ふらりと神社へ行ってみた。#5 津島神社(全国天王総本社)
「ふらりと神社へ行ってみた」シリーズの第5回は「津島神社」です。津島神社は愛知県津島市にある神社で、全国に約3,000社ある「津島神社」および「天王社」の総本社で、「西の祇園(八坂神社)、東の津島」と並び称される二大天王社の一つです。主祭神は「建速須佐之男命」で、「大穴牟遅命」を相殿に祀っています。社格は延喜式神名帳の式外社、近代社格制度の旧社格は国幣小社で、別表神社です。 毎年7月第4土曜日とその翌日に行われる「尾張津島天王祭」は日本三大川祭りの一つに数えられています(残りの二つは、広島県廿日市市の厳島神社管絃祭と大阪府大阪市の天神祭)。尾張津島天王祭は、約500個の提灯を飾った「まきわら船」が川を渡る夜の様子が幻想的で、ユネスコ無形文化遺産に登録されています。撮影日は2025年12月12日です。社格については末尾を見てください。
社伝では、欽明天皇元年(540年)に当地に鎮座し、弘仁元年(810年)に正一位の神階と日本総社の号を奉られ、一条天皇の正暦年中(990-995年)に天王社の号を賜ったと伝えられています。平安時代、津島神社は「津島牛頭天王社」と呼ばれていました。牛頭天王は仏教の聖地である祇園精舎の守護神であり、薬師如来の化身ともされています。「神仏習合」の考え方を背景として、当時の津島神社は仏教色の強い「天王信仰」の拠点でした(式外社の理由です)。その後、織田信長が氏神として崇敬し、豊臣秀吉が楼門を寄進するなど、戦国時代以降は神社としての位置づけが強まり、明治元年の「神仏分離令」に応じて「津島牛頭天王社」は「津島神社」へと改称され、祭神も牛頭天王から建速須佐之男命へと正式に改められました。(建速須佐之男命と須佐之男命は同じ神です。表記は津島神社の表記に準じています。)
津島神社
津島神社の現在の表参道は名鉄津島駅から西に向かい神社まで続く道のりですが、メインの入り口である楼門は歴史的には脇門です。現在は裏参道の扱いになる南門に通じるルートがかつての正式な参拝ルートであったようです。
表参道


表参道側(社殿の東側)には朱塗りの大鳥居があり、駐車場を隔てて立派な楼門が見えます。多くの神社では門をくぐった後に手水舎があるのですが、津島神社では楼門の手前に手水舎があります。撮影が七五三の時期でもあったので、七五三参りの親子が手を清めていました。


門と共に神の世界への入り口としての役割を持つ橋(太鼓橋)から社殿方面を見ると、朱塗りの楼門(国指定の重要文化財)が一際大きく見えます。この壮麗な朱塗りの楼門は、豊臣秀吉が母・なか(大政所)の病気平癒を祈願して天正19年(1591年)に寄進したと伝えられています。明治以前の神仏習合時代には、2階部分(楼上)に仏像が安置されていました。
南参道


南門に通じる南参道がかつての表参道でした。現在の表参道と同様に朱塗りの鳥居があり、南門の手前に手水舎があります。定番の龍の吐水口です。鳥居から手水舎までは150m程ですが、その間には、牛頭天王が最初に鎮座したといわれる「居森社」などの重要な摂社・末社も点在しています。

南門は、慶長3年(1598年)に豊臣秀頼が父・秀吉の病気平癒を祈願して寄進したとされる、神社本来の正門です。津島神社は「尾張造り」の神社です。尾張造りでは、参拝者が目にする建物(蕃塀、拝殿、祭文殿、渡殿、本殿)が、手前から奥に向かって南北の軸線上に左右対称に配置されます。最初の建築物「蕃塀」が門の向こうに見えていることからも、南門が本来の正門であることが分かります。南門は愛知県の指定文化財になっています。
社殿


https://tsushimajinja.or.jp/map-2/
拝殿とそこにつながる回廊も楼門と同様に朱塗りです。本殿までの全景は見ることができません(本殿の屋根は見えます)が、津島神社のHPに掲載されている航空写真を見ると尾張造りの全貌がよく分かります。航空写真の一番下の建物が南門で、その上に蕃塀があり、少し離れて拝殿があり、一番奥に本殿があります。


