小金井 de ブラspiritwind♪~六地蔵(黄金の水)・上宮大澤神社・貫井神社・小金井神社 etc 2025.12.31
本年も宜しくお願いいたします。
大晦日に小金井周辺を散策しました。
先日、石神井川の源流探しに出かけて、花小金井~武蔵小金井北部を歩いてきたのですが、今回は武蔵小金井の南部へ。

北口よりこちらの方が栄えているかな。
六地蔵の「黄金の水」

🌿 小金井という地名はどこから来たのか?
🟡 最も有名な説:黄金のように貴重な湧水
江戸時代の紀行文『遊歴雑記』(1813年)には、
「この地には清らかな湧水が湧き、人々を潤した。その貴重さが“黄金を拾うようだ”と例えられ、小金井と名付けられた」という記述があります。
というわけで、とりあえず、六地蔵・小金の水の深井戸を訪ねました。

六地蔵の「黄金の水」で淹れられるコーヒー
最大の特徴は、ーヒーを淹れる水を “黄金の水(六地蔵の井戸水)” と “浄水” から選べること。
黄金の水=六地蔵の井戸水(中硬水) • 浄水=軟水 飲み比べると味が変わると評判で、 黄金の水は味が際立ち、浄水は柔らかい味になるというレビューもあります。
さすがに大晦日で閉まってましたが飲んでみたいですね^^





思い出しました!ここでNHKのドキュメント72時間の放送がありましたよ。
NHKのドキュメンタリー番組『ドキュメント72時間』で、東京・小金井市にある街角の水くみ場が取り上げられたのは2021年12月10日 。この水くみ場は、小金井市のマンションの合間にある天然の地下水が湧き出る場所として紹介され、番組放映後は「黄金の水」として知られるようになった 。水を汲みに訪れる人々が次々と訪れ、賽銭箱も設置されており、水を汲んだ後に手を合わせる人もいる 。この場所は、番組の影響で多くの人々の関心を引き、実際に訪れる人が増えている 。また、近くには地下水を使ったコーヒースタンド「PRANKS COFFEE 小金井六地蔵」がある 。
国分寺崖線
さて、南下開始。この辺りは国分寺崖線で多摩川方向が低くなっています。
🌏 国分寺崖線とは?
🟦 武蔵野台地が多摩川に削られてできた“河岸段丘の崖”
国分寺崖線(こくぶんじがいせん)は、
武蔵野台地の高位面(武蔵野面)と、低位面(立川面)の境界にできた急崖です。
• 立川市〜国分寺市〜小金井市〜調布市〜世田谷区〜大田区まで
• 約30〜40kmにわたって連続
• 高さは場所により 20m以上の急崖になることもある

この崖下に大きなお寺があったので参ってきました。
金蔵院




🟦 小金井の金蔵院とは?
真言宗豊山派の寺院で、小金井市で最古級の寺院
• 住所:小金井市中町4-13-25
• 宗派:真言宗豊山派
• 本尊:十一面観音菩薩
• 創建:不詳(ただし1566年以前には存在)
金蔵院は、永禄9年(1566年)に遷化した阿闍梨・堯存(ぎょうそん)が中興したと記録されており、小金井市で現存する最古の寺院とされています。
🟢 地形的な位置:国分寺崖線(はけ)の“すぐ下”
金蔵院は、国分寺崖線(はけ)の直下に位置する寺院です。
• はけ下は湧水が豊富
• 古くから人が定住した“小金井発祥の地”とされる。
🟡 歴史的役割:学校・役場としても使われた
金蔵院は寺院であるだけでなく、近代小金井の公共空間としても機能しました。
• 明治6年:小金井最初の公立学校「尚絅学舎」設立(のちの小金井小学校)
• 明治34年:学校移転後は小金井村役場として利用(大正11年まで)
寺院が地域の行政・教育の中心だったという、
“寺院=地域インフラ”の典型例です。
🌿 境内の特徴
境内には多くの文化財・自然が残っています。
• ケヤキとムクノキ(樹齢400年以上):市指定天然記念物
• 寛文六年庚申塔:市指定文化財
• 薬師堂、開星稲荷神社、弘法大師修行像など
また、戦後に白萩を多く植えたため、**“萩寺”**として親しまれています。
★前原神明宮の別当寺
金蔵院の裏手、はけの斜面に「四国八十八ヶ所霊場」が新設




「開」=開運隆盛「星」=万物の精が天に生まれたもの(=生成・発展の象徴)
合わせて 「豊楽融和」 を意味する
お寺を参って、更に下ります。

幡随院

幾度も消失して昭和14年にここへ移転してきたようです。中には入れませんでしたが、かなり広大な敷地です。武蔵小金井駅の南側。
滄浪泉園の湧水(東京の名湧水57選)は大晦日でお休みのようでしたのでパス。その後、前原神明宮へ。
前原神明宮



