器がたり3 気負いのない器たち
都内で人気がある器屋さんのギャラリーを訪れたとき、微妙な違和感があったので、それが何なのか考えてみました。
お店のプレゼンテーションは、とてもスタイリッシュでした。
並べられている作品は、お値段が高いけど悪くない。
つらつらと考えてみるに、ここのお店の
「どや、ええもん揃っとるやろ?」みたいな顔が透けてみえて、ちょっと気になったのでした。
(あくまでも個人の感想です)
料理人の腕を問う器が多い、とも見ました。
無駄のない用の美が好き
主婦の私、しかもばーさんとなると、こういう器たちは荷が重い。
緊張しますもの。
それよりも、どこかスキがある器のほうが、盛り付けが楽しめます。
タイトルの写真の器たちは、我が家の酒器です。
親から譲り受けたもの、陶芸家の友人からいただいたもの、若い時に自分で清水の舞台から飛び降りるつもりで、買い求めたものなどなど。
金継ぎしたものもあります
しかも、酒器とはいっても、一輪挿しに使っているものや、麺つゆをいれているものもあります。
“家庭料理は民藝”
とおっしゃったのは土井善晴先生。
よくぞ看破してくださった。
毎日、天候や家族の体調を考え、食費と手近にあるものを睨み合わせて、しかも家計もにらみ合わせる。
もちろん家族に美味しく食べてもらえるように。
そう。
栗原はるみ先生がおっしゃったように
“こちそうさまが、ききたくて”
です。

冷食の餃子をスリップウエアに
あんかけ冷ややっこは大学生時代に茶道の師匠から
いただいた抹茶茶碗に。

30年ほど前に町の器屋さんで購入した染付によそいました。
取り分け皿は義母の愛用していたもの。
とっても昭和です。
東京・駒場の民芸館で求めたスッカラでいただきました。
こんな感じで毎日のご飯と器を楽しんでいます。
あは、ちょっとドヤ顔しちゃいましたかね(汗)
ともかく普段のご飯は安心感の拠りどころ。
そこに民藝の、健やかなる美に通じるものがあるのかも。
ヌケと余白
渋谷区の幡ヶ谷に、とってもオシャレなカフェがあります。
友人を誘ってランチに。
あるいは一人でフラリと立ち寄ることもあります。
食材とスパイスの取り合わせが見事だし、スイーツも手間暇を惜しまぬ完成度の高さ。
それが食器にも反映されています。
澄まし顔はしてますが、ドヤ顔はしてません。
涼しい。
それはなぜか。
多分、ヌケがあるからだと思うのです。
再生材のお皿や素朴なアンティーク、東アジアの民芸品を使っており、それらの空気感が、柔らかくて。
お店の方に思わず、どこで求めたのか教えていただきました。
余白…これが難しい。
これは日本のアート独特なのではないか。
美学ですよね。
それなら、余白のある料理とは?
うーむ。
もしかしたら、これは禅の典座に当たるのかもしれません。
ある意味ヌケとはベクトルが逆なのか。
私のような凡夫のばーさんは、とてもとてもその境地には到達できませぬ。
このあたりで降参といたしましょう。
