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「神の力」が弱まった国の「偶像崇拝」を活写した『イン・ザ・メガチャーチ』は現代の必読書【書籍紹介】

「推し」は、感情を豊かにしてくれる。
「推し活」で、行動範囲も交友範囲も広がる。
 
コロナ禍前、女性誌の記事執筆のために私がインタビューをした識者は、こんなことを語っていた。「推し活」という言葉がもう少しふわっとしていた時期だった。
 
過去に、推し活を推奨する記事を書いたことがある私が大きなダメージを受けた本がある。
 
朝井リョウの小説『イン・ザ・メガチャーチ』(日本経済新聞出版)だ。
 
「推し」にのめりこんでいく人、ファンを「信徒化」させるための物語をデザインする人、唯一の心のよりどころだった「推し」を失って虚構の物語に没入していく人。3人の登場人物を起点に物語は展開していく。
 
読者には「高見からの視点」が許され、今まさに多幸感や充実感を味わっている登場人物の根底にある孤独や不安を俯瞰(ふかん)しながら、彼・彼女たちが吸い寄せられていく深淵を垣間見る構成となっている。背筋が寒くなるのに、読み進めずにはいられない。
 
不安や不満を抱えた登場人物が「推し」(応援の対象)を発見し、日常の景色を「推し」だけに絞りこんでいき、やがて身近な人間関係をおろそかにし始め、生活や教育に充てるべきお金を使いこみ、虚実入り混じる物語に過剰にのめり込んでいく様子は、なんだかカルトにハマっていく信者をみているようだ。
 
はっきり言って、今年読んだどんなサイコスリラー小説より怖い。
 
大好きな推しを喜ばせたい。そのためにできる限りのサポートしたい。魅力や喜びを「推し仲間」と共有したい。願わくば、その喜びを誰かにおすそわけしたい。ふくらむ一方的な思いは独善的なものに発酵していき、その先に、誰も喜ばない破滅が待っている。
 
信徒的気質のファンは、過去にも一定数存在したと思うが、現在はファンを没入させるためのストーリーを戦略的かつ組織的に紡ぐ人がいる。そのストーリーは、身近な人との雑談よりも魅力的で、神にさえすがれない現代人の孤独を麻痺させる。

<人間は1人では生きていけないのに、自立を求められるから苦しい。人に頼れず、物質か、神格化した人物か何かに頼るほかないのが依存症。現代の病です。>

同著を読んでいたら、「“自立”とは、社会の中に依存先を増やすこと」という言葉があらゆる場面で引用されている小児科医の熊谷晋一郎氏の言葉を、思い出した。
 
現代は「推し」への依存状態を誘発するトラップがあちこちに仕掛けられている。しかも、それは、アイドルや歌手だけにかぎらない。
 
同著では、「ファンダム」を大きくするためのマーケティング手法についても語られており、宗教や自己啓発の分野でも、その手法が活用されていることに触れられている。
 
折しも先日、私は、電車で読んでいた同著を閉じて、某駅に降りた。すると、とある政治家を「推す」グループと、対抗の理念を「推す」グループが、大声で怒鳴り合って、火花を散らしていた。
 
ハタからみると、それぞれのグループが全く異なる物語に没入し、めいめいに巨悪と闘っているように見えた。グループの中だけで響く言葉を共鳴させ、仲間内で怒りを共有しながら、脳からドバドバ出るアドレナリンで充実感も味わっているようにも見える。通行人たちは、2つのグループと少し距離を取りながら、スタスタと歩き去っていく。
 
これも「応援している人がいる」という点で、「推し活」の1つの形なんじゃないか……と、私は思った。
 
――と、そんな風に、私は、自分の目で見た「現実」と「小説の世界」をつなぐために、気づくと、勝手に物語を紡いでいた。その物語だって、私の妄想かもしれない。
 
というわけで、朝井リョウは、令和最強の写実主義作家だと思う。 


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