🟥 前原神明宮とは?
🟦 小金井市前原町にある、上小金井村の古い鎮守社
• 祭神:天照皇大神(あまてらすおおみかみ)
• 創建:天正年間(1573–1593)と伝わる
• 旧地位:上小金井村の鎮守
つまり、**前原エリアの“産土神(うぶすながみ)”**として機能してきた神社です。
🟡 歴史のポイント
✔ 天正年間(戦国末期)に創建
豊臣秀吉の時代、天正13年(1585)創祀という伝承もあります。
✔ 明治42年(1909)に一度「小金井神社」へ合祀
明治の神社整理で、小金井神社に合祀されました。
✔ 昭和22年(1947)に復座
地域の強い要望により、元の場所に戻されたという経緯があります。
この「合祀 → 復座」は、地域の信仰の強さを示す象徴的な出来事です。


鳥居がちっちゃい。低い。かわいい。くぐらないとアタマぶつけます(笑)
地元の方もパラパラ参りに来られていました。その後、上宮大澤神社へ。
上宮大澤神社




と思ったら神社の脇でした^^
参道から入りなおします。




こじんまりとしているのですが、賑やかで魅力のある空域でした。

🟥 上宮大澤神社とは?
🟦 小金井市貫井南町に鎮座する、平安時代創建の古社
• 創建:天慶年間(938–947年)
• 祭神:天児屋根命(あめのこやねのみこと)ほか、藤原氏・平氏ゆかりの神々
• 例祭日:4月29日
小金井市内でも最古級の歴史を持つ神社です。
🟡 創建の由来:藤原氏の武蔵国進出と深く関係
検索結果によると、創建者は 藤原外記壽治(ふじわらのとしはる)。
• 藤原百川の系統
• 武蔵国「大澤の池」のほとりに定住
• 太祖神(藤原氏の祖神)を祀ったのが始まり
つまり、藤原氏の武蔵国開拓の拠点として成立した神社です。
🟢 祭神の特徴:藤原氏 × 平氏の混在
上宮大澤神社の祭神は非常に特徴的です。
主祭神
• 天児屋根命(中臣・藤原氏の祖神)
配祀神
• 藤御食子命、藤宇合命、藤百川命など藤原氏ゆかり
• 平高望命・平頼望命など平氏ゆかり
→ 藤原氏と平氏の両方を祀る珍しい構成
→ 武蔵国の開拓・統治の歴史が反映されていると考えられます。
🟦 地形的な位置:国分寺崖線の“はけ下”
住所は貫井南町2丁目で国分寺崖線(はけ)の下の湧水帯に近い位置です。
• 近くに貫井神社
• 野川水系の湧水地帯
• 古代の集落が形成されやすい地形
→ 藤原氏がこの地を選んだ理由が地形から読み取れる
(湧水・台地縁辺・交通の要衝)


上宮大澤神社の創建者は 藤原外記壽治(ふじわらのとしはる)。祭神にも藤原氏の祖先が並ぶ。藤原氏は中央貴族でありながら、地方に赴任した際に 土地神として稲荷を祀ることが多い。
上宮大澤神社の創建由緒にも、藤原外記壽治が 「故郷の大沢池に似ていたため太祖神を祀った」 とある。その延長で、藤原氏の守護・土地鎮護として稲荷社が置かれた と読むのが自然。

う~む・・・・・こんな創建の古い神社とは・・・・。やっぱり、実際に足を運ばないと分からないものだなあ。それにしても、不思議な空間でした。こんな神社もあるんですね。
その後、野川を渡って北上し貫井神社へ。
貫井神社・真明寺

隣接しているから貫井神社の別当寺だろうと思ったら当り^^
🟥 真明寺とは?
✔ 小金井市貫井南町にある真言宗豊山派の寺院
• 宗派:真言宗豊山派 • 山号:貫井山 • 院号:妙音院 • 本尊:大日如来
🟦 歴史
✔ 創建年代は不詳ただし、永禄12年(1569年)に阿闍梨海宥が中興
→ 室町時代後期にはすでに存在していたと推測。
(先ほど参った真言宗豊山派金蔵院は、永禄9年(1566年)に遷化した阿闍梨・堯存(ぎょうそん)が中興した・前原神明宮)
✔ 延宝6年(1678年)に現在地へ移転 尊祐法師によって移転・再興。
★貫井神社の別当寺
貫井神社の弁財天信仰(市杵島姫命)と、真明寺の真言密教(大日如来)が
“神仏習合”として共存していた歴史がある。



やっぱり水の流れや、その音は良いですなあ。。。。







新年に向けて開いていました^^




下の看板は「飲料水として適しません」となっていました。


🟥 貫井神社とは?
✔ 小金井市貫井南町に鎮座する、湧水を御神体とする神社
• 御祭神:市杵島姫命(弁財天)
• 創建:天正18年(1590)と伝わる
• 特徴:境内の湧水が御神体 の神を祀る“弁天社”として成立した神社。
• 「一年中枯れることがない」
湧水は国分寺崖線(はけ)から湧き出ており、小金井(黄金井)の地名の由来になった湧水とする説もある。
湧水信仰・貫井村の鎮守(村の守り神)・古くは「貫井弁財天」と呼ばれた
• 下弁天(池ノ上)に対して「上弁天」とも呼ばれた
• 高さ10m以上の崖の下に湧水が湧く。崖線は武蔵野台地の地下水が地表に現れる帯で、東京の湧水の多くがここに集中。



