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短編小説『浮き玉カエルの奇跡』  

 みなさんは浮き玉が空中に浮かぶとお思いでしょうか? 
これは浮き玉カエルが、私にしてくれたお話です。

 浮き玉というのは、水鉢に浮かべて涼味を楽しむ、ガラスや陶器の飾り物のことです。球体に絵付けをしたものや、蛙や金魚、亀や蓮の葉など、水辺の動植物を模してつくった物があり、中が空洞になっているので存外軽く、水に浮くのです。ただ、それが空中に浮いたとしたら、話はべつです。それこそ奇跡です。
 実際そんなことが起こるものでしょうか‥‥。

 浮き玉カエルは、もともとは園芸店のレジカウンターの端に置いてある、籠の中にいました。
 ある日、店員に花束を包ませていた客が、カウンターの籠に目を止めて言いました。

「わぁ、可愛い」
 その奥さんは、籠に盛ってあるいくつかの浮き玉の中から、一番上にあったカエルをつまみあげました。
「そのカエル、浮くんですよ」 
 店員は花束を包む手をとめて言いました。

「空中に浮くんですか?」
 
 店員は失礼のないていどに、奥さんの顔をちょっと見ました。
「いえ、水にです」
「あ、水ね」
 それならつまらないといった感じでした。
 
 空中に浮くわけないだろうが、とそのとき浮き玉カエルは心の中で悪態をついたそうです。
「でもこれ、いただくわ。あ、この金魚も可愛いわね」
 奥さんは、べつの籠に盛ってある、金魚の浮き玉を眺めはじめました。
 
 浮き玉カエルはどきどきしました。実はこの金魚の浮き玉の中で、カエルが「金魚ちゃん」とひそかに呼んで、思い染めている金魚がいたのです。もし奥さんが「金魚ちゃん」を選べば、カエルと彼女は、ずっといっしょにいることができるのです。カエルは祈るような気持ちで籠を見ました。
 
 籠には八個ばかりの、陶器の浮き玉金魚がいました。だけどひと口に金魚といっても、平たいものや丸いものなど形はさまざまです。カエルの金魚ちゃんがほかの金魚と、特に違うところは尾びれでした。金魚ちゃんの尾びれは、いまにも元気よく泳ぎだしそうに見えるのです。この奥さんにその良さがわかるだろうか? カエルはじっと奥さんを見つめました。

「これをいただくわ」
 奥さんは金魚ちゃんを手に乗せました。カエルは飛び上がらんばかりに喜びました。この奥さん、唐変木ではあるが見る目はある、とほめてやりたくなったほどです。
こうしてカエルと金魚ちゃんは、奥さんの家に行くことになりました。

 奥さんのうちはマンションでした。水鉢はどこにもありません。さっそく水に浮かんでゆらゆらできると思っていた、浮き玉カエルと金魚ちゃんは、大いにあてが外れました。奥さんはテーブルの上に、カエルと金魚ちゃんを並べて置きました。

「ね、このカエル、あなたに似ていない?」
「俺って痩せてるし、お腹なんか出てないぜ」
 旦那さんは心外といった感じで言いました。
 たしかに浮き玉カエルのお腹はまん丸でした。だからこそ水に浮くのですが、スタイルがいいとはいえません。

「そうじゃなくて、太っ腹なところよ」
「太っ腹なぁ」
 旦那さんはまんざらでもなさそうでした。
「あなたがこのカエルなら、わたしは金魚ね」
 奥さんはそう言うと、窓際の棚に、カエルと金魚ちゃんを寄り添うようにくっつけて置きました。

「ね、ここに飾りましょ」
 
 カエルと金魚ちゃんは、こうして浮き玉としてではなく、飾り物として、奥行き9センチ、幅90センチの棚に飾られることになったのです。
 もちろんカエルに異存はありません。なにしろ思い焦がれていた金魚ちゃんと、こんな近くで、ずっといっしょにいれるわけですから。それにカエルの方が金魚ちゃんより丈が高いので、いつでも尾びれを眺めることができるのです。その今にも水の中をすいすいと、力強く泳ぎ出しそうな尾びれを見ていると、カエルは、なんだか自分の中に力がみなぎってきそうな気がするのでした。
 
 奥さんと旦那さんがいなくなると、浮き玉カエルはおずおずと金魚ちゃんに言いました。
「これから、よろしく」
「私の方こそよろしくね。カエルさんといっしょに買われて良かったわ」と金魚ちゃんは恥ずかしそうに言いました。
 カエルはすっかり喜んでしまい、平気な顔をするのが大変なくらいでした。

 それからしばらくの間、浮き玉カエルと金魚ちゃんの、平穏なそしてうれしい日々が続きました。

 しかし一ヶ月ほど経ったときのことです。
 奥さんと旦那さんの言い争う声が聞こえました。奥さんはプリプリ怒りながら、部屋に入ってくると、さも嫌そうにカエルを見ました。そして金魚ちゃんをつまみ上げると、三十センチばかり離れたところに置いてしまったのです。
 