拝殿から覗くと祭文殿、渡殿が見えますから、その奥に本殿があるわけです。直接見ることができない本殿は、徳川家康の四男・松平忠吉の妻である政子の方(井伊直政の娘)によって、慶長10年(1605年)に寄進され、再建されたもので、国指定の重要文化財です。屋根の全面が長く伸びる流造で、桃山時代らしい力強い彫刻や華麗な装飾が各所に施されているそうですが、目にすることはできません。拝殿の吊り灯篭はよく見るとユニークな形です。
摂社と末社
津島神社には多数の摂社と末社があります。摂社が6社、末社が30社あるようですが、目に付くままに社を撮影しただけでしたから、全ては撮影していませんでした。(津島商工会議所の情報では摂社と末社あわせて33の祠とありますが、津島神社の看板で確認すると管理番号の付いた社が36あります。)
摂社


②「弥五郎殿社」は、祭神が武内宿禰命(津島神社の社家・堀田家の祖神)と大穴牟遅命です。南北朝時代の正平元年(1346年)、武内宿禰の末裔とされる社家の堀田弥五郎正泰が、先祖を祀るためにこの社を再建したと言われています。愛知県指定文化財です。


⑫「八柱社」は、元は「八王子社」と呼ばれていて、祭神は須佐之男命と天照大御神の「誓約」(神意を占う儀式)によって生まれた五男三女神、計八柱の神々です。五男神は天之忍穗耳命、天之菩卑能命、天津日子根命、活津彦根命、熊野久須毘命で、三女神は多紀理毘売命、市寸島比売命、多岐都比売命)です。


授与所の裏手にあって撮影しなかった摂社が⑰「荒御魂社」で、祭神が建速須佐之男命荒御魂です。写真の摂社は、上が㉒「和御魂社」で、祭神は建速須佐之男命和御魂で、下が⑳「柏樹社」で、祭神は須佐之男命奇御魂です。


㊱「居森社」の祭神は須佐之男命幸御魂です。須佐之男命が最初にこの地に降り立った場所と伝えられている、最も重要な聖地の一つです。神道では、神の霊魂が4つの側面を持っているとされています(一霊四魂)。基本は激しく活動的な「荒魂」と親しみ温和な「和魂」で、和魂はさらに、幸福をもたらす「幸魂」と、不思議な力を与える「奇魂」の2つの働きに分類されます。津島神社では本殿で建速須佐之男命を祀り、4つの摂社で荒魂・和魂・幸魂・奇魂を祀り、さらに末社の疹社で和魂を祀っていて、須佐之男命の全ての御霊にお参りできます(津島神社六社巡り)。
末社


南門の東には10の社が並んでいて(写真の左にさらに1社)、その内2社が摂社で、末社が8社です。左から順に(合成写真の左上から右・下へ)、㉑「瀧之社」(弥豆麻岐神/配水の神)、㉓「大歳社」(大年神/穀物の神)、㉔「熱田社」(倭建命/災難避けの神)、㉕「米之社」(宇迦之御魂神/五穀豊穣の神)、㉖「児之社」(若年神/育児の神)、㉗「大社」(大山咋命/山の守護神)、㉘「外宮」(豊宇気比売命/五穀豊穣の神)、㉙「舟付社」(庭高津日神/家屋・庭園の神)です。同じような社ですが、大きさは違っていて、形も微妙に違います。

南門の西には3社が並んでいます。左から順に㉚「多度社」(羽山戸神/山の守護神)、㉛「秋津比咩社」(速秋津比売命/水神・穢れを祓う神)、㉜「内宮」(天照大神/皇室の祖神・日の神)です。。


