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hoshizoramochi
「流れる世界」を見つめるという視点
日常の中で起きる、一つひとつの意思決定。
それはいつも、「感情」に左右されている。
嬉しかったら好意的に反応して、
イラっときたらムスッとしたり、言い返したり。
でも、その感情は、
本当に「自分のもの」なのだろうか。
悲しみや怒りなどの渦に溺れてしまうと、 私たちはその世界に、どっぷりと没頭してしまう。
だけど、その世界は、
本当に「自分がいる場所」なのだろうか。
ふと現れた感情を採用してしまったり、 没頭してしまっている自分に、気づいてみる。
一歩引いて、その感情に巻き込まれてしまっている自分を、 外側から見つめてみる。
すると、本当のあなたは、その渦中にいるのではない。
目の前の現象を、
“外側から眺めている存在”だったことに気づく。
ただ、怒りという、悲しみという感情に即座に反応し、それを自ら選び、 そのレンズを通して世界を見ていただけに過ぎなかったのだ。
外側から眺めることに慣れてくると、
感情とは「ただ流れているもの」だったことに気づく。
湧き出ては流れ、流れては消えていく。
その一つひとつの場面で、私たちは発生した感情に反応し、 その流れる世界を、肉体を通して体感しているだけ。
だから、この世界の始まりは、いつだって“感情”から。
私たちは、この世界で起きる出来事を体験したり、何かを達成しにきたのではない。
世界を通して発生する、「感情を体験」するためにやってきた。
だから、この世界の出来事は、
体験として“ただ味わう”だけでいい。
そこに意味や功罪を見出そうとしなくていい。
ただ自然発生的に流れていく世界に、良いも悪いもないのだから。
だから、あなたは、ただ単に、
眺めていればいい。