 どういうことなんだ、とカエルは思いました。
「金魚ちゃん、奥さんはどうしちゃったんだろう」
「旦那さんと喧嘩したんじゃないのかな」
「だからって、僕たちにはなんの関係もないのに」
「旦那さんはカエルさん、奥さんはわたしってことだから、旦那さんなんて大嫌いという気持ちをあらわしたってことかも」
「とんだ災難じゃないか」
「そのうち仲直りするわよ」
 金魚ちゃんはけろりと言ったけれど、カエルはがっかりしてため息をつきました。

 その翌日、金魚ちゃんの言ったとおりに、奥さんは鼻歌を歌いながら部屋に入ってきて、カエルと金魚ちゃんを元どおりにぴったりとくっつけて置きました。
「やれやれ」カエルはほっとしました。
 
 それから二ヶ月ぐらい経って、またも奥さんは金魚ちゃんを三十センチぐらい離したところに置きました。
「また喧嘩したみたいね」と金魚ちゃんは言いました。「でもあの人たち、すぐ仲直りするわよ」
 翌々日、奥さんはカエルと金魚ちゃんを、元どおりの場所に置きました。

 それから三ヶ月ばかりたったある日のこと、奥さんは泣きながら部屋に入ってきて、金魚ちゃんを90センチも離れた、棚の反対側の隅に置きました。
「おーい、金魚ちゃん」
 浮き玉カエルは大きな声で言いました。
「こんなに離れてちゃ、寂しくなっちゃうよ」
「私もよ。でもまたじきに仲直りするわよ」
 
 だけど今度ばかりは、金魚ちゃんの予想は当たりませんでした。奥さんと旦那さんは食事さえいっしょにとらなくなりました。目を合わさないようおたがいの顔も見ません。それがもう七日も続いているのです。
 浮き玉カエルは、さすがになんとかしなくちゃ、と思いはじめました。これ以上、奥さんのしかめっ面は見たくないし、金魚ちゃんと離ればなれになっているのもまっぴらでした。

「奥さんと旦那さん、なんとかならないのかな?」
 浮き玉カエルは金魚ちゃんにたずねました。
「離婚なんてことにならなければ良いけど」
 金魚ちゃんは心配そうに言いました。
「まさか」
「だって、こんなに何日もおたがいに無視しあってるのよ。もし離婚ということになったら、わたしは奥さん、カエルさんは旦那さんと一緒に引っ越しすることになるんだわ。そうしたら、カエルさんとはもう二度と会えないわ」
「おいおい、縁起でもない」
 カエルはそう言ったものの、内心穏やかではありませんでした。
「あの二人、奇跡でも起こらないかぎり、仲直りなんて無理よね」
 金魚ちゃんは深いため息をつきました。

「奇跡かぁ、ふーん、奇跡ねぇ」
 カエルはその言葉が気になって、何度もつぶやきました、
 すると浮き玉カエルはふいに思い出しました。奥さんがカエルと金魚ちゃんを買った日のことです。奥さんは「浮く」と言った店員の言葉を勘違いして、浮き玉カエルが空中に浮くと思ったのでした。
 そうだ、僕が空中に浮いたら、奥さんは喜ぶんじゃないかな。きっと笑い出すかもしれない。そうしたら、旦那さんも何事かと思ってやってきて、僕の空中浮揚を見てびっくりするに違いない。どういう理由で二人が仲違いしているのかは知らないが、いつまでも喧嘩しているなんて、馬鹿らしくなっちゃうんじゃないだろうか。
 カエルはさっそく金魚ちゃんに、この思いつきを話してみました。
「そんなことほんとうにできるのかしら」
 金魚ちゃんは頭をかしげました。
「できそうもないことだから、奇跡なんじゃないか」
 カエルはいつになくむきになりました。
 
 その夜、カエルは空中浮揚を試してみることにしました。ともかくできるかどうか、やってみなくてはなにも始まりません。
 まずは心の中で念じてみました。
「僕よ、浮け、浮け、浮かび上がれ」
 しかし体はびくともしません。浮き玉カエルの足は、太鼓のように丸いお腹の脇に、申しわけ程度にへばりついているだけなので、ぴょんと跳ね上がるための役にはたちそうにもありません。カエルはそれでもあきらめませんでした。

