月面拠点はもはや夢想ではない━━アルテミス計画の真実と人工冬眠が拓く深宇宙探査のパラダイムシフト
By Sphear
この記事でわかること:
月面で最初にインフラを作った国が覇権を握るという、電力を巡る現実
人工冬眠が実現すれば、100人分のリソースで1万人が宇宙に行けるようになる未来
月面着陸には引き返せないという恐怖があるからこそ、NASAが慎重に段階を踏む理由
人類が再び月を目指している。しかし、それはかつてのアポロ計画のような、冷戦下の国威発揚を目的とした単なる「到達」の証明ではない。
現在進行形で進められているのは、月面を持続可能な生活圏とし、さらには火星やその先の深宇宙へと向かうための「前線基地」として機能させるという、極めて野心的かつ現実的なプロジェクトである。
テクノロジーが加速度的に進化し、AIやロボティクス、さらには生命科学の領域までが宇宙開発と交差する現在、我々はどのような未来の入り口に立っているのか。
人工冬眠が拓く宇宙探査の未来 ── 人類は深宇宙へ行けるのか【Sphear #7】
2026年4月3日(金)
渋谷ヒカリエカンファレンス
パネルディスカッション
・石井 敦 (クーガーCEO)
・上野 宗孝 (JAXA 宇宙探査イノベーションハブ技術領域主幹)
・天野 真梨花 (進行役)

NASAのドラスティックな方針転換と「ゲートウェイ不要論」の衝撃
天野:本日は「月面拠点」を軸に、現在の宇宙開発がどのようなフェーズにあるのか、伺っていきたいと思います。
NASAは先日、これまで計画の中心に据えていた月周回ステーション、いわゆる「ゲートウェイ」よりも、月面そのものに投資を集中させる方針を打ち出しました。このように、月周回軌道から月面へと軸足をドラスティックに移しつつある背景には、一体どのような戦略的な意図が隠されているのでしょうか。
上野:まず前提として、これについては公式な見解はまだ何も発表されていないため、あくまで私個人の見立てとしてお話しさせていただきます。
基本的には、これはアメリカ側の「都合」によるものだと考えています。現在、アメリカにおいて開発が急ピッチで進められている月までの輸送システム、例えばスペースXのスターシップなどを想定してみると分かりやすいでしょう。あの巨大な宇宙船は、そもそも月周回軌道上にあるゲートウェイに立ち寄ることを前提に開発されていないのです。
天野:巨大な輸送船の登場が、計画の前提を覆しつつあるということですね。
上野:その通りです。当初の構想では、ゲートウェイに寄らないことを前提に開発されており、直接月面に着陸し、そしてまた地球へと戻ってくる。そうした運用を想定しています。彼らの感覚からすれば、直接行って戻ってくる前提でシステムを開発している以上、もはや中継基地としてのゲートウェイは「いらない」という判断に行き着きつつあるのでしょう。
では、ゲートウェイが不要になるならば、そこに投下されるはずだったリソースはどうなるのか。アメリカ全体としてのARTEMISプログラムに関わる宇宙開発予算を減らすわけではありませんから、必然的に行き着く先である「月面の拠点」そのものにリソースを集中させ、開発を劇的に加速させる。それが今回の方針転換の真の意図だと私は見ています。
天野:なるほど。輸送インフラの概念が、スターシップのような革新的な輸送手段の登場によって、たった数年で過去のものになりかねないという、テクノロジーの進化のダイナミズムを感じます。
しかし、日本もJAXAを通じてゲートウェイの計画に深く参画し、国際協力の枠組みの中でコミットしていたはずです。このNASAの方針転換は、日本にとって大きな影響、あるいはダメージとなるのではないでしょうか。
