24時間先の島 | 小笠原 (東京都)
就職したら、しばらく長い休みを取れなくなるだろう。その前に、まとまった日数がないと行けない場所へ行っておきたい。
そう思っていろいろ考えた末に選んだのは、地球の裏側ではなく、小笠原諸島だった。
小笠原へ行くには船に乗るしかない。
東京から出る定期船「おがさわら丸」は、片道24時間かけて小笠原の父島へ向かい、現地で3泊停泊したあと、また24時間かけて東京へ戻る。つまり、行って帰るだけで最低5泊6日が必要になる。
24時間もかけて行く場所に3泊しかしないのは、さすがにもったいない。
僕は帰りの船をひとつ見送り、11泊12日で島に滞在することにした。
宿泊先に選んだのは、繁華街から少し離れた、寝室が三部屋だけの小さな民宿だった。居間とキッチンは共同で、管理は、そこに長期滞在しながら島で働く女性に任されていた。宿泊客は彼女と僕だけで、ルーム・メイトと暮らしているような感覚だった。
朝起きて、仕事へ向かう彼女を見送り、日中は気ままに過ごす。
ホエール・ウォッチング以外、特に予定は入れなかったので、原チャリを借りて島を一周したり、海に潜ったり、ガジュマルの森でぼーっとしたり。
同居人が働いているので、なんだかヒモ生活の疑似体験をしているようでもあった。別に家賃を払ってもらっているわけではなかったのだが。
夜は、ほぼ毎日、彼女の友人たちも招いて自炊料理を囲んだ。
「これは島でとれた魚と卵。これは島トマト、甘いでしょ。これはパッションフルーツ、島でとれるんだよ。」
長期滞在の人たちは清々しいほど島自慢をする。そしてそれが料理の味をさらに美味しくしている気がした。
食事の後は、宿の近くにあった「ヤンキー・タウン」というバーによく通った。繁華街から少し離れているせいか、客は長期滞在の若者が中心だった。
バーのマスターは、米国統治時代にこの島に生まれ、返還後いったん日本を離れ、二十年ほどアメリカで暮らしたあと、再び島に戻ってこの店を開いたという。
断片的に語られる彼の話からは、この島に、そして彼自身の中に、二つの国のアイデンティティが複雑な層のように重なっているのを感じた。そして、その層の上にある穏やかな笑みは、不思議な安心感を与えてくれた。たぶん、その安心感が、このバーに人を集めていたのだろう。
島に長く滞在している人たちは、自分の過去の話をあまりしない。そして、過去に触れないほうがいいんだろうな、という空気があった。
過去に触れないということは、未来にも触れないということでもある。
普段の会話は、そのどちらかに触れていることがほとんどだ。でも、この島では、それを互いに求めなくていい、という暗黙の約束があるように感じた。
だから、僕らは今のことばかりを話した。
このバーで、やたら流行っていたカシス・ウーロンを飲みながら。
本州まで船で24時間。そんな場所だからこそ存在する優しい時間だった。
再び「おがさわら丸」に乗って東京へ帰るとき、島の人たちを乗せた何艘ものボートが沖まで出て、見送ってくれた。
ボートのスピーカーから大音量で流れていたのは、MIYA & YAMIの「神様の宝石でできた島」。
遠ざかっていく島に、あまりにも似合いすぎる歌だった。
Ogasawara, Tokyo, Japan, 2000

