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ない日記「蘇生するユニコーン」

「ユニコーンが処女しか乗せないって話あるだろ。あれは腕の悪い猟師が流したガセなんだ」
 大崎は熱いフォーをすすりながら言った。鶏がらと牛すじを煮込んだスープは薄茶色に濁り、抽出されたうまみを逃すまいと渦巻いていた。
「たしかにユニコーンを狩るのは難しい。でも正しい順序を踏めば誰だって狩れるんだ。ガセを流すような奴らは猟銃の性能にあぐらをかいて、適当に弾丸をぶっ放してる。そりゃ狩れるもんも狩れないさ。狩猟そのものを馬鹿にしてるんだ」
 僕はふんふんと聞きながらバインミーにかぶりついた。フォーのスープに使われる牛すじが甘辛く煮付けられてのっている。ほろほろと舌でほどける牛肉の繊維が、甘酸っぱい大根と人参のなますと相まって、そろりと喉を通っていく。
「大崎は狩ったことあんの?」僕は聞いた。
「ある。3回」
「えっ、違法じゃないの?」
「国際法では違法さ。でも、アフリカの奥地まで捜査しにくる国際裁判所の裁判官なんていやしないだろ」
 大崎はフォーに浮かぶ鶏チャーシューを箸でつまみ、しげしげと観察した。白くなった肉がぷるぷると光っていた。
「現地の警察は金さえもらえれば目をつぶる。もし村人に見つかったら口止め料は何倍にも跳ね上がるけど、日本円に換算したらたかが知れてる。それにユニコーンを売れば、村を買ったり土地の権力者になるくらいの金は入ってくるんだ」
「その割に大崎は貧乏じゃないか」
「研究するために売らなかったからな。同行してたガイドは不思議そうな顔をしていたよ。そのユニコーンを売った金でハンターを雇えばもっとユニコーンが手に入るのに、って。でも仕方なかったんだ。奨学金のために出なきゃいけない学会が日本であった」
 僕は具材を土砂のように落としながらバインミーと格闘した。半分に切ってもらえばよかったと、注文のとき店員の申し出を断った自分を恨んだ。
「ユニコーンの血は飲んだことあんの?」
「ある。2回」
 僕は驚いて大崎を見つめた。大崎の肌と自分の肌を見比べても、大崎は年相応に老けていた。
「ユニコーンの血が永遠の命をもたらすという伝説を知っているな?」大崎は笑って僕に問いかけた。
「あれはな、半分本当で半分嘘なんだ」

 十二月の上野公園はまだ紅葉で煌びやかだった。落ち葉を踏みしめながら僕たちはコートのボタンを留めなおした。
「つまりユニコーンの血はあらゆる化学反応を遅らせるから動植物の老化も防ぐ、という理解でいいのか?」
「専門用語を排してわかりやすくまとめればそうだな」
「初めからわかりやすく話してくれよ」
「横文字をひけらかしても喜んで聞いてくれるのはお前しかいないんだ」
 大崎は落ち葉を足で引きずって水溜りに集めた。
「それで人間の老化が遅くなるのはどんな仕組みなんだ」
「人間がユニコーンの血を飲めば、大腸から吸収された抗反応成分によって生体活動がゆっくりになる。代謝は遅くなり、呼吸は遅くなり、心臓の鼓動すら遅くなる」
「心臓の鼓動もか。恐ろしいな。飲んだときはどんな感覚になるんだ?」
「世界がどんどん早送りになるんだ。脳の反応も遅くなってるからな。下手に動くと怪我をするくらいさ。現地の村人たちは年に一度の祭りにユニコーンの血を飲むんだが、そのときは必ず外で横たわって飲むんだ」
「雨に濡れたら大変じゃないか」
「それがいいんだよ。村人は空を見たいんだ。雲が発酵したピザ生地のようにもこもこと膨らみ、雨が何本もの筋になって地面と体に突き刺さる。まるで天から刺された剣山のようにな。人間はいわば生花となるんだ。人間の無力さはそのまま世界の偉大さを意味する。こうやって村人はもう一年生きのびる理由を得るんだ」
 公園のベンチの周りを子供が駆け回っていた。親はベンチに座って、じっと弁当箱に手を置いて、周期的に背後から子供が登場するのを待っている。子供は親の顔に出会うたびによろこびの声を上げた。
「ユニコーンの血を飲むと動けなくなるんだろ。死ぬ危険はないのか」
「遠い過去から現在に至るまでユニコーンの血で死んだ者はいないとされてる。もちろん敵対する者に殺されることはあるけど」
「僕はユニコーンの血を飲むのはごめんだ。動けないってほとんど死んでるようなものじゃないか」
「まあそうだな。死に戻りの体験に近いかな。でも、動けなかったときに見た景色はしっかりとすべて覚えているんだ。その点、誰よりも生きていると言える。記憶こそ生を保証する第一の要素だからな。たとえそれが偽りであってもだ」
 僕らは煉瓦造りの門に到着した。奥に小さな立て看板が見えた。「東京藝術大学大学院美術研究科博士審査展2025はこちら」の文字が印字されている。僕らは藝大生の作品を見物しにやってきたのだった。

