ある日記「泣くことと泣くことと」
岩永が泣いていた。舞台袖、数枚のパーテーションで客席と区切られた僅かなスペースで、床に手と膝を着いて、「ごめん」と仕切りに謝っていた。僕らは舞台でスベったのだった。つまり、僕らは負けたのだ。
『ハイスクールマンザイ』は全国の高校生が漫才の腕を競う大会で、いわばお笑いの甲子園だ。予選はイオンモールの特設会場で開催される。吉本興業が主催し、吉本の売れっ子芸人が予選のMCとして大会を盛り上げる。優勝したからといって芸人への道が開かれる訳でもないし、どうせ吉本のイオンでの営業が大会として体裁を整えられた程度のことなのだけど、出ている高校生からしてみれば確かに青春をかけた戦いの場だった。
僕と岩永は『ハイスクールマンザイ』に毎年出場した。高校三年生のときには、受験のために漫才を辞めていたにも関わらず、大事な夏休みを割き千切って大会に出場したのだった。
一次予選を勝ち抜くとすぐに準決勝だった。その当時、準決勝関東大会は毎年イオンレイクタウンmoriにて行われた。JR武蔵野線の越谷レイクタウン駅で降りて、イオンに入り、10分ほど歩き通した先にある吹き抜けが会場の設営場所だった。イオンレイクタウンはとにかく馬鹿デカく、駅から会場に着くまでずうっと歩いていると、緊張が喉から溢れて頭蓋を揺らすほどに高まるのだった。
『ハイスクールマンザイ』なんて所詮は吉本の営業の代替品だ。劇場というお笑いのために整備された豊潤な空間で行われる演芸ではない。会場のある吹き抜けは喋り声で騒々しく、常に舞台の側を通り抜ける買い物客がおり、客席にはただ座りたかっただけのお笑いに興味のない客が足を投げ出し携帯をいじってブスっとしていた。それでも、高校でろくに部活もやらずに漫才ばかりしていた僕らにとっては、若さを懸けられる唯一の場所だった。
あろうことか準決勝の舞台で僕らは新ネタを披露した。いつだって最新のネタが最強のネタだと信じていた。ネタの調整なんて概念は知る由もなかった。
38マイクの前で話し出してしばらく笑いがなかった。ネタが折り返した頃には心が折れていた。大オチにさしかかって少しずつ笑ってもらえたが、応援に来てくれていたパーマ大佐が無理にでも爆笑してくれているのがよく見えた。
袖に引っ込んだ途端に岩永が泣いた。部活も辞めて、漫才だけになって、受験期の大事な時間を使ったのに、自分の書いたネタがダメだったばかりにと、反省と悔恨を繰り返した。岩永は負けを一人で背負っていた。僕は「何言ってんだよ、楽しかったよ」と言って、笑って背中を叩くばかりだった。
それから十三年が経った。僕らは西新宿のコメダ珈琲でお茶を啜っていた。僕の隣にはこれから妻になる女性が座っていた。僕が共に生きてゆく二人に顔合わせしてもらうために設けた席だった。
岩永はどんな顔をするのだろう、と腹がるみるみと騒いでいた。僕が初めて彼女ができたことを知らせたときは、出町柳の鳥貴族に山田ボールペンを交えて飲みに行ったあとで、二人は僕を置いて「怖い怖い怖い」と叫びながら駆け出した。今度もまたお笑いでぎゅっと包みながら、なんだかんだ受け入れてくれるのだろうかと予想していた。
馴れ初めだったり、二人の暮らしぶりだったり、結婚の希望だったりを話していると、岩永が身を縮こませ俯くのがわかった。そして、会話がはたと止まり、岩永が泣いた。じっと見つめていると、岩永が「幸せになって欲しい」と言った。
岩永は涙の波から息継ぎをして、言葉を畑に植えるように置いていった。京都大学まで行った友達を芸人の道に引き摺り込んだことに責任を感じているようだった。言われてみれば僕らは十年結果を出せず、会社に勤めている友達は重要な役職に就き始めていた。「俺では幸せにしてやれないから、結婚という幸せが倉田に訪れたことが嬉しい」と岩永は泣き声に乗せて言った。
僕は十三年前と同じように、笑いながら「今までも幸せですけどね」なんて言った。そして、「喜んでもらえてよかったね」と隣と顔を見合わせた。悲しみや苦しみを横目に幸せだけに焦点を合わせてふわっと飛んでしまうのは僕の常套手段だった。
どうして岩永にコンビの人生を背負わせてしまっているのだろうか。岩永だけがネタを書いているからだろうか。それはそうだろう。僕が今ひとつ世に出る力が無いからだろうか。それはそうだろう。僕が幸せそうにしていないからだろうか。それはそうだろう。
僕は人に自分を伝えるのが苦手だ。芸人を名乗っていることが不思議で仕方がない。自分がそれなりに幸せにやっていること、それなりに楽しくやっていることを誰かに知ってもらおうとあまり思わない。
しかし、こんな生き方はきっと誰かに背負ってもらっているからできるのだ。二の足で立つ誰かの肩の上から世界を眺めているからできるのだ。
僕は自分の足で立たなければならない。そうすれば岩永を泣かせることなんてないのだ。そうすれば岩永を笑わせることができるのだ。泣かせたくない。泣かせたくない。いつだって笑わせたいよ。

いいなと思ったら応援しよう!
よろしければサポートお願いします。新書といっしょに暮らしていくために使わせていただきます。