上野:結論から言えば、日本の取り組みが無駄になることはありませんし、大きなダメージを受けるという見方はしていません。なぜなら、日本の担当領域の中心の一つは「ECLSS(環境制御・生命維持システム)」だからです。
アルテミス計画全体を見渡したとき、日本の貢献の柱となるのは月面を走るローバー、ECLSS、そして輸送機です。このECLSSという人間が宇宙空間で生きていくための生命維持装置は、それがゲートウェイという軌道上のステーションであっても必要ですし、月面の拠点であっても、人間が存在する場所には絶対に欠かせないシステムなのです。
石井:そこは非常に重要なポイントですよね。
上野:ええ。ゲートウェイの入れ物、つまり巨大な構造物そのものの開発を多く担当しているのは、実はヨーロッパなのです。ですから、仮にゲートウェイ計画が縮小されたりスキップされたりした場合、構造物を担当するヨーロッパは多大な影響とマイナスを被ることになるでしょう。
しかし、日本のECLSSは「人間が生きていくための環境を構築するシステム」です。拠点の場所が軌道上から月面へと移ろうとも、その需要が消滅することは決してありません。むしろ、より過酷な環境である月面において、その重要性はさらに増すと言えます。
石井:人間が乗るローバーであれ、人間が住む月面拠点であれ、あるいは移動のための宇宙船であれ、基本的には「1人につき1つのECLSS」、あるいは空間ごとに必ずECLSSが必要になる状態ですよね。
ということは、月に居住する人間の数が増えれば増えるほど、その活動領域が広がれば広がるほど、ECLSSの需要は加速度的に拡大していくことになります。これは日本にとって、ビジネスという観点から見ても非常に大きなチャンスであり、強力な強みになるのではないでしょうか。
上野:おっしゃる通りです。どちらかと言えば、日本にとってはマイナスどころか、むしろ良い方向に向かう可能性が高いと見ています。

クーガーCEO
日本IBMを経て、楽天やライコスの大規模検索エンジン開発を担当。その後、日米韓を横断したオンラインゲーム開発の統括、Amazon Robotics Challenge上位チームへの技術支援、ホンダへのAI学習シミュレーター提供、NEDOクラウドロボティクス開発統括などを務めるほか、Enterprise Ethereum Alliance日本支部代表を担当。現在、人型AIプラットフォーム「LUDENS」の開発を進めている。スタンフォード大学2018年AI特別講義の講師。電気通信大学 元客員研究員。
JAXAと日本の勝機――「ECLSS」とルナクルーザーが描く月面都市
天野:日本の強みが明確になったところで、さらに具体的なプロジェクトについて伺います。日本は現在、トヨタ自動車などと共同で有人与圧ローバー「ルナクルーザー」の開発を進めています。今後の月面拠点全体において、このルナクルーザーはどのような役割を担っていくとお考えですか。
上野:ルナクルーザーは「ローバー」という名前が示す通り、基本的には移動するための乗り物です。しかし、それ自体が極めて高度な「居住システム」として機能するように設計されています。ですから、人類が月面で活動を始めた初期段階において、最も長く人間が滞在し、生活する場所は、どこかに建てられた固定の拠点建屋ではなく、ルナクルーザーの中になるかもしれません。
天野:乗り物がそのまま「家」になるということですね。
上野:そうです。さらに、実際の運用をリアルにシミュレーションしてみると、1台のローバーだけで月面を探索・移動するのはリスクが高すぎます。もし途中で故障して止まってしまった場合、助けに行く車がなければクルーの命に関わります。ですから、必然的に複数台のローバーを持っていくことになります。
