いつの間にか決まっていく日本の政策—高市政権の政策決定はなぜこんなに速いのか
はじめに:なぜ高市政権下では安全保障政策がスピーディに決定していくのか?
現在、日本の安全保障政策は、かつてないスピードで、しかも国民の意見が届かないところで劇的な変化を起こしている。殺傷能力を持つ武器の輸出解禁、情報機関の再編である国家情報会議(NIC)の創設は着々と進み、さらに「非核三原則」の見直しが控えている。
最近では、皇室典範の改正が行われそうである。安定的な継続の議論は長年続けられてきたが、ここに来て急いで結論を求めている。
なぜ、これほど重大な政策が、議論もなく進んでいくのか。
本当に、与党の議席数や政治力学だけで説明できるのだろうか。
上の記事によれば、中道改革連合が「旧宮家男性系報道男子を養子として皇族に受け入れる案」を事実上踏まえたことで、今国会での法改正が現実的なものとなった。中道の笠浩史本部長が「養子案を認めることも考えられる」と発言し、党内でも大筋了承されたためである。 立憲民主党の一部には戸惑いも残るものの、国会内の多数派形成はすでに固まりつつあり、この流れを止める力にはなっていない。
注目すべきは、国会内における圧倒的な賛成多数の形成である。ここに中道改革連合が加われば、賛成派は全体の約9割に達し、国会内の多数派形成は事実上完成する。政府は今月中に「立法府の総意」を取りまとめ、6月には改正案を国会に提出する予定だ。
確かに、議会制民主主義において「国会議員の9割が賛成する」という事実は重い。 しかし、問われるべきは、憲法と同じ重さである皇室典範が、その9割の賛成により行われてしまうということは、国民の深い理解と広範な議論を経た上での「国民総意」を反映していると言えるのか。そうではないのに、国民投票がなく、国民不在の制度変更が起きているという点である。
実際には、議論は永田町という閉じた空間で急速に収束し、国民にはメディアを通じて「もう流れは変わらない」という結果だけが伝えられる。
この流れに違和感を感じる人は多いであろう。
高市政権下で見られる「国民不在」の連続性
皇室典範の改正をめぐる今回の動きは、単なる皇室制度の議論にとどまらない。 国民の多くが慎重な議論を求めているにもかかわらず、国会内では短期間で賛成多数が形成され、反対していた議員までもが政局の力学の中で態度を変えていく。この「国民不在のまま制度が変えられていく」構図は、皇室典範に限られた特殊な現象ではなく、日本の政治制度そのものが抱える構造的な弱点の表れである。
日本では、首相権限が海外と比べて強く、議会・司法・情報公開といった民主的ブレーキが制度的に弱い。そのため、国民的議論を経ずに国家の根幹に関わる制度変更が進みやすくなる。
皇室典範の改正で見られる「国民の意思が反映されないまま結論が先に決まっていく」現象は、実は安全保障政策の領域でも同じように起きている。
そして、この“国民不在の意思決定”を最も強力に制度化しているのが、2013年に創設された国家安全保障会議(NSC)と特定秘密保護法である。
本稿では、この“国民不在の制度変更”を生み出す日本の政治構造を、 2013年に創設された国家安全保障会議(NSC)と特定秘密保護法を中心に考察する。 これらの制度がどのように政策決定を密室化し、 その結果として、どのように国家の根幹が国民の知らぬ間に書き換えられていくのか、その最終目的を明らかにする。
2013年創設、日本版NSC国家安全保障会議の正体
2013年、安倍政権下において日本版NSC(国家安全保障会議)が創設された。米国のNSCをモデルにしつつも、日本版は独自の「強い密室性」を備えている。
最大の問題は、意思決定のプロセスが国民から完全に見えない点にある。
少人数による決定:わずか4人の閣僚(首相+閣僚3人)で、国家の方向性が決定されてしまう。
国会の関与が弱い:米国のNSCが議会の強い監視を受けるのに対し、日本版は行政府に権限が集中し、事後報告も形式的である。
議事録の非公開: NSCの最高意思決定機関である「四大臣会合(首相、官房長官、外相、防衛相)」の議事録は原則非公開で、公開されても黒塗りが多い。
メディアの検証が困難:特定秘密保護法によって情報が秘匿され、報道機関も中身を追いにくい。
このNSCとセットで成立したのが「特定秘密保護法」である。 この法律はいわば、NSCという「ブラックボックス」にかけられた強固な鍵である。政府が「秘密」と指定すれば、その国民が検証する術は失われる。
このNSCと特定秘密保護法が組み合わさった瞬間、日本の安全保障政策は「国民の目の届かない場所で決まる」構造へと転換した。
高市早苗氏と「安倍路線の継承」
2013年当時、自民党の政調会長として政策決定の中心にいたのが高市早苗氏である。 彼女は安倍政権の安全保障政策を支え、その制度設計の延長線上にいる政治家だ。
高市政権が行っているのは、新しい政治ではない。
2013年に作られた“密室の装置”を継承し、ためらいなく最大限に稼働させているだけである。
武器輸出の拡大(5類型の廃止):これまで「救難・輸送・警戒・監視・掃海」に限定されていた武器輸出の枠組みを撤廃し、殺傷能力のある武器の輸出に道を開いた。国会での十分な議論は行われていない。
NIC(国家情報会議)の構想:各省庁の情報を一元化し、NSCの下に置く構想が進んでいる。
