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ある日記「さよならジャバウォック」

 「本当の自分」みたいな考え方がどうも苦手だ。社会に抑圧されている本性が心に閉じ込められていて、何かをきっかけに解放される。そんな話が巷には溢れているけれど、みんなは自分が社会でうまく振る舞えていると思ってるのだろうか。少なくとも社会では正しい振る舞いをしようと努力しているということか。本音と建前の倫理観がまだ日本には息づいている証なのか。
 人が社会に抑圧されていることは疑っていない。が、個人が社会に向けて発信する自身の人となりが、無理矢理やらされてるものだと思うことに違和感がある。僕はむしろ、社会のおかげで自分一人では表現できないような自分を出せている感覚がある。眠っていた本性という意味では、自分の知らない自分を社会が引き出したように感じるのだ。
 人の性格や態度は、その人が直前に接した人の性格や態度に反応して形成されると思う。というのも、僕は妻と毎日顔を合わせて暮らしているが、優しく接すれば優しさが、意地悪をすれば意地悪が、だいたい数時間から半日のズレで返ってくる。その瞬間だけを切り取れば、優しさや意地悪は妻が自身の本性から態度に表しているように見えるが、原因を遡ってみると僕という社会の末端と触れ合うことで態度が生まれている。
 落語家・立川談志の有名な言葉に「酒が人間をダメにするんじゃない。人間はもともとダメだということを教えてくれるものだ」というのがある。ダメな人間本性を酒が暴くという考え方だ。僕はこれをもう一歩進めるべきだと思う。つまり、酒は人間本性を暴くが、その人間本性は酒を飲む数時間から数日前に会っていた人の人となりに反応したものである。
 アルコールは前頭葉を弱らせ、理性を失わせる。理性には様々な働きがあるけれど、一つ重要なのは「断ち切る力」だと思う。思考を適切な対象に向けるために、無駄な思考経路を断ち切るのが理性の役割だ。理性が弱まると、些細な思考に脳が全力を注ぎ、だいたいは堂々巡りとなり、同じ感情が刺激され続けて暴走してしまうのだ。
 お酒を飲んでも、楽しいときもあれば、つまらないときも、悲しくなるときもある。これは飲む人の本性によるというより、誰と飲むのかに関わってくる。目の前の人との小さな感触を酒が強制的に反復させることで、複雑な感情や思考は単一の気性に収束される。
 本性とは、普段は複雑な性格や態度が単純化され強化されたときに、周囲から注目を集めた場合の呼称に過ぎない。「あの人はああいう人だからね」と理解するために一元化された基準を都合よく「本性」と呼んでいるのだ。


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