そして、それらの複数台のローバーが月面のどこか一箇所に集まり、互いに連結したり固まったりすることで、それ自体が巨大な月面居住システム、ひとつの「街」のようなものを形成する。そういう考え方や使い道も十分にあり得るでしょう。
石井:その構想は理にかなっていると思います。移動体がそのままモジュール化され、結合してインフラになるというのは、非常に柔軟で現実的なアプローチですね。

JAXA 宇宙探査イノベーションハブ技術領域主幹
京都大学大学院理学研究科博士課程修了後、東京大学にて宇宙物理学分野の教員を経て、2009年よりJAXAへ移籍。赤外線天文衛星や金星探査機あかつき等,数多くの宇宙科学ミッションにおいて中心的役割を果たし,宇宙機関のPMとSEを取りまとめる国際委員会の議長等も務める。2019年よりJAXA宇宙探査イノベーションハブにて将来の探査に向けた共同研究活動の取りまとめを行いつつ,ムーンショット型研究開発プロジェクトのPMとして,AIロボットによる月・火星での自律的生命圏構築を目指すプロジェクトを牽引。取締役、顧問、特任教授などで多くの企業や大学に携わりながら、国内宇宙ビジネスの発展に向けた活動を推進している。
深宇宙のエネルギー問題と「放熱」という究極のジレンマ
天野:人間が月面で生活し、ローバーを走らせ、そして先ほどお話しいただいたECLSSを稼働させ続けるためには、何よりも莫大で安定したエネルギー源が不可欠となります。水資源の探査なども進められていますが、エネルギー問題についてはどう捉えられていますか。
石井:それに関連してお聞きしたいのですが、月面でのエネルギー源として「原子炉」を日本側で作っている、あるいは開発にコミットしていくという話もあるのでしょうか。
上野:それはこれからの政治的、技術的な判断になりますが、月面で求められるような特定の規模と高い信頼性を持つ原子炉をうまく製造できる企業というのは、世界中を見渡してもそれほど多くはありません。
しかし、その限られたプレイヤーのうちの1つは、間違いなく日本にあると思われます。ですから、今後の戦略や国家的な判断次第ではありますが、日本がその領域で力を発揮する可能性は十分にあると言えます。
石井:月面ではECLSSが各人やチームごとに独立した空間で絶対に必要になります。そして、それらを維持するためにはエネルギーも完全に自立していなければならない。だとするならば、「1つの原子炉」と「1つの居住空間(ECLSS)」を完全にセットにしてパッケージ化してしまうのが一番理にかなっているのではないでしょうか。
そうやってパッケージをモジュールのように接続して月面に構築していけば、仮にどこか一つの原子炉やECLSSが故障したとしても、他のモジュールへの依存や悪影響を遮断でき、システム全体がダウンするという最悪の事態を防ぐことができます。
上野:ご指摘の通り、モジュール化・パッケージ化は極限環境におけるフェイルセーフの基本思想です。実は、100キロワット級の原子炉というサイズ感がアメリカ側の公募などでも主流になりつつあるのには、明確な理由があります。
それは、1回のスターシップの打ち上げで積載し、宇宙船として運べるモジュールの大きさが、まさに石井さんがおっしゃったようなパッケージのサイズに合致するからだと思われます。巨大な発電所を一つ作るのではなく、輸送可能なサイズのパッケージ化されたものを、必要な数だけ何回にも分けて月面へ持っていく。それが今後のスタンダードになるでしょう。
天野:輸送の限界が、システムのサイズや設計思想を決定づけているのですね。
上野:ええ。ただ、宇宙におけるエネルギー問題に関して言えば、発電そのものよりもさらに厄介な難題として「放熱」があります。
天野:熱を逃がすことが、そんなに難しいのですか?