非核三原則の見直し:武器輸出拡大を前例とし、「持ち込ませず」の見直しが現実味を帯びている。
これらはすべて、2013年に作られた「密室で決められる仕組み」があったからこそ可能になった急速すぎる既成事実化である。
私たちが払わされる「将来のツケ」
このように、国民の合意形成を軽視したまま進められる政策について、進めた政治家が責任を負うことはない。
一方的に決められた政策によって、将来、私たちは、どのようなツケを払わされるのか。
・「意図せぬ紛争への加担」
輸出した武器が他国での殺傷に使われれば、日本はその紛争の当事者として憎悪の対象となる。精度の高い日本製の武器が第三国に流れ、巡り巡って日本に向けられる可能性や、使用していなくても「日本製=攻撃した」と認定されることもある。これは、現に米国などが長年悩まされてきた問題でもある。 “blowback(ブローバック)”
・「民主主義の空洞化」
一度「密室での決定」が常態化すれば、選挙で選ばれた議員による議論も、主権者である国民の意見も空転する。
・「経済的・外交的負担」
軍備拡張や情報戦の強化は、際限のない軍拡大競争を招き、維持費を発生させ、社会安全や教育に回るべき予算を圧迫し続ける。
ここで、海外ではNSCがどのように運用されているのかを確認しておきたい。
密室政治を可能にする制度構造——米国との比較から見えるもの
日本のNSCが抱える問題点を理解するためには、対照的な仕組みを持つ米国のNSCと比較することが有効である。
海外、特に米国では、国家安全保障会議(NSC)が暴走しないように複数の制度的ブレーキが組み込まれている。 大統領がNSCで方針を決めても、軍事行動や予算、条約の締結には議会の承認が不可欠であり、議会は強力な監視権限を持つ。さらに、情報公開法(FOIA)によってNSC関連の文書が開示され、司法も行政権を抑制する役割を果たす。 つまり、米国のNSCは「強いが、必ず止まる仕組みがある」構造になっている。
一方、日本のNSCは、議事録が原則非公開で、国会の関与は形式的な事後報告にとどまり、特定秘密保護法によって情報の検証も困難である。 さらに、日本では首相権限が海外と比べて強く、議会・司法・情報公開といった民主的ブレーキが制度的に弱い。 そのため、海外と比べて「首相の判断がそのまま国家方針になる」構造が強く、意思決定のスピードが速い反面、国民的議論が置き去りにされやすい。
この構造の上で、武器輸出拡大、国家情報会議(NIC)の創設、非核三原則の見直しといった重大な政策が、短期間で既成事実化が可能なのである。
冒頭の皇室典範の改正と、安全保障政策をNSCで決定する仕組みは、一見するとまったく別の領域に見える。 前者は皇室制度の問題であり、後者は外交・防衛の問題である。 しかし、両者には決定的な共通点がある。
どちらも「国民の意思が制度的に反映されにくい構造の上で進められている」という点である。
皇室典範は、国民投票を伴わない通常の法律として扱われ、与党の多数があれば改正が可能だ。 国民の多くが慎重な議論を求めていても、国会内の力学で結論が先に決まり、反対していた議員が態度を変えれば、そのまま成立してしまう。
つまり、立法(皇室典範)と行政・安保(NSC)はルートこそ異なるが、「国民不在のまま国家の根幹が変えられていく」という構造は同じなのである。
「改憲」とNSC国家安全保障会議・特定秘密保護法の関係
そして、この流れの先にあるのが、2012年に自民党が公表した憲法改正草案に沿った「憲法改正」という最終的な制度変更である。
9条に関することが注目を浴びやすいが、
同草案は、
国家権限の強化
緊急事態条項の導入
国防軍の創設
国民の義務の拡大
といった、国家の枠組みそのものを大きく書き換える内容を含む。
皇室典範の改正も、NSCによる政策決定も、 いずれも国民の意思が制度的に反映されにくい仕組みの上で進められ、 その結果として、国家の枠組みそのものが国民不在のまま書き換えられていく。
つまり、2013年、安倍政権において制度として準備されたNSC安全保障会議という“密室で決められる装置”は、 13年経った今、継承者である高市早苗氏によって憲法改正という国家の根幹の書き換えへとつながる“レール”として機能しているのである。
「改憲」これこそが、私たちが将来払わされる「ツケ」の本質である。
この構造を理解することこそが、 現在の日本政治を読み解く上で避けて通れない視点である。
※高市氏が「何度も読み直すほど好き」と評する自民党憲法改正草案は2012年版であり、その翌年NSC国家安全保障会議と特定機密保護法が設立された。
今、私たちが向き合うべきこと
本来、民主主義国家において安全保障政策は、最も透明性が求められ、最も時間をかけて議論されるべきものである。
今、「決断できる政治」という言葉の裏で、国民の同意なき既成事実が積み上がっている。 これは、国民の軽視を継承していると言わざるを得ない。
私たちが「いつの間にか決まっていた」と感じる政策の多くは、 2013年に制度として準備されていた“密室のレール”の上を走っているにすぎないことは明白である。
高市首相は、海外情勢を理由に改憲を「待ったなし」と言うが、こうした密室政治を可能にしている国家安全保障会議そのものの存在こそ、「待ったなし」で問い直すべきではないか。