 僕は口をあんぐり開けながら作品を見つめた。腹の皮が切り取られ内臓が露呈した一匹のユニコーンが机に横たえられている。何本かのチューブが体に挿入されて、空気が送られるとユニコーンが呼吸をしているように動く。生きていたころに肺呼吸をしていたらこんな感じだろうと、架空の再現がなされているようだ。
「骨格はなかなかよくできている」
 皮や毛まで作られたユニコーンとは別に、一体の全身骨格が展示されていた。大崎はおおと唸りながらそれらを褒めそやした。
「本物の成熟したユニコーンは骨がもっと太い。折れた骨が太くなってしまうように、骨は長く生きるとごつごつした突起を形成しながら太くなるんだ。ただ、それを差し引いても実によくできている」
 作品は「蘇生するユニコーン」と名付けられていた。博士論文の実践として作られたようだ。理論的枠組みは明確で、3点に集約されていて、作品に生命感を賦与するには「身体内面を想像させるような表面の作り込み」、「身体機能が働いていることを示すような動き」、「喪失のエピソード」がポイントだと説いていた。内臓があって、それが動いていて、なぜ動かなくなったか語ることができれば、その作品は「生きていた」と思わせられるということだ。
 「蘇生するユニコーン」は膨大な細かい作業を継続して制作されていた。作るという行為が続けられる限り、ユニコーンを喪失し続けられる。制作そのものが弔いの儀式になる。神様は人に忘れられるまで存在するという話があるが、その変奏とも理解できそうだった。
「本物の死体もこんなに綺麗なのか?」僕は大崎に聞いた。
「いや、まったくもって違う。ユニコーンの体は血を失うと泡がはじけるように腐敗していく。抗反応物質が働いても問題なく動けるように、体組織が化学反応の早い物質で構成されてるんだ。だからユニコーンは魚のように血抜きをしてはいけない。ユニコーンの死体は黒いビニール袋に入れて、その血に浸された状態で持ち運ばなければならないのさ」
「ゴミを運んでるみたいだな」
「ユニコーンを運んでると思われるよりずっと安全だよ」
 僕はユニコーンを見つめた。生きていたことの証として創造される死を美しいと思った。死が生の終着点としてではなく、生を遡及的に決定する証人となるのなら、生命は死によって生きたことを証明する。それでも人は死を遠ざけたがるし、それゆえ隣に立つ大崎はユニコーンを使って研究している。なにより僕はユニコーンが偽物であることに安心している。
「まずい、ここを離れよう」
 にわかに大崎が慌てだした。大崎は今にも飛びそうな蝉を見つけたように天井を睨んでいる。光量を抑えた蛍光灯がちたちたと点滅していた。
「どうした?」僕は見当もつかず聞いた。
「振り返ってみろ」大崎は僕を見て言った。
 振り返ると、目の前を他の見物客が足早に通り過ぎていった。足早というのはいささか控えた表現だろう。まるで電圧を上げたおもちゃの猿のように手と足をぶんぶん振って右から左に歩いていった。手前から遠くに視線を移すと、距離に比例して動きは速くなった。その光景を一言で表すならばそう、「早送り」しているようだった。
 僕は大崎を見つめた。大崎はすでに僕を見つめていた。そして、大崎は言った。
「ユニコーンの血だ」

