、実際に文章にしていく作業。
実はこれはあまり面白くなかったりする笑
というのは、文章にするということは、結局は何か意味が通っていたり、読む人が理解できるよう“色付け”しなければならない。
その色付け作業は、自由から何かを選ぶというよりも、いくつかの決まったパターンから“最もらしいもの”を選ぶ作業に近い。
そうしていくうちに、文章にする前に思い浮かんでいたアイデアや言葉は鮮度を落としていく。
結局、書いていくうちに「やっぱやーめた」ってなることもある笑
そう、まだ鮮度のあるピチピチの言葉たちを頭の中で釣ったりリリースしたりして、「美味しく料理ができそう🎵」と船上の興奮を僕は楽しみたいだけなのかもしれない。
そして船から降りる頃は、釣った言葉の鮮度は既に落ち始めていて、「あっ、やっぱ今日は料理めんどくさいかも」と冷めている笑
こんなんだから、アイデアが浮かんでからどれだけ早く書き始めるかで、完成する文章も変わっていく。
推敲すればするほど文章は洗練されていくはずなのに、考えれば考えるほど最初の“ビビッとくるひらめき”から遠のいていく。
アイデアや言葉の解像度は、その瞬間瞬間で変わっていくもの。
そう考えると、アイデアや言葉というのもまた、
《今ここ》にあるものなのかもしれない。
