見出し画像

ある日記「ごろ寝」

 『ごろ寝』というライブに出演した。芸人が部屋着で寝転び、ネタやトークをするライブだ。会場はセシオン杉並の和室だった。部屋の壁際に椅子や座布団が並べられ、空いた中央の空間に芸人が寝そべるという舞台設定だった。
 僕は寝巻きのスウェットで髪をセットせずに出演した。芸人がリラックスした様子を楽しむことがライブの趣旨だと思ったからだ。ところがこれが大きな間違いだった。僕はまったく緊張感を持たずにライブに突入してしまった。
 共演者は岩永の他に虹の黄昏さんと大王だった。五人とも普段と変わらぬパフォーマンスでドカドカとウケを取っていた。寝転がった虹の黄昏さんは立っていてはできない体勢でネタをやり、まるで宇宙空間で重力の鎖から解き放たれたかのように自由だった。大王は序盤で山内が寝てしまい、そのままネタを終えるという、寝オチをかましていた。かくいうリップグリップは、いつもの漫才だったとはいえ、寝ながら喋る馬鹿話といった感じがしてとてもよかった。
 トークパートに入ると会場の照明が暗くなり、修学旅行の夜をコンセプトに初体験の話だとか恋愛の話だとかをした。五人はボケもツッコミも冴えていて僕は笑ってばかりいた。そう、僕は笑ってばかりだったのだ。
 僕は寝巻きを着て和室に入ったとき驚くほど寝室にいる感覚が抜けなかった。もにょもにょと喋る家にいるときの自分のまま天井に向けて何かを言っていた。ライブは部屋着で家での振る舞いを見せるコントを要求していたのだが、僕は本当に家にいるときのままだった。
 服というものは場に合わせて着るものだ。仕事着や衣装は外で身分を証明するものだし、家で着るものでも普段着と寝巻きは過ごし方のモードを変える。僕はそんな服の力に頼っていたのだ。衣装を着て髪をセットすることでようやく芸人としての自我を持つことができていたのだ。
 普段の僕は面白いことへのチューニングを笑えるかどうかという視点で行っていらないらしい。それが分かったのはトークパートで、かまぼこ体育館さんが寝てるとき腕を上げてしまうという自分の癖について話したときだった。おそらくかまぼこさんは共感より加齢へのイジりを期待していたのだと思う。にも関わらず僕は「わかります」と、それまで笑っていただけなのが嘘のように急に寄り添った。実際に僕も寝ているときに腕を上げる癖がある。肩周りの血流が良くなる気がして気持ちいいのだ。僕の父親も同じ癖を持っていて、僕はこの世に二人しかやっていない癖だと思っていた。だからかまぼこさんの話が嬉しかったのだ。しかし、共感を得にくい話題はあまり盛り上がらず、するりと流れていった。いつもの僕はこの世界に存在するちょっとしたことを面白がって生きていて、笑えるかどうかは二の次だったのだ。
 芸人として舞台に出るときは、やはりシウマイの自我を呼び起こさなければならない。いつもの自分は文章などに封じておくのがちょうどいいらしい。

チーズナンを食べたくてインドカレー屋に行く

【短歌と小説】へそ鳴らし魔法を学ぶの意味不明 残った魔法を信じてみなさい

ここから先は

576字

メンバーシップ ¥ 1,000 /月

新書といっしょの活動を応援してくれる方々をお待ちしております。経済的な余裕が生まれたら、生配信の回数…

いっしょプラン

¥1,000 / 月

よろしければサポートお願いします。新書といっしょに暮らしていくために使わせていただきます。