友達が投資詐欺にあったらしい
先日、久しぶりに友人から連絡がきた。
高校時代、そこそこ仲の良かった友人。
卒業してからは別々の道に進んだけれど、なんだかんだたまに連絡を取っていた。
そんな彼から久しぶりに来た連絡が、
「投資詐欺にあった」
だった。
そして、
「10万円貸してほしい」
と言われた。
……
投資詐欺で10万円?
話を聞いてみた。
でも、よく分からない。
専門的な言葉が多くて私が理解できないのか。
それとも話そのものが支離滅裂なのか。
それすらよく分からなかった。
結局、お金は貸さなかった。
そして電話を切ったあと、
なんとも言えない気持ちになった。
昔は、普通に仲が良かった
高校時代の彼は、別に嫌な奴ではなかった。
卒業後、彼は東京へ出た。
学校へ行って、その後は都内の飲食店で働き始めた。
しばらくして、卒業後も続いていた地元の仲間の集まりに彼を呼んだことがある。
久しぶりの再会。
だったのだけど、
なんというか、
ものすごく「東京」を背負って帰ってきた。
「東京ではさぁ」
「東京だとさぁ」
無理やりテンションも高い。
都会のノリというものを地元に持ち帰ってきたのかもしれない。
ただ、
全員ちょっと引いていた。
その場には、たまたま私の大学時代の友人もいた。
彼は生まれも育ちも都会。
その彼まで引いていた。
そして後で一言。
「典型的な、田舎から都会に出ておかしくなったやつだな」
辛辣である。
でも、
まあみんな似たようなことを思っていた。
当然のように、
次の集まりから彼が呼ばれることはなくなった。
ちなみに私も上京組である
ここまで書くと、
私が都会に妙な敵対心を持っている人みたいなので一応書いておく。
私も上京組である。
ただ私は、
都会に染まった側ではなく、
都会に馴染めなかった側の人間だった。
幸い都会かぶれしなかった。
……と思っている。
まあ私もたまに、
「学生時代は都内にいてさぁ」
とか言うので、
もしかしたら軽症なだけなのかもしれない。
人のことはあまり言えない。
それでも私は、たまに連絡していた
みんなが距離を置いても、
私はなんだかんだ彼と連絡を取っていた。
一年か二年に何回か。
昔は普通に仲が良かったし、
ちょっと面倒くさくなったくらいで、
わざわざ縁を切るほどでもないと思っていた。
ところが20代後半くらいになると、
今度は地元そのものを悪く言うようになった。
「あんな田舎に行ってもしょうがない」
「地元に友達いないし」
「わざわざ帰る必要ない」
そんな感じ。
都会最高。
地元には何もない。
そんな話が増えていった。
その頃には私は仕事の都合なんかもあって、地元に戻っていた。
それでも地元の集まりがあれば、
たまに声をかけていた。
でも、
その集まり自体まで悪く言うようになった。
さすがに、
じゃあもういいか。
と思った。
そこから長い間、
ほとんど連絡を取らなくなった。
ところが突然「地元が懐かしい」
それからずいぶん経った頃。
急に彼から連絡が来るようになった。
「最近、地元が懐かしくてさ」
みたいな話だった。
あれだけ田舎だの何だの言っていたのに、
人間変わるものである。
でも年齢を重ねれば、
考え方だって変わる。
昔の友人に会いたくなることもある。
それ自体は別におかしくない。
そして彼から、
「今度、地元の集まりがあったら誘ってよ」
と言われた。
昔のこともある。
一瞬迷った。
でも、
まあいいか。
今なら昔みたいに普通に飲めるかもしれない。
そう思って誘った。
マルチにはまっていた
結果。
マルチにはまっていたようだった。
久しぶりに昔の仲間と会って、
昔話をして、
「懐かしいなあ」
で終わればよかった。
どうやらそういう話ではなかった。
詳しいことは書かない。
ただ、
もう二度とこの人を地元の集まりに連れて行くのはやめよう。
そう思った。
なんだったら、
連れて行った私まで文句を言われた。
そりゃそうである。
誘ったのは私だ。
申し訳ない。
それ以来、
また連絡を取らなくなった。
そして「投資詐欺にあった」
それからまた時間が経った。
そして先日、
久しぶりに彼から連絡が来た。
「投資詐欺にあった」
そして、
「10万円貸してほしい」
冒頭の話である。
一応、話は聞いた。
でも、
やっぱりよく分からなかった。
本当に投資詐欺にあったのかもしれない。
