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レバノン映画『存在のない子供たち』子どもが大人の世界を被告席へ座らせる

『存在のない子供たち』は、気軽に観て、

「今日はいい映画を一本観たな」

とポップコーンの袋を丸めて終われる作品ではありません。

観終わったあと、映画のほうがこちらを見返してきます。

「ところで、この子たちを存在しないことにしてきたのは誰ですか」

と。

舞台はベイルートです。

ただし、地中海を眺める高級ホテルや、観光客でにぎわうハムラ通りのベイルートではありません。

出生登録のない子ども。

学校へ行けない子ども。

路上で働く子ども。

在留資格を持たない移民労働者。

表通りのすぐ裏にありながら、旅行者の目には入りにくい社会です。

ナディーン・ラバキー監督は、その世界を遠くから社会問題として撮るのではなく、一人の少年の目の高さまでカメラを下ろしました。

ここから前半は、これから観る人向けです。物語の核心や結末には触れません。

「僕を産んだ罪」で、両親を訴える少年

映画は法廷から始まります。

12歳ほどの少年ゼインが、自分の両親を訴えている。

裁判官が尋ねます。

なぜ両親を訴えるのか。

少年の答えは、

「僕を産んだ罪」

です。

普通なら、親を訴える子どもという設定だけで、かなり作り物めいて見えます。

ところがゼインの顔には、ドラマの主人公らしい華やかさがありません。

疲れている。

怒っている。

大人を信用していない。

それでも、頭はよく回る。

法廷で堂々と演説するというより、

「そろそろ大人の皆さん、説明してもらえませんか」

という顔をしています。

物語はそこから時間をさかのぼり、ゼインがなぜ両親を訴えるまでになったのかをたどります。2018年のカンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞し、日本では2019年に公開されました。(カンヌ映画祭)

ゼインは、戸籍の外側で生きている

ゼインはベイルートの貧困地区で、両親や大勢の兄弟姉妹と暮らしています。

両親は出生届を出していない。

正確な誕生日も分からない。

学校にも通えない。

医療や公的支援にもつながりにくい。

法律上は、社会に登録されていない子どもです。

だから日本題名の『存在のない子供たち』は、単なる詩的表現ではありません。

息をしている。

働いている。

腹も減る。

怒りもする。

それなのに行政文書の上では、いないことになっている。

本人は誰より強烈に存在しているのに、制度の側だけが目を閉じています。

カンヌ映画祭の公式紹介も、出生証明書を持たないゼインを、教育、医療、愛情といった基本的権利から排除された子どもたちの声として位置づけています。(カンヌ映画祭)

貧困映画なのに、ゼインは「かわいそうな子ども」の顔をしない

この映画が強いのは、ゼインを観客の同情を集めるための人形にしていないことです。

彼は口が悪い。

大人をにらむ。

ずる賢い。

時には乱暴です。

しかし、あの環境で礼儀正しい優等生に育っていたら、そのほうが脚本として不自然でしょう。

ゼインの皮肉や悪態は、この映画にわずかに残された呼吸口です。

映画全体が重いので、彼の小さな冗談が入ると、観客は少しだけ息ができる。

そのユーモアも明るい笑いではありません。

世界に殴られ続けた子どもが、言葉だけは殴り返している。

そんな笑いです。

家を出た少年が、さらに弱い存在に出会う

ある出来事をきっかけに、ゼインは家を飛び出します。

そこで出会うのが、遊園地で清掃員として働くエチオピア人女性ラヒルと、幼い息子ヨナスです。

ラヒルには安定した在留資格がなく、常に摘発を恐れて暮らしている。

ゼイン自身も守られるべき子どもです。

ところが物語が進むにつれ、彼は自分よりさらに小さく、何もできない赤ちゃんと向き合うことになります。

自分の面倒さえ見てもらえなかった少年が、別の子どもの面倒を見る。

ここから映画は、社会問題の一覧表ではなく、もっと単純で切実な話になります。

今日、何を食べるか。

どこで眠るか。

赤ちゃんをどう運ぶか。

泣いたらどうするか。

政治や法律の大問題が、鍋一つ、パン一切れ、おむつ一枚の話へ縮んでいきます。

国家が見捨てた命を、国家に見捨てられた少年が拾い上げる。

この構図が、映画の心臓です。公式の海外向け紹介も、ゼインが家を離れ、ラヒルとヨナスに出会うことを物語の中心として説明しています。(カペルナウム)

