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ある日記「京都にいた」

 朝九時四十五分に目覚ましが鳴った。二段ベットの一段目で起き、着替えて、顔を洗って、コンタクトを付けて、シーツと枕カバーを外して廊下のかごに入れた。荷物をまとめて、一階に降りて、チェックアウトをした。外に出て、澄んだ空気と銀杏の匂いを頭に抜けるように吸い込んだ。僕は京都にいた。
 前日、大阪でライブをやって、新世界の串カツ屋で打ち上げたあと、終電で京都に来た。僕がかつて暮らしていた京都大学熊野寮の同窓会である同釜会に寄るためだ。神宮丸太町駅の黴臭い階段をたたんと上がって、予約していたホステルのNINIROOMに荷物を置いた。深夜でも入れて、チェックイン作業はチェックアウトのときにすればよく、何よりとてもあたたかみがあった。
 身軽になったら、コートのポケットに財布とメントスを入れて寮に行った。玄関口ではいつものように机を並べて鍋をやっていて、寮生や元寮生が紙コップに注いだ酒を片手に語らっていた。知り合いに声をかけつつ奥に進むと、食堂の入り口で麻雀大会が開かれていた。深夜零時を越えていても、集中力を研ぎ澄ました数十人が鬼の形相で牌を並べていた。もっと奥へと進むと、畳が一面に敷かれ、食堂のおばちゃんが休日返上で作ってくれた鍋を囲んでいる人がまだまだいた。寮はいつでも起きているのだった。
 瓶ビールが残っていないかと業務用冷蔵庫に向かうと、ちょうど同期が立ち話をしていた。会うのは六年と半年ぶりだった。「変わらないね」と言われて、「そっちこそ変わらないね」と言った。近況を話しているうちに時間は飛んでいき、いつの間にか椅子に座り、朝の五時まで話した。せめて洗い物くらいはしておこうと、大きな大きな寸胴鍋を十六個手分けして洗い、そしてホステルに帰った。
 京都の朝はいい。しんと冷たい空気は吸いやすく、空は広くて静かだ。気の向くままに京大北門前にあるカフェの進々堂に行くことにした。どうせならと京大の構内を通った。吉田寮の入り口には後輪を二つとも外された赤い車が横たわっていて、校門の前では学生が両親と写真を撮っていた。ちょうど広場に誰もいなかったので時計台の写真を撮った。大学の象徴的な建物はいつも偽物みたいだった。

 進々堂に入った。店内にはまだ客がいなかった。注文を先にするシステムで、おそらく店員さんの手書きのイラストが目にとまったバナナジュースを選んだ。店員さんに「京都の学生さんですか」と聞かれ、「違います」と言った。久しぶりにされた質問だった。十年以上前に手に入れた学生証はまだ財布の中にあった。
 好きなところに座ってよかったので、映画『夜は短し歩けよ乙女』で主人公たちが座っていた席に着いた。大きな窓ガラスから通りが見えて、通行人たちは皆こちらを眺めて過ぎ去った。店内はしっかりと年月を重ねた雰囲気があって、外から覗きたくなる佇まいだった。頭を落ち着かせたくて進々堂に来たので、別の席に移った。
 バナナジュースを啜っていると、学生二人が入店した。学割を使うために学生証を見せると、店員さんが「知らん大学やわあ」と言った。「学割は京都の学生さんが勉強するためにやってるから」と説明していた。京都の人々にとって「京都の学生さん」が京都大学生のみを指すという話は聞いたことがあったが、いざ目の当たりにしてみると肝が冷えた。それでも、学生たちは学割を使えたようで、逆に言えば、架空の大学の学生証でも学割が使えそうだった。店員は京都の大学くらいしか知らないのだから。

 昼になったので百万遍にあるハンバーグ屋のジェイムスキッチンに行った。学生は略して「JK」と呼んでいるお店だ。券売機が相変わらずの爆音で「現金を入れてください」とけたたましくアナウンスしていた。デミグラスソースのハンバーグをMサイズで頼んだ。ご飯がお代わり自由なので大盛りにしたら、ハンバーグを食べ終わってもまだ半分あった。卓上の細切れ沢庵と塩と味噌汁で食べた。学生だったころから正しいサイズのご飯を頼めたことがなかった。