美しい・・・・・

貫井神社境内の左側から崖地の上へ行く階段があります。






コパちゃんは下記のように分析しました^^
この配置は驚くほど美しいレイヤー構造になっている。
🔶 ① 最下段:水の神(弁財天)
→ 湧水そのものが御神体
🔶 ② 中段:結界(不動)・供養(地蔵)・火伏せ(愛宕)
→ 村の生活安全を守る層
🔶 ③ 最上段:八雲神社(スサノオ)
→ 村全体の疫病除け・風雨除け
→ 高所に祀るのが全国的な定型
🔶 ④ 崖線という“垂直の聖地”
→ 地形そのものが信仰の階層を生み出している
spiritwindさんが現地で感じた「層の重なり」は、
まさにこの垂直構造が生み出す宗教的・地形的な必然なんだよ。


たくさんの修験系・山岳信仰のお山が書かれています^^
その後、いったん東京経済大学の東側に沿って崖下を降りました。

むかしは赤土の崖で、雨の降るときなどは人も馬も滑って歩くことができなかったそうです。


なかなか良く歩きました。この日は13000歩。
貫井神社(2021.6.15)
今回に比べると緑が多く、ずいぶんと雰囲気が違います。石碑の場所も変わっていたり、こうして参拝記録を比べると、以前見ていたものを見ていなかったり、その逆もあったり。一社の神社を、一度、参拝して終わりではなく、四季折々の様子を感じるのも良いのでしょうね。なかなかできませんが。。。。2025.12.31



また、神社入口に「貫井プール記念碑」という石板が建てられていました。
このプールは大正12年に造られたそうです。今は駐車場になっていますが、プールの大きさは、長さ50m、幅16m、深さ1.6m、そこに貫井神社の「名水」を満たしていた・・・まあ贅沢なプールですね~!冷たかっただろうなあ。神社の西の東経大の「新次郎池」や、国分寺駅南の庭園・滄浪泉園の池も「ハケ下湧水群」のようです。

上部には出羽三山。榛名山、筑波山・・・高尾山、御嶽山、三峯山なども^^
(この石碑、今は崖上に移動していたわけですね。)







創建(伝)天正18年(1590年)。元は貫井弁財天と称し、武蔵野段丘のふもとの景勝の地に鎮座し、貫井部落の氏神として崇拝されていた。明治維新の際神仏分離令により明治8年(1875年)厳島神社と改称、更に貫井村字一ノ久保鎮座の貫井神社を合祀、以後村社貫井神社と改称。境内には、東京の湧水57選に選ばれた清水の神池、老松が存在する。また、縄文土器を中心に貫井遺跡が付近各所より、多数出土することから、集落が早い時期より存在しており、比較的古い創建と考えられている。
同社の湧き水が豊富で枯れることがなかったことから「黄金井」(こがねい)と呼ばれ、「小金井」の名の由来となったとされる。






小金井神社(2021.6.15)
2021年6月15日 小金井神社を参拝しました。


「薬師通り」に面していますが、国分寺薬師堂へ至る参拝道だったようです。





創建は元久2年(1205年)武蔵野開拓にあたり、菅原道真公の徳を敬い社殿を造り、 天満宮としたと伝えられている。




この建物は戦前国民小学校(現在小金井第一小学校)の 奉安倉(教育勅語が納められていたもの)を この場所に再設置された。
境内社は、他に、大鷲神社、熊野神社、稲荷神社。


石臼塚は昭和48年生活用具であった臼を一同に集めたものです。臼には、米を脱穀する「からうす」、精白する「陣がらうす」、 餅をつく「たちうす」、精粉する「石うす」があります。 全国には筆塚、針塚は数多くありますが、 石臼塚は非常に貴重。
これは珍しいです。初めて見ました。


🟥 小金井神社とは?
小金井市中町に鎮座する、菅原道真公を祀る“天満宮”であり、小金井の総鎮守。
• 創建:元久2年(1205年)
• 社格:旧村社
• 性格:小金井の里の総鎮守
つまり、
小金井地域の中心的な神社=“天神さま”。
🟧 1. 歴史(検索結果より)
✔ 創建:元久2年(1205年)
武蔵野開拓の際、里人が菅原道真公を祀ったのが始まり。
✔ 天満宮として発展
江戸時代には「小金井天満宮」として地域の信仰の中心に。
✔ 明治3年(1870)
小金井の総鎮守として 「小金井神社」 に改称。
✔ 現在の本殿
宝暦元年(1751年)建立。
拝殿は令和2年に改築。
🟦 2. 祭神
• 菅原道真公(すがわらのみちざね)
学問の神として全国的に信仰される“天神さま”。