南門から入って西北、拝殿の西側にも末社がいくつもあります。模型船庫の横に7社並んで、摂社「八柱社」の西に1社あります。並び写真の左から順に(合成写真の左上から右・下へ)、④「忍穂耳社」(正哉吾勝々速日天忍穂耳命/眼病治癒の神)、⑤「龍田社」(支那津比古命/風の守護神)、⑥「庭津日社」(庭津日神/家屋・庭園の神)、⑦「塵社」(聖神/五穀豊穣の神)、⑧「久斯社」(少名毘古那神/医薬の神)、⑨「多賀社」(伊邪那岐命/長寿と縁結びの神)、⑩「熊野社」(伊邪那美命/長寿と縁結びの神)、⑪「稲荷社」(宇迦之御魂神/商売繁盛の神)です。鳥居は稲荷社のものです。

楼門の南東に末社が2社あります。左から⑱「橋守社」(猿田彦命/交通安全の神)、⑲「愛宕社」(迦具土神/防火の守護神)です。

南門の南に延びる参道脇の摂社「居森社」の両脇にも末社があります。右側が㉟「疹社」(須佐之男命和御魂/疹と疱瘡の神)で左側が「大日孁社」(大日孁貴命/皇室の祖神・日の神)です。
(大日孁貴命は天照大御神の別称で、一般的には「おおひるめのむちのみこと」と読みますが、社のふりがなには「むちの」は書いてありませんでした。)


南門の南に延びる参道沿いにはさらに、独立した神社のようにも見える末社が二つあります。どちらも鳥居があって、鳥居から祠まで少し距離があります。この二社だけが朱塗りではありません。上の社が㉝「照魂社」で、津島出身の英霊を祀る祖霊社です。下の社が㉞「菅原社」で、学問の神である菅原道真公を祀っています。末社ですが、多くの絵馬が架けてありました。菅原社の右にも祠がありますが、番号は付いていなくて、稲荷社のようです。
ご神木

津島神社の御神木は2本の巨大なイチョウです。いずれも愛知県指定の天然記念物で、古くから地域の信仰を集めてきました。一本は神社から少し離れたところにありますが、もう一本は東の大鳥居の横にあります。大鳥居横のイチョウは樹齢約600年とされ、秋には綺麗に色づいた姿を見ることができます。

撮影日の前日の夜、風を伴って強い雨が降り、黄色い葉がかなり散ってしまったようでした。上の方の葉はほとんど落ちています。大鳥居の東側(写真の奥)には郷土菓子を扱っている店が並んでいます。その内の一軒「あかだ屋清七」の高齢の店主が私を呼ぶので、「何かな?」と近づくと、木の最上部まで綺麗に色づいたご神木・イチョウの写真を「昨日撮った写真ですよ。」と言いながら、自慢げに見せてくれました。

https://akadayaseisiti.jp/
「あかだ屋清七」では郷土菓子の話を聞けました。何かと自慢してくる店主でしたが、面白い話も聞けましたから、「あかだ」と「くつわ」を買って帰りました。平安時代や江戸時代から続く、日本でもトップクラスに「硬い」ことで有名な2つの郷土菓子です。あかだは、薄い醤油味の小さくて丸く、非常に硬い揚げ菓子です。 平安時代、弘法大師が疫病退散を祈願した際に供えた米の残りで作り、参拝者に授けたのが始まりとされます。くつわは、ほんのり甘い馬蹄型(輪っか状)の揚げ菓子です。江戸時代末期、神事の「ちの輪」や神馬の「轡」を形どって作られたと言われています。素朴な味で、特に美味しいお菓子ではありませんでしたが、とにかく固いお菓子でした。
境内はそれほど広くないのに、摂社・末社がとても多く、拝殿や楼門、その他のどの祠も基本的に朱塗りの神社でした。神社の成り立ちを考えると、神仏習合と神仏分離の歴史を知って参拝すると良いかもしれません。撮影も解説も疲れる神社でした。
社格について
日本の神社の序列は、時代ごとの行政や統治の仕組みに基づいて形作られてきました。平安時代の令制国ごとに定められた参拝順位、平安時代の法典に基づく公式リスト「延喜式神名帳」、明治政府による管理・統制のための格付け「近代社格制度」、神社本庁の人事管理上規定である「別表神社」、歴史的に形成された社格を表す社号など、多様な社格があります。社格についての詳細解説は第1回( https://note.com/ssionblog/n/nca0c104710f6 )の末尾を見てください。