 豆大福でも食べようと出町ふたばに行くことにした。店がある出町商店街の辺りは大学からも寮からも遠く、たまにしか足を運ばなかったので、遊びに行ったときは閉店前の夕方にふらっと大福を買うのがお馴染みの経路だった。途中で鴨川デルタに降りて橋を眺めた。バスが通るときがかわいくて好きだった。店に着くと見たことないほどの大行列が出来ていた。列を収めるのに店の前だけでは足りず、道路を渡った向こう側に店員を立てて、列を続けていた。店は宣伝の上手いどなたかに有名にされてしまっていた。

 鴨川を歩くことにした。川岸に座る人と、ベンチに座る人と、木陰に座る人と、歩く人と、走る人と、自転車で走る人と、集まって遊ぶ人がいた。川を鴨の一団がとるとると流れていた。空が広かった。妻からLINEが来て、「鴨川をお散歩しているよ」と言うと、「くるり聴いてるのかな」と言われた。僕はくるりを聴いていた。

 街に戻って、京都御苑の南を西へと歩いた。それからフリアンディーズというパン屋に入って、蜂蜜でコーティングされたサイコロ型のラスクを買った。ひとかけで「もうこれ以上食べてはいけない」と思うほど甘く、理性を叩き割るほど美味しい。一袋で背徳感がたぷたぷになるものを僕は三袋買った。

 電車に乗って東福寺に行った。通天橋から見下ろす紅葉の森が有名なところだ。葉がちょうど紅く染まる時期だった。それに、暑かった夏が秋を引き止め、紅葉を狩るのにぴったりなあたたかさがあった。駅から寺に着くまでも綺麗に色づいた紅葉があり、観光客が何枚も何枚も写真を撮っていた。紅葉を下からも上からも見つめ、僕は秋にサンドイッチされた。

 京都駅で春組織の具志堅と山田ポールペンと合流した。具志堅が京都に初めて来たというので、観光地らしい清水寺に行くことになった。京都駅のロータリーで206番に乗ろうとすると、停留所に長蛇の列があった。清水寺が観光客でしっちゃかめっちゃかになっていることを察した僕らは目的地を京都御苑に変更した。オーバーツーリズムは慎ましい観光の敵だった。
 白砂利と松と紅葉が美しく配置された京都御苑は相変わらず人がまばらで、歩くのがとても気持ちよかった。御所の近くまで来ると、山田が「この周り、部活で走らされたわ」と言った。京都がいくら美しかろうと、外国人に埋め尽くされようと、汗をかいて苦々しい思い出を味わった住人が大勢いる。当たり前のことが都で光り輝いていた。

 北東に向かうとグラウンドが見えた。少年野球の試合をやっているところで、三人でベンチに座って観戦した。遠目で見るだけでも、ゴロを華麗に捌くショートのプレイには美しさがあった。「これめっちゃいいな」と口々に言った。十五分も見ているとゲームセットとなった。少年たちが精一杯の太い声で「ありがとうございました」と叫んだ。監督が背番号三十だったので、小学生のチームだと具志堅が教えてくれた。二人とも部活で野球をやっていた頃の思い出話に花を咲かせていた。僕は万城目学の『八月の御所グラウンド』を読みたくなった。

 鴨川にかかる橋を渡って下鴨神社に行った。糺の森の薄暗い道を北上すると、ついさっきまで商売をしていたテント群が畳まれているところだった。あと十五分早ければお祭りを味わえたかもしれなかった。それでもカラスの鳴く森は好きな京都の風景だった。薄暗くて、賑わっていて、ちょっと気を狂わせてみれば千年前の貴族に会えるようだった。
 参拝を済ませ、バスに乗って山田が行きつけにしていたカフェ逃現郷に行った。店に入ると岩永が友達といた。友達は僕の友達でもあって、みんなで同じ高校から京都大学に行ったのだった。映画『果てしなきスカーレット』がよかったという話を友達からひとしきり聞いた。それから山田と具志堅と机に着いて、ナポリタンを食べた。コーヒーの香りと、タバコの煙がたゆたって、声を落とした会話が響く、まさしく良い喫茶店だった。

 切符を取っていた新幹線の時間が近づいたので京都駅に向かった。具志堅の知り合いがやっているカレーうどん店の味味香(みみこう)が駅の地下街にあって、入店の列に並んでみた。刻一刻と新幹線の発車時刻が近づいてきたが、僕らは五分また五分と入店を待機する時間を延ばし、なんとか店に入った。ずぞぞぞとカレーうどんをかき込み、「うまかった。よかった」と感想を口々に走らせて、大満足して新幹線に乗った。

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