上野:意外に思われるかもしれませんが、放熱は本当に大変なのです。現在、軌道上にデータセンターを構築するという構想もありますが、宇宙空間で巨大な太陽光エネルギーを集め、発電すること自体は技術的には可能です。
しかし、集めた膨大なエネルギーを、ごく狭い空間に集中させて使用した場合、そこから発生するすさまじい熱を「どうやって真空の宇宙空間に逃がすのか」という問題に直面します。地球上であれば空気の対流や水冷で熱を逃がせますが、宇宙ではそれができません。
石井:結局のところ、原子炉のパッケージ構想も、データセンターの話も、本体のハードウェアの大部分はラジエーター、つまり冷却機構にならざるを得ないということですよね。
上野:まさにその通りです。発熱するシステムを狭いパッケージに詰め込めば詰め込むほど、熱の逃げ場がなくなり、自らの熱でシステムがメルトダウンしてしまう危険性があります。エネルギーをいかに確保するかと同じくらい、いかにして「熱を捨てるか」という放熱技術が、今後の月面開発における最大の勝負所になってくるでしょう。

報道記者として自然災害や事件、政治分野等の現場取材に従事し、その後はディレクター・ニュースデスクとして報道番組の制作に携わる。現在はこれまでの経験を基盤に、宇宙と社会をつなぐコミュニケーションの在り方を探求している。
米中宇宙冷戦の再燃と、産業力なき技術国家・日本の焦燥
天野:話題を少し地政学的な視点へと移したいと思います。現在、アメリカ主導のアルテミス計画に対抗するように、中国も独自の月面拠点構想「ILRS」を推進しています。技術開発だけでなく、月面におけるルール作りや主導権を巡る激しい覇権争いが起きていますが、この世界的な構図をどうご覧になっていますか。
上野:この状況が人類にとって良いことなのか悪いことなのかは、一概には言えません。しかし歴史を振り返れば、かつての米ソ冷戦下における苛烈な競争が、とてつもない速度で宇宙技術を進歩させたことは歴史的事実です。冷戦終結後、その強烈な原動力が失われて宇宙開発のスピードはゆっくりとしたものになっていました。
それが今、スペースXに代表されるような民間企業同士の熾烈な競争が勃発したことで再び熱を帯び、そこに加えて「西側陣営 対 中国陣営」という新たな国家間の冷戦構造が別個に走り出しました。この二重の競争が交差する状況下で、これから一体何が起きるのか。個人的には非常に興味深く見ていますし、事象としては間違いなく面白い時代に突入していると感じています。
石井:僕も月面到達に関して、今、アメリカと中国が互いに「ムキになっている」と強く感じています。双方が計画を前倒しにし「自分たちが先に行くぞ」と牽制のボールを投げ合い、相手が動けばさらにこちらがムキになる。
しかし、その双方がムキになって切磋琢磨した結果として、そこに莫大な予算が投下され、新たな市場が強制的に生み出されている。みんなが必死になって走っているこの状況は、ビジネスの観点からは非常にダイナミックで歓迎すべきことだとも言えます。
天野:では、この熾烈な米中の角逐の中で、日本はどのようなポジションを取るべきなのでしょうか。
上野:それは非常に難しく、かつ痛いところを突く問題です。宇宙開発には、国家としての「大枠での競争」と、ビジネスとしての「産業での競争」の両輪があります。しかし、どれほど優れた技術を国が持っていようと、根底に「産業の力」がなければ、結局のところ世界とは戦えないのです。
日本も今、国を挙げて宇宙産業の拡大に向かってはいますが、その産業の足腰が圧倒的に強くならない限り、そもそも戦いのリングに上がる力すら持てないというのが、偽らざるシビアな現実です。
石井:そこで僕が思うのは、日本は自国で全てを完結させるのではなく、特定の優れた技術をコンポーネント化(部品化)して、ブルーオリジンのような世界中の様々な巨大プロジェクトに提供していく戦略を取るべきではないかということです。そうすれば、日本は非常に強みを発揮できるのではないでしょうか。
上野:おっしゃる通り、小型衛星の世界などでは日本のコンポーネントが力を発揮し始めています。しかし大型衛星などの巨大な領域になると、残念ながら現状では国産率が著しく低下しており、コンポーネントのほとんどをアメリカやヨーロッパなど海外の製品に依存してしまっている状態なのです。