単純にお金がなくて困っていたのかもしれない。
私には分からない。
というより、
途中から深く聞く気がなくなってしまった。
だから、
本当のところは今でも分からない。
昔、あんなに「稼いでる」って言ってたのに
少しだけ昔を思い出した。
都会は給料がいい。
東京は違う。
マルチを始めた頃にも、
稼げるような話をしていた。
ずいぶん長いこと、
「俺はお前らよりうまくやっている」
みたいな空気を出していた人だった。
そんな彼から、
何年も経ったある日、
「10万円貸してほしい」
と連絡が来た。
でも、「ざまあみろ」とは思わなかった
こうやって文章にすると、
嫌な奴が都会にかぶれて、
地元を馬鹿にして、
マルチにはまって、
最後は投資詐欺にあって金に困った。
そんな話に見える。
だったら、
「ざまあみろ」
と思ってもよさそうなものだ。
でも、
不思議とそうは思わなかった。
むしろ、
なんか虚しくなった。
高校時代は普通の友人だった。
一緒に笑っていた。
別に嫌な奴でもなかった。
それが少しずつ、
「東京」
「仕事」
「金」
「成功」
みたいなものを身につけていって、
昔の自分や地元を遠ざけるようになった。
そして何年も経って、
また昔の人間関係に戻ってきた。
一度目はマルチ。
次は、
「10万円貸して」。
何だったんだろうな、と思う。
ここで、昔好きだった先輩の言葉を思い出した
この話を書いていて、
昔から好きな先輩のことを思い出した。
私が17歳の頃。
その先輩が高校を卒業して、東京へ行くことになった。
寂しかったんだと思う。
私は先輩に、
「地元捨てちゃうんすねーー」
みたいなことを言った。
今考えると、
なかなか面倒くさい後輩である。
すると先輩は、
「地元に愛着はあっても、執着はねーから。」
と言った。
そして、
「色々な世界を見てみたい。でも、結局帰る場所は地元だから」
そんなことを言った。
今考えれば、
誰でも言えそうな言葉なのかもしれない。
でも、
17歳だった私には、ものすごくかっこよく響いた。
あれから何十年も経った
その先輩とは、
今でも付き合いがある。
今でもよくしてもらっているし、
今でも尊敬している。
色々な世界を見て、
結局地元へ戻ってきて、
今は親の跡を継いで地元で頑張っている。
17歳の私に言ったことを、
なんだかんだ本当にやっている。
もちろん、
人生があのときの言葉通りに進んだわけではないと思う。
色々あったはずだ。
でも、
地元を離れたからといって地元を馬鹿にするわけでもない。
地元に戻ったからといって都会を否定するわけでもない。
外を見たうえで、帰る場所をちゃんと持っている。
私は、
そういう人の方が好きだ。
違ったのは「東京へ行ったこと」じゃなかった
二人とも地元を出た。
二人とも東京へ行った。
でも、
ずいぶん違った。
何が違ったのだろう。
都会へ行ったことではない。
地元を離れたことでもない。
成功したとか、
稼いだとか、
そんなことでもない。
たぶん、
自分が今いる場所を上げるために、昔いた場所を下げなかったこと。
そこなんじゃないかと思う。
都会が楽しいなら、それでいい。
地元が退屈なら、それも分かる。
色々な場所へ行って、
色々な人と付き合って、
自分に合う場所を探せばいい。
でも、
自分が成長したことを証明するために、
昔の友人や地元を馬鹿にする必要はない。
先輩が昔言った、
「愛着はあっても、執着はない」
という言葉。
あれからずいぶん経った。
今になって考えると、
当時思っていたより、
ずっといい言葉だったのかもしれない。
帰ったときに「おう、久しぶり」と言ってくれる人
地元に残るのが正解でもない。
都会へ出るのが正解でもない。
どこで暮らして、
いくら稼いで、
何者になったか。
それも大事なのかもしれない。
でも、
久しぶりに帰ったとき、
「おう、久しぶり」
と言ってくれる人がいる。
自分がいないところで、
「あいつも呼ぼうよ」
と名前が出る。
若い頃は、
そんなことに大した価値を感じなかった。
でも歳を取ると、
案外そういうものの方が残る気がする。
それも一つの成功なんじゃないかと思う。
彼にも、
昔はそういう場所があったはずなんだけどな。
そう思うと、
「ざまあみろ」
なんて気持ちにはならなかった。
ただ、
なんか寂しいな。
それだけだった。
