任天堂と私と40年
スーパーマリオブラザーズが40周年を迎えました。
1985年9月13日に発売されたゲームですから、私が小学生の頃に遊んでいたマリオも、もう40歳です。
40周年。
そう考えると、なんだか不思議な気持ちになります。
考えてみれば、私はマリオと一緒に歳を重ねてきたようなものです。
ファミコンから始まった
小学生の頃、私はファミコンに夢中でした。
スーパーマリオブラザーズ。
ドラゴンクエスト。
ファイナルファンタジー。
今のゲームと比べれば、当時の画面はずいぶんシンプルです。
でも、子どもの頃はそんなことを考えたこともありませんでした。
画面に描かれているものだけが、ゲームの世界ではなかった。
描かれていないものまで、自分の頭の中で勝手に想像していたんだと思います。
今思えば、昔のゲームには「想像する余白」がありました。
今のゲームは、映像も音楽も圧倒的に進化しています。
それは素晴らしいことです。
でも、昔のゲームには、子どもが自分の想像力で補完する余地があった。
私は、それもゲームの楽しさの一つだったと思っています。
ゲームから歴史を教えてもらった
私はゲームから、いろいろなことを教えてもらいました。
三国志や信長の野望も好きでした。
ゲームをしながら、武将の名前や歴史上の出来事を覚えていきました。
学校の授業より先に、ゲームで歴史を知ったことも多かったと思います。
今振り返ると、コーエーのゲームは私にとって「知育玩具」だったのかもしれません。
スーパーファミコンでは、シムシティにも夢中になりました。
自分で街をつくる。
道路を引いて、住宅地をつくって、工場をつくる。
人口が増えれば税収が増えるけれど、街づくりを間違えると財政が苦しくなる。メルトダウンも今考えるリアリティがありました。
遊びながら、街というものがどうやってできているのかを考えていました。
桃太郎電鉄で、地理や日本全国の特産物や産業を学びました。いまだに襟裳岬の牧場の利益率の高さは記憶に残っています。そして貧乏神をなすりつける駆け引きもです(笑)
ゲームは、ただ遊ぶだけのものではありませんでした。
私にとっては、知らない世界を覗くための入り口でもあったのだと思います。
そして任天堂が嫌いになった
そんな私ですが、実は一時期、任天堂が嫌いでした。
理由は、スクウェアです。
私はスクウェアのゲームが大好きでした。
プレイステーションが登場し、次世代ゲーム機競争で、当時の私は、完全にプレイステーション側でした。
任天堂とプレイステーションが競争しているのを見て、
「任天堂がスクウェアの邪魔をしている」
くらいに思っていました。
それに、スーパーファミコンやニンテンドー64のソフトは、とにかく高かった。
子どもにとって、ゲームソフトは決して安い買い物ではありません。
一方で、プレイステーションのCD-ROMのソフトは比較的安く感じました。
当時の私は、
「任天堂がほぼ独占しているから、ソフトが高いんじゃないか」
と思っていました。
だから、任天堂は子どもからお金を取る会社だ。
そんなふうに思っていた時期さえあります。
もちろん、今になって考えれば、そんな単純な話ではありません。
カセットとCD-ROMでは、そもそも製造コストなどが違います。流通ルートも異なっていたようです。
当時の私は、そんなことまで考えていませんでした。
今振り返ると、ずいぶん一方的な見方をしていたものです。
岩田さんとの出会い
そんな私が、再び任天堂を好きになるきっかけになったのが、岩田聡さんでした。
私は岩田さんが好きでした。
岩田さんは、MOTHERや星のカービィの開発に携わり、天才プログラマーとして知られていました。
経営危機に陥っていたハル研究所を社長として立て直した後、その手腕を請われて任天堂の社長になった人です。
でも、不思議と「天才プログラマー」とか「社長」という感じがしませんでした。
私には、ずっとゲーマーに見えました。
ゲームが好き。
そして、どうすればもっと多くの人がゲームを楽しめるのか。
どうすれば、ゲームをやったことがない人にも楽しんでもらえるのか。
そんなことを、本気で考えている人に見えました。
その答えの一つが、WiiやニンテンドーDSだったのだと思います。
それまでゲームをしていなかった人まで巻き込んで、ゲームの楽しみ方そのものを広げていった。
私自身も、Wiiで遊び、ニンテンドーDSや3DSでも遊びました。
経営者というより、ゲームが大好きな少年が、そのまま大人になったような感じ。
私は、そんな岩田さんの人柄が好きでした。
糸井重里さんの『岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた。』という本も読みました。
本の細かい内容は、今ではもう全然覚えていません。
でも、読んでいて強く感じたことは覚えています。
「この人、本当にゲームが好きなんだな」と。
そして、読んでいるうちに、なぜか涙が出てきました。
――この人がもういないんだという現実を知っていたからかもしれません。
岩田さんが亡くなったとき、本当に悲しかった。
今思えば、私は岩田さんを「任天堂の社長」として好きだったのではなく、
「ゲームが大好きで、みんなを楽しませようとしている人」
として好きだったのだと思います。
そして今
そんな私も、今では子どもたちがSwitchで遊んでいるのを横目で見ています。
昔は、自分がコントローラーを握っていました。
今は、子どもたちが握っています。
私はスーパーファミコンのゼルダの伝説が好きでした。
でも、Switch版のゼルダは、もう指が思うように動きません。リンクのパラセールをうまく開けず、崖から落ちて死んだので、プレイするのは止めました(笑)。
だから、子どもたちが遊んでいるのを見ています。まるで自分自身のように、自由自在にリンクが動き回っている映像を見て満足しています。
それでも、とても楽しいです。
そして家を見渡してみると、歴代のSwitchが3台。
さらにSwitch 2も1台あります。
昔、
「任天堂は子どもからお金を取る会社だ」
なんて思っていた自分は、いったいどこへ行ったのでしょう(笑)。
今では、すっかり任天堂だらけです。
マリオの映画『ザ・スーパーマリオギャラクシー・ムービー』を映画館で子どもと一緒に観ても楽しい。
子どもの頃に遊んでいたマリオが、今も新しい姿で楽しませてくれる。
考えてみれば、不思議なものです。
40年前、私は子どもでした。
ファミコンでマリオを遊んでいました。
その後、任天堂を嫌いになった時期もありました。
スクウェアが好きで、プレイステーションに夢中になった時期もありました。
それでも、いつの間にかまた任天堂が好きになっていました。
そして今は、自分の子どもたちがSwitchで遊んでいます。
ゲームは、ずいぶん変わりました。
画面はきれいになり、できることも増えました。
でも、ゲームを見て「わくわくする」という気持ちは、昔も今も変わらないのかもしれません。
マリオ40周年。
気がつけば私は、マリオと一緒に歳を重ねてきたようです。
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