技術があっても、それを大量生産し、コスト競争力を持ち、世界市場を制覇する「産業としてのスケール」が伴わなければならない。日本の宇宙開発が直面している最大の課題はそこにあると認識しています。

アポロの教訓と、アルテミス2では月面着陸しない理由
天野:宇宙開発が直面する資本主義と産業構造の壁の厚さを痛感します。議論を再び月面探査の具体的なロードマップへと戻しましょう。月面拠点の実現性について、現在は実証実験の段階なのか、それとも実装へと移行しつつあるのか、どのように捉えればよいでしょうか。
上野:正直に言って、まだまだ困難な課題の山積みです。長期にわたって月に住むというのは、人類の歴史上全く初めての試みです。月面は昼夜の温度差が極端に激しく、宇宙空間からの強力な放射線も降り注ぐ、想像を絶する厳しい環境です。
何が一番の障壁になるのかすら、事前には完全に把握しきれていない部分も多々あります。ですから、一つ一つのステップを極めて慎重に、順番にクリアしていくしか道はありません。
石井:そこで伺いたいのですが、アルテミス計画にはフェーズ2、3、4といった段階が設定されています。あの順番には明確な意味があるわけですよね。なぜフェーズ2は「月面に着陸せず、周回して戻ってくる」というステップになっているのでしょうか。そのまま降りてしまえば早い気もするのですが。
上野:基本的には、アポロ計画の時と同じような着実なステップを踏んでいるのです。まず、地球から遠く離れた月の軌道まで行き、すべてのシステムや生命維持の機器が正常に機能するかどうかを確認しなければなりません。
ここで最も重要なのは、もしシステムに何らかのトラブルが発生した場合、「月周回軌道上からであれば、比較的地球へ帰還しやすい」ということです。しかし、一度でも月面に着陸してしまったら、話は全く変わってきます。
天野:着陸してしまうと、引き返せないということですか。
上野:その通りです。月面の重力から脱出し、再び軌道に乗って地球へ戻ってくるというプロセスは、少しでもトラブルがあれば致命的であり、非常に難易度が高いのです。月面からは「別の行き方(代替手段)」で逃げ帰ることはできません。
だからこそ、万が一の際に引き返せる軌道上での実証を完全に終え、100%の確証を得てからでなければ、絶対に月面には降りられない。そういう極めて慎重な、後戻りできない恐怖と向き合うためのステップを踏んでいるのです。
石井:成功確率を上げるために慎重なステップを踏んで、確実性を担保しながら月面を目指しているのですね。
上野:ええ、あと中国の衛星や月へのアクセスのアプローチを見ていると、あの国は意外なほど奇をてらわず、正攻法で着実にステップを上がってきています。宇宙空間という物理法則が絶対的に支配する領域においては、いかなる国家であっても科学的・工学的な「正攻法」に服従せざるを得ないということでしょう。
エネルギー覇権――「最初のインフラ」を制する者が月を制する
天野:月面拠点という過酷な環境を生き抜くための核心的なテーマとして、先ほどエネルギーのお話が出ました。インフラの構築という観点から、今後の覇権争いはどうなっていくとお考えですか。
石井:結局のところ、月面においては「電力が全て」なのだと思います。何人の人間がそこに滞在するにせよ、それはイコール「それだけの電力が絶対的に必要になる」ということです。ですから、一番初めに安定的に電力を供給できる仕組み、つまりエネルギーインフラを構築した国や企業が、月面開発において圧倒的に強大な力を持つことになるはずです。
後から来た者は、自前でインフラを作るコストを考えれば、既存のインフラを使わざるを得ない状態になる。だからこそ、どこが一番先に作るか、厳密に言えば「どこが一番先に安定稼働させるか」ということが、勝敗を分ける最大の焦点になるのではないでしょうか。
上野:ご指摘の通りだと思います。最初に安定したインフラを作ったシステムが、事実上のデファクトスタンダードとなり、そこからだんだんと自己増殖的に数を増やしていくことになるでしょう。そういう意味で、最初に月面へ持ち込み、稼働させた者が、その後の開発の主導権を握るうえで圧倒的に有利になることは火を見るより明らかです。
天野:地球上の歴史がそうであったように、鉄道を敷き、発電所を作った者がその土地のルールを決める。月面という新たなフロンティアにおいても、最初に「電力」という生命線を握った者が覇権を握るのですね。

人工冬眠が拓く深宇宙探査のパラダイムシフト
