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“不器用”な僕がやりたいこと

僕は昔からずっと“不器用”で。

手先が器用じゃないとか、要領が悪いとか、そういうこともある。
でも一番の不器用さは、「他人のせいにできない」というところだった。

「人のせいにしない」って、聞こえはいい。

教育的にも正しいとされてきたし、周りから
「ともちゃんは人の悪口を言わないよね」
なんて言われることもあった。

それはそれで、評価としてはありがたかったのかもしれない。

でも、不器用さゆえに、選択肢は一つしかなかった。

期待に応えること。
組織としての責任の中心にいて、役割をこなすこと。

自分と他者のあいだに“責任の境界線”を引けず、
期待を裏切って気まずくなることに耐えられなかった。

だから、「引き受ければ成長する」という考えにすがって、

『僕がやらなきゃ』
『僕が解決しなきゃ』

ずっと奔走しつづけてきた。

その結果、ある程度の評価や立場、肯定感は得られたと思う。
それはそれで、満たされる経験だった。

でも、最後にはどうしても残る感覚があった。

なんか、ちがう…

走りたいから走っているわけじゃない。
“必要”に迫られて、追い立てられるように走っていたんだと思う。

時が経ち、
“自分らしく生きる”“在るがままの自分”という言葉に触れるようになってから、
僕は《無理して走ること》を少しずつやめた。

それまで周りのために全力で走ってきたやつが、
ある日突然、走らなくなる。

そして突然、《人のせい》にしだす。

不器用だから、バランスや力加減が、よく分からない笑

きっとそのぶん、誰かを困らせたり、失望させたり、寂しい思いをさせることもあるだろう。
それを自分なりに感じるときもある。

でもそれは、かつて僕が「人のせいにするのが怖い」と思っていた、そのもっと奥にあった、

『失望されるのが怖い』
『悲しませるのが怖い』

という深いところにあるわだかまりに、ようやく触れているのかもしれない。

ようやく選びはじめた“在るがまま”の道では、
避けてきた体験や感情を、味わうことになる。

辛いなと思うこと、ひどいなと思うことがある。

なんか、ちがうかも…
って、今に至って感じてしまうときもある。

かつての僕と、いまの僕。
どちらがいいのか、まだよく分からない。

“マイナス”と“プラス”の両方を味わった先で、
何を選ぶのか。

どちらかに優劣をつけるのか。
それとも、すべてを受け入れるのか。

そして、味わい尽くした先でたどり着く“結果”は、実は何でもよい気もする。

その道で起きる出来事、湧いてくる感情、
それをただただ味わうこと。

それ自体が、《やりたいこと》なのかもしれない。

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