ある日記「エッセイはいずこに」
エッセイはいつもちょっと見つけにくい。本屋では小説や漫画が主役だ。雑誌はでんと並べられている。参考書は壁際に陣地がある。新書は隅の方に居場所が与えられている。ところでエッセイは小説の隣にあったり、どこか適当なところに本棚を与えられている。初めて足を踏み入れる本屋だとエッセイを探すのに苦労する。エッセイと同様に定位置がないのは詩歌くらいのものである。
妻はエッセイが好きだ。気に入ってる筆者の新刊が出ると本屋にうきうきと出かけていくし、古い名作エッセイを図書館で何冊も予約している。妻がエッセイで知ったお店をいくつも教えてくれるので、僕らはすてきな街のすてきなお店によく遊びに行ける。エッセイ、ありがとうほんとに。
寺井奈緒美さんのエッセイ集『生活フォーエバー』が出版されたとき、僕らは街に買いに出た。当時はまだ知る人ぞ知るといった感じで、どこでも置いているわけではなかった。妻がXやインスタで開拓した独自の情報網を駆使して、あの本屋で買った人がいる、このビルに売ってる本屋があるといった情報を仕入れては、探しに行って撃沈した。そして、もうこうなったら街一つしらみつぶしに探すしかねえと、神保町を訪れたのだった。
まずは大きな本屋から探す、とならないのが妻である。妻はチェーン店より個人店推しだった。カフェに行くにもまずは地元のこぢんまりとしたお店を当たった。疲れて歩けなくなってきて、目の前にみんなが知ってるコーヒーショップがあったとしても、Googleマップとにらっめこするのが妻なのだ。神保町でも店員のセンスが冴え渡っているような店から探索していった。
小さいお店であれば仕入れも少ないようでどこも売り切れか、入荷していないかだった。エッセイ好きの人が本棚を多く並べるシェア型書店にも行ったが、やはり新刊は置いていなかった。神保町をぐるぐる回って、もう大きな書店に行くしかないと妻は腹をくくった。
それでも何店かスカに終わったのち、ようやく店内の検索機で在庫アリの本屋を探し当てた。場所を示す地図を印刷した。エスカレーターで何階か上がり、レシート用紙の地図とにらめっこした。★がおそらく本の位置なので、示された場所まで来てみたらたしかにエッセイの棚はあったのだが、何度確認してもお目当ての作品はなかった。もしかして★の印字された区画はかなりアバウトなのではと、周辺を探索し、その周りを探索し、結局その階をのってりと探し尽くしたが『生活フォーエバー』は無かった。
僕らは店員さんに泣きつくことにした。店員さんに地図を渡し、場所を聞いてみると、店員さんも僕たちが調べたところを探した。こういうとき「はいはい、そこにはないですよ」という傲慢な気持ちと、「自分の探し方が甘かっただけで、すぐに見つけられたらどうしよう」という情けない気持ちが湧いてくる。どこか犯行現場を警察に探られる犯人のような気分にもなる。何分かして、店員さんも見つけられず、本が見つかった方がいいはずなのにちょっと安心した。
レジのPCで調べてみるということで、僕らは店員さんに誘導されて一階に戻った。レジ前で店員さんが先輩店員さんにレシートを渡してもにょもにょっと耳打ちした。先輩店員さんはレシートを見ると僕らのところへ来て、レジの向かいにある本棚を指さして、ここにありますよと言った。僕らが驚いていると、先輩店員さんは本棚から『生活フォーエバー』を引っ張り出して、僕らに手渡しながら「なんでこんな目立つところにあるのに見つけられないのかね」といった空気を出した。僕らは先輩店員さんにお礼を言って、本棚をまじまじと見つめた。ポップには「今週のイチオシ」と書かれていて、どこかで見たことあるおもしろそうな本が並べられていた。
僕らは目当ての本を探すことに最適化するあまり、検索機というガジェットを頭を使わずに利用して、自分たちの勘で調べることを怠っていたのかもしれない。本屋では店員さんが創意工夫を凝らしていくつもの本を推している。それぞれの店舗にイレギュラーな棚を作って、本気でおすすめしたい本をプッシュしてるのだ。僕らは感性を機械に託しちゃいけなかったのだ。
僕らは家に帰って『生活フォーエバー』をじっくり読んだ。妻はたいそう気に入って、自分の本棚の最も手に取りやすい場所に置いて、ことあるごとに読んで「ふふふ」と笑っている。もしかするとエッセイはちょっと見つけにくいくらいが愛着が増していいのかもしれない。

いいなと思ったら応援しよう!
よろしければサポートお願いします。新書といっしょに暮らしていくために使わせていただきます。