天野:さて、ここで本イベントのメインテーマでもある「人工冬眠」へと話題の舵を切りたいと思います。もし、人間を安全に眠らせる人工冬眠の技術が宇宙開発で実用化された場合、宇宙探査のあり方は根本からどのように変わってくるのでしょうか。
上野:宇宙開発における永遠の課題である「質量」の観点から見ると、人工冬眠は劇的なブレイクスルーをもたらします。これまでの常識で言えば、例えば火星に行こうとした場合、人間1人を長期間生かしたまま送り込むためだけでも、生命維持のための機材や食料、水など、何トン、あるいは何十トンもの物資が随伴する必要があります。
現在の技術で頑張って5トンの物資を運べる巨大な宇宙船を開発したとしても、それでは全く足りない。人間を生かしたまま深宇宙へ運ぶというのは、コスト的にも技術的にも絶望的に大変なことなのです。
さらには、限られたごく狭い宇宙船の空間に、半年間もの長い間、数人のクルーを閉じ込めておいた場合、人間関係の摩擦や精神状態の悪化など、深刻な心理的問題が起きるリスクが極めて高い。
天野:精神的なストレスは計り知れないでしょうね。
上野:しかし、もし人工冬眠が可能になれば、彼らを眠らせたまま狭い空間に詰め込んで運ぶことができます。必要な物資の量は劇的に減り、心理的ストレスの問題も一挙に解決する。数十年という途方もない時間をかけるような深宇宙探査であっても、小規模な宇宙船で到達できるようになる。これは宇宙探査を根本から覆す、とてつもない可能性を秘めています。
石井:寝ているわけですから、人間同士のトラブルも起きにくい。単純計算で、もし人工冬眠によって消費する食料や水が100分の1で済むようになれば、これまで100人しか行けなかったリソースで1万人が宇宙に行けるようになる。そのスケールメリットは本当に凄まじいものがあります。
ただ、寝ているから問題が起きない反面、「そのまま起きない(目覚めない)」という最大かつ最悪の問題が起きるリスクをどう排除するかが鍵になります。
天野:人間がある意味で冬眠に入る前、つまり自分自身のスイッチを切る瞬間、「冷めた後(目覚めた後)の環境が間違いなく安全である」という絶対的な前提と安心感が担保されていなければ、誰も自ら冬眠状態に入ることに踏み切れないですよね。
石井:私たちが毎晩、家の布団に入ってぐっすり眠れるのは、自分の家が安全だと分かっているからです。宇宙空間における人工冬眠にも、それと同レベルの絶対的な安心感がなければ実用化は難しい。安全性を100%担保する技術と運用体制を築き上げることこそが、最大のハードルなのだろうと強く感じます。
上野:おっしゃる通りです。技術的な安全性だけでなく、人間の心理的な安全性をどう担保するか。それが今後の人工冬眠研究における最大のチャレンジになるでしょう。
人類が「月の住人」となる日
天野:最後に、誰もが心の奥底で抱いている根源的な問いをお二人に投げかけたいと思います。人類が実際に「月に住む」という未来は、一体いつ頃、現実のものになるとお考えでしょうか。
上野:「住む」という言葉の定義が難しいところですが、ある程度の期間、月面で「生活する」という意味合いであれば、皆さんが想像しているよりも意外と早い時期に実現すると私は見ています。
具体的には、もう2040年よりも前の段階で実現するでしょう。今この瞬間から起算して、あと10年、あるいは十数年という時間軸のなかで、小規模な人数での月面滞在は間違いなく始まると確信しています。私たちが考える以上に、その未来はもうすぐそこまで近づいてきているのです。
石井:月面でインフラを構築したり、メンテナンスをしたりする「業務」として月へ行く人々は、それこそ2030年代の何年かには現地に滞在していなければ作業が成り立ちませんから、確実にそうなるでしょうね。
上野:興味があるのは「観光」としての月面旅行がいつ頃から始まるのか、ということです。例えば、月に2日間だけ滞在して地球に帰ってくるようなショートトリップ。そういう一般の人々の宇宙旅行がいつ日常になるのか、非常にワクワクしています。
天野:宇宙旅行が、本当に遠い夢ではなく現実になりつつある。そのダイナミズムを肌で感じられるお話が聞けて、大変エキサイティングでした。本日は貴重な議論をありがとうございました。
(2026年4月3日 渋谷ヒカリエカンファレンスにて開催『Sphear #7』より)

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