見出し画像

My step on ゼラニウム

 先輩の横にいる男は誰だ?

 テニス大会の決勝コートには音だけがあった。キュッとシューズがコートを掴む音。カコンとラケットがボールの芯を捉える音。荒い呼吸、心臓が弾む音。コートの上に立つとき、俺の耳には必要な音だけが届く。

 ところが今日は、音が聞こえない。観客席には、いつものように先輩がいる。そしてその隣には見知らぬ男。頭の中にノイズがまじる。あれは、誰だ。

 先輩はゼラニウムのような人だ。小柄で華やかで気遣いのできる人。俺がスランプだったとき、『気合い入れてこ!』と、ドリンクを手渡してくれた。試合に勝てば、『ごほうびだ』と、学食で買った、みたらし団子を一本くれる。先輩は励ます天才なんだ。

 だから、この大会で優勝したら、食事にでも誘うつもりだった。しかし、今、その隣には見知らぬ男がいる。俺のラリーは、独り相撲だったのだろうか。バックハンドで打ち返したボールがラインを大きくアウトした。手の中のラケットがやたらと重い。

 勝てる試合だと思っていた。ハードヒッターの俺なら、守備型の対戦相手を翻弄できるはずだった。だが、スイングの重心はブレるばかりだ。視線は先輩の横の男を追ってしまう。点差は開いていく。

 男は静かに試合を観ていた。何度か目があった。冷静に考えてみれば、先輩は俺のものというわけじゃない。ゼラニウムにだって好みはあるだろう。みたらし団子だって、他の誰かにあげていてもおかしくはない。浮かぶ黄色いボール。ラケットを強く握り込み、対戦相手へ振り抜いた。

 ボールはネットに当たり、真上に跳ね上がる。落ちてきたボールは自分のコートでバウンドし、俺の方へ転がってきた。コートから音が消えていた。俺はボールに手を伸ばした。

「きみ、俺のこと見てるか?」

 顔を上げると、唇を強く結んだ対戦相手がネット際に立っていた。ギラついた目で俺を見下ろしている。彼は、その一言だけを残して背を向けた。彼が残す足跡もまた赤かった。

 ラケットを握りしめる音。対戦相手のフットワークの音。青空にある黄色いボールを撃ち抜く音。対戦相手のレシーブから漏れ出る息遣い。テニスコートに音が戻る。

 俺は、対戦相手めがけ、ラケットを振り抜いた。
 ゼラニウムを踏み散らして。


(了)



花も団子も両方欲しいよね。

以下の企画に参加させていただきました。

■セリフ
「気合い入れてこ!」
■三題
・ゼラニウム
・団子
・耳

▼投稿ルール
投稿締切(任意):2026年7月9日(木)23:59

ハッシュタグ「 #せりふ三題噺 」「 #ゼラニウム団子耳 」をつけて投稿

#ショートショート #小説 #短編小説 #読書好きな人と繋がりたい
#創作大賞2026 #オールカテゴリ部門


いいなと思ったら応援しよう!