「僕よ、跳ねろ、そして空中に浮け、浮け、浮かび上がれ」
「僕は浮く、浮く、浮く、浮く、絶対に空中に浮く」
 カエルは言葉を変えて、いろいろと試してみました。なんべんもなんべんも空中に浮いた自分の姿を思い浮かべました。そして全身に力を込めて念じました。
 どのぐらいの時間がたったでしょうか。あまり熱心に思ったせいで、顔は真っ赤になり、頭はくらくらしてきました。
 とうとう気が遠くなりそうになったとき、すとんと体が棚板にぶつかりました。カシャンと音がして、丸いお腹にその音が響きました。
 これはもしかして、いま空中に浮いていたのかもしれない、と浮き玉カエルは思いました。

「カエルさんったら、何をしているの?」
 金魚ちゃんが目を覚まして言いました。
「いま音がしたわね」
「僕が空中に浮かんで、それから棚に落ちた音かもしれない」
 カエルは真剣に言いました。
「そうなの、そうだったらすごいわ。でも気をつけて。わたしたち陶器なのよ。何度も棚板の上に落ちたら、ひびが入って割れてしまうわ」
「大丈夫だよ。でもほんとうに空中に浮いたかもしれないんだ」
 カエルはそれからも、なんべんもなんべんも念じました。でもなにも起こりません。そのうち金魚ちゃんはまた眠ってしまいました。
 
 東の空が明るくなってきました。部屋の中もほの明るくなったころ、浮き玉カエルはとうとうやったのです。棚から1センチほど空中に浮かんだまま、じっと止まっていたのです。

「金魚ちゃん、見て」
 カエルは叫びました。
 金魚ちゃんは眠そうな目を開けました。
「ほんとうだ、カエルさん、ほんとうに浮いているわ」
 金魚ちゃんは大声で言いました。
「奇跡ね、奇跡が起こったのね」
「そうだ、金魚ちゃん、ほんとうに奇跡が起こったんだよ」
 カエルは満足して、静かに棚の上に降りました。疲れきったカエルは、そのまま眠りこんでしまいました。

「カエルさん、カエルさん、起きて」
 カエルは金魚ちゃんの声で目が覚めました。いやに近くで声が聞こえたように思いました。声のした方に顔を向けると、金魚ちゃんがにこにことカエルを見上げていました。
「今朝、奥さんが部屋に入ってきて、私をもとの場所に戻してくれたの。きっと旦那さんと仲直りしたのよ」
 カエルは、奥さんにはまだ空中浮揚を見せていないのに、と不思議に思いました。
「金魚ちゃんは明け方、僕が空中に浮かんでいたのを見たよね」
 金魚ちゃんは大きな目をぱちくりさせました。
「私ずっと眠っていたから、わからないわ」
 カエルはびっくりして叫びました。
「だって、奇跡だ、奇跡が起ったって、言ったじゃないか」
 金魚ちゃんはきのどくそうに頭を振りました。
「ごめんなさい。ほんとうに見てないのよ」
 
 カエルは悲しくなりました。いったいどういうことなんだろう。たしかに浮かんだと思ったのに、すべてが夢だったのだろうか。
 金魚ちゃんはしばらく黙ってカエルを見ていましたが、思いきったように言いました。
「でも、カエルさんの空中浮揚の目的は、奥さんと旦那さんに仲直りをしてもらうことだったんでしょう。そして離ればなれだった私たちを、元どおりにしてもらうことだったんでしょう。だったらその目的は果たせてるわ。私たちこんなに近くにいるのよ」
 言われてみればたしかにそうでした。浮き玉カエルが空中に浮かぼうとしたとき「浮かべ、浮かべ」と念じただけでなく、「奥さんと旦那さんよ、仲直りしろ」とも念じたのでした。そのせいで二人の心になんらかの変化が起こったのかもしれない、と浮き玉カエルはそんな気がしてきました。

 それに僕はなにも空中に浮かびたかったわけではない。ただ空中に浮かぶ姿を奥さんと旦那さんに見せて、愉快な気持ちを取りもどして欲しかっただけなんだ、とカエルは思いました。
「そうだね。あの二人が仲直りをし、金魚ちゃんが元にもどって僕のそばにいる、これこそが奇跡ってやつなんだな」
「そうよ、奇跡って、そんなにおおげさなものじゃなくて、身近なところに転がっているのに、気がついていないだけなんじゃないのかな」
 金魚ちゃんは笑って言いました。カーテンの隙間から射す朝の光で金魚ちゃんの尾びれはきらきらと光り、いまにもすいすいと泳ぎだしそうに見えました。

 浮き玉カエルは、奥さんは水鉢を買ってくれないかな、そして僕と金魚ちゃんを水に浮かべてくれないかな、あの奥さん、僕たちが浮き玉だってことに気がついていないのかもしれないな、なにしろ唐変木だものな、とぼんやりそんなことを考えながらぐっすり眠りました。
  
       *

 私も奥さんが水鉢を買ってくれたらと思うのです。そして睡蓮の花咲く水鉢に浮かんでゆらゆら揺れる、浮き玉カエルと金魚ちゃんをいつまでも眺めていたいと思うのです。

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