 建物を出ると夕闇だった。美術展に昼過ぎに入り、ちょろっと見物したくらいのつもりだったが、軽く4時間は経過していた。大崎と僕は全力疾走でもしてきたかのように激しく深呼吸した。それは大崎の勧めだった。
「本物を偽物に装うとはな。これが藝大生か、恐れ入ったよ」
 そう言って大崎はうれしそうに舌打ちをした。
「あれは本物のユニコーンの死体だったのか」僕は驚いて言った。
「それは違う。あの死体は美術作品さ。さっきも言ったとおり、ユニコーンの体は血を抜けば腐敗するんだ。管で血を流すくらいじゃ保存できない」
「じゃあなんで僕らの感覚は遅れていたんだ」
「だからユニコーンの血だよ。どうやって入手したのか知らないが、作品に流れていたユニコーンの血は本物だったのさ。それが何らかの欠陥か、もしくは意図してか、作品から霧散して展示室に広がっていたんだ。それを俺らは吸って、感覚の遅延が起きた」
 木々のざわめきがダイソンの掃除機のようにうるさかった。公園はもう人が少なくなっていたけれど、歩く人たちは狂ったように急いで見えた。世界に取り残されてしまった。そう思って肝が冷えた。大崎に支えてもらわなければ倒れてしまいそうだった。
「他の見物客たちはどうして感覚が遅れていることに気づかないんだ」僕は聞いた。今日は聞いてばかりだと思った。
「それは美術展にいるからだろう。動かない作品を見ているうちは感覚が遅れていることに気づかない。ゆっくり歩いていれば転倒することもない。ユニコーンの血をどっぷり吸い込むくらい作品を熱心に鑑賞する客は、他の客たちに関心がないから、自分だけ遅れているとは思わないのさ」
「でも時間があっという間に過ぎ去れば、おかしいと思うだろ」
「そうかな。美術展に来てるんだ。思ったより時間が過ぎていても、それだけ作品に夢中になっていたと喜ぶんじゃないか」
 心臓が早鐘を打っていた。早いと感じているのは自分だけで、通行人と比べればネズミとゾウを比べるくらい自分の脈拍が少ないのだろうと思うと、おかしな気分になった。
「大崎はどうして感覚が遅れていることに気づいたんだ」
「それは、蛍光灯が点滅して見えたからさ。あれは感覚が遅れているとよく見る光景なんだ。ほら、ヘリコプターの羽の回転数が高過ぎて止まって見えることあるだろ。なんでそんなことが起きるのかというと、ヘリコプターの回転周期と、自分の目が認識する周期が合致するからなんだ。羽が同じ位置にある瞬間だけ見えてるってことさ。蛍光灯だって実はとても短い周期で点滅している。俺らの感覚が遅れると点滅の周期がより短くなって、逆に点滅を認識できるようになるんだ」
 ふうん、とうなずいて僕は地面を見た。落ち葉の下で虫たちが右往左往しているのに気づいてぎょっとした。早送りで見れば生命が働き者であることは一目瞭然だった。
「いや参ったな」
 大崎はうめきながら地面に腰を下ろした。それにならって僕もゆっくりと座った。僕らの動きは虫たちにとっては緩慢なのだから、虫たちは僕らの尻からしっかり逃げおおせているだろうと思った。
「こんなところでユニコーンの血を吸うことになるなんてな」大崎はぐったりと言った。
「面白い体験ができたと思ってみるよ」僕は強がった。
「そんなことも言ってられなくなるぞ」
「どうしてさ」
「俺らは世界に流されて生きている。世界は人が感知できる何億倍もの情報で構成されていて、その土台に乗って人間は生きながらえているんだ。顕微鏡技術の進歩によって身の回りには大量の微生物がいるとわかったように、人間はとんでもない情報によって支えられているんだ。その情報の流れから数時間、いや数分、いやそれこそコンマ数秒でも遅れてしまったら、もはや全く違う世界に生きているのと同じなんだ。生まれ変わったと言っていい。ユニコーンの血を体に入れるのはやはり死ぬことなんだ。生まれなおしてからまた大人になるのは大変なんだよ」
「そんなこと言ったって、アフリカの村では毎年やってるんだろ」
「そう。毎年やってる。言い換えれば、毎年生まれ変わらなければならないほど過酷な環境で生き延びているのさ。赤ん坊の目線で見た方が恐ろしくなくなるものが世にいくらでもあるんだよ」
 たしかに僕は早送りの速度を徐々に緩めていく世界が愉快に思えてきたところだった。自分が世界に追いついていく感覚は、大学で初めてお気に入りの教授に出会って半期の授業を受けたときから長らく感じていなかったものだった。
「世界に追いつくにはどうしたらいいんだ」
 僕は大崎に聞いた。もしかすると今日でもっとも重要な問いかもしれなかった。
「そりゃもちろん」
 大崎は不敵な笑みを浮かべて南を指さした。
「ぐでんぐでんに酔っ払って寝ちまうことさ」


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