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物語化批判の哲学(難波優輝、講談社現代新書)

 難波優輝『物語化批判の哲学 - 〈わたしの人生〉を遊びなおすために』(講談社現代新書)を読んだ。乱暴に要約すると、「物語」という誰かが敷いたレールを取っ払って生きるために「遊び」に注目した本だ。
 「物語」は今や将来設計に留まらず、この瞬間にどう感じるのが正しいのかすら規定しようとしてくる。例えば、ポカリスエットのCMでは「青春」はかくあるべきと視聴者を説得する「物語」が描かれている。他者を理解したい、他者と共感したい、そして自分が何者なのか知りたい、こういった欲望に解を与えるのが「物語」だ。
 僕は芸人をやっている。大学を卒業して企業に就職するという「物語」から脱出した結果だ。芸人をやることを決断したとき初めて自分の人生の操縦桿を握ったような気がした。できる相方におんぶに抱っこで楽しい芸人人生を送ってきたが、人生を自分でコントロールしている感覚は失われていない。
 芸人という生き方と「遊び」を比べてみよう。難波は「遊び」を「ゲーム」「パズル」「ギャンブル」「おもちゃ遊び」の四種類に分類する。ロジェ・カイヨワが『遊びと人間』で提示した四つの分類からヒントを得ている。
 「ゲーム」の特徴はクリアという明確な目標があることだ。プレイヤーは努力を重ねてパラメーターの数値を上昇させゴールに向かう。芸人を取り巻く環境は「ゲーム」に近づいている。芸人には「売れる」という目標があり、達成までの過程がどんどん可視化されている。劇場でのヒエラルキーや賞レースの戦績を上げていくのはゲームのステージをクリアするようだ。舞台でチャンスを掴めなくてもYouTube、TikTok、Instagramと活躍の場はいくらでもあり、どれだけ視聴されたかが一の位まで数値として表れる。もはや「売れる」という目標が形骸化しても芸人でいることは楽しい。
 「パズル」の特徴は発見の快楽だ。必ず存在する正解を求め、じりじりと思考を深めて、答えへとたどり着く。わからないことの不快さが好ましいものに反転する。芸人の活動は「パズル」で満たされている。ウケるという絶対的な正解が存在し、それに向けて考えを巡らせる。舞台での発言、ネタ、メディアでのトーク、単独公演と、準備する期間と規模の差こそあれどやることはずっと変わらない。このところ盛り上がりを見せている大喜利はそのものが「パズル」だ。正解を掘り当てたときに客席から返ってくる爆笑は代えの効かない報酬だ。
 「ギャンブル」の特徴は不明性に身を預けることだ。正しく運用された確率はどこまでいっても確率として存在する。パチンコやスロットの攻略法がいくら開発されても失敗するときは失敗する。長い目で見れば確率が収束し必ず勝てると言ったって、目の前の勝負は誰にもコントロールできない。お金が自分の手を離れて増えたり減ったりすると、人はお金の実感を失い、そしてお金を超越する。「ギャンブル」を経験すると、お金という価値体系から逸脱した主体を獲得する。
 芸人になるとあらゆる言動が「ギャンブル」に変わる。ウケるという報酬にその身を賭けるのだ。芸人は自身を芸人であると宣言したときから面白いことをしなければいけなくなる。裏を返せば芸人は面白いかどうか意識して見てもらえる。賭場への入場料として芸人を名乗ると言ってもいい。また、ウケるかどうかは確率だ。客席に集まる人々の属性は様々で、自分の発信する情報が伝わるかどうかはそのときになってみないとわからない。そして、ウケることを続けていくと、大きくウケるか大きくスベるかどちらかの大きな賭けに飛び込みたくなる瞬間が訪れる。ウケるという価値体系から逸脱するのだ。そうやって賭けに出続けた者がより大きな賭場へと歩みを進めることとなる。
 「おもちゃ遊び」の特徴は遊びの主体と客体が曖昧になることだ。例えば、人形を使ってごっこ遊びをするとき、人形を自身と同等の存在として扱うようになる。すると自分が人形を使っているのか、人形が自分を使っているのかわからなくなる。自分が遊びの駒になる感覚と言ってもいい。自分が置かれた状況を面白がっていくと、自分の立場をコントロールすることを手放せるのだ。
 芸人になることはそもそも「おもちゃ遊び」のおもちゃになることだ。舞台上の主導権を奪い合いながら、イジるイジられるという立場を交換していく。イジられることは場の価値基準に平伏することだ。イジりはイジられる側が抗えば抗うほど目線が固定されていくようになっている。イジりを跳ね返すにはより強力な価値基準を提示すればよい。美しい反論のセンテンスをパンチラインと呼ぶ。お笑いの舞台は誰が主体として遊んでいるのか判別できない場だ。
 このように芸人として生きることは「遊び」に近い。とはいえ「物語」に飲み込まれていないかというと全く否だ。芸人を目指す者には誰にでも参照してきた芸人がいるし、売れている芸人の人生や振る舞いを模倣して芸人を始める。「物語」が紡がれた芸人は視聴者としても受け入れやすくはっきり言って面白い。歴史がある肩書を背負うことはすなわち「物語」を引き受けることなのだ。とすると「ハイパーメディアクリエイター」とか名乗っていた人たちは「物語」から脱出しようとしていたのかもしれない。僕はまだ「物語」のなかでたゆたっていたい気がする。


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