ベイルートを知っていても、知らなくても重い

ベイルートは、華やかさと貧困が同じ都市の中で極端に隣り合う場所です。

高級車が走る通りから少し入ると、建物、労働環境、人々の法的立場が一気に変わる。

この映画は、レバノンの事情を詳しく説明する教材ではありません。

宗派政治や内戦史について長い講義をするわけでもない。

その代わり、

書類がない。

金がない。

住む場所がない。

大人が頼りにならない。

という現実を、子どもの一日の長さで見せます。

だからレバノンを知らなくても伝わります。

そして現地を知っているほど、

表通りのすぐ裏で、こうした人生が同時進行していたのか

という重さが増します。

この映画は、泣かせるためだけの映画ではない

子ども。

貧困。

難民。

赤ちゃん。

これだけ並ぶと、観客を泣かせるための材料を全部集めたようにも見えます。

実際、感情を強く揺さぶる映画です。

ただし本作の本当の狙いは、

「かわいそうな子どもを見て泣きましょう」

ではありません。

ゼインは観客に助けを求めるより、観客まで被告席へ座らせます。

親。

行政。

雇用主。

警察。

移民制度。

そして、見えているのに見ないふりをする社会。

この映画で裁かれているのは、ゼインの両親だけではありません。

原題の『Capharnaüm/カペナウム』には「混沌」という意味が込められており、監督は制度も人間関係も絡み合った、収拾のつかない世界を表す言葉として使っています。(Motion Picture Association)

観る前に一つだけ覚悟しておいたほうがいい

この映画は127分前後あります。

前半は情報が多く、家庭、労働、早婚、移民、出生登録などの問題が次々に出てきます。

少し長い。

少し重い。

「社会問題の満員電車みたいだな」

と感じる場面もあるでしょう。

しかし途中から、ゼインとヨナスという二人の関係へ物語が絞られます。

そこで映画が急に生き物になります。

だから前半で少し疲れても、止めずに観てほしい作品です。

ただし、元気が完全に底をついている夜に観る映画ではありません。

映画が終わったあと、こちらの心まで充電してくれるタイプではなく、残っていた電池を使って考えさせるタイプです。


<ここから先は鑑賞後向け>映画と現実の境界が消えていく

ここからは物語の重要な展開と結末に触れます。

未鑑賞の場合は、先に本編を観たほうがよいでしょう。

ゼインは「少年を演じた俳優」ではなく、本当にシリア難民だった

主人公ゼインを演じたゼイン・アル=ラフィーアは、撮影当時、シリアからレバノンへ逃れて暮らしていた少年でした。

職業俳優ではありません。

内戦の影響で十分な教育を受けられず、ベイルートでは配達などの仕事も経験していました。

映画のゼインと現実のゼインは同一人物ではありませんが、社会の周縁で生きる感覚を、彼は演技以前に知っていました。

監督は非職業俳優たちに決められた台詞を完全に再現させるのではなく、場面の状況を与え、自分の言葉や身ぶりで反応させました。出演者の反応が脚本より真実味を持つ場合には、脚本の側を変更しています。(sonyclassics.com)

ただし、

「本当に苦労していたから、演技をしなくてもよかった」

と片づけるのは違います。

あの目線。

相手の言葉を受けてから返す間。

赤ちゃんに対する不器用な優しさ。

怒りと笑いを同時に出す表情。

そこには明らかに、ゼイン自身の表現力があります。

苦労は経歴です。

画面を二時間持たせたのは才能です。

ヨナス役は男の子ではなく、女の赤ちゃんだった

劇中で男児ヨナスを演じたのは、ボルワティフェ・トレジャー・バンコールという女の子です。

監督は彼女を気に入り、役を女児へ変更するのではなく、少年同士が互いを映し合う関係を残すため、ヨナスという男児役のまま出演させました。

赤ちゃんなので、当然ながら台詞を覚えて芝居をするわけではありません。

食べる。

眠る。

泣く。

ゼインに触れる。

撮影隊は、それが自然に起きるまで何時間も待ちました。

俳優へ、

「もう少し自然に泣いてください」

と注文することはできます。

赤ちゃんには通用しません。

撮影現場で最も大物なのは、監督でも主演俳優でもなく、眠くなるまで全員を待たせる一歳児だったのかもしれません。(sonyclassics.com)

ラヒルを演じた女性は、撮影の直後に本当に逮捕された

ラヒル役のヨルダノス・シフェラウも職業俳優ではなく、レバノンで身分証明書を持たずに暮らしていた女性でした。

映画でラヒルが逮捕される場面を撮影した約3日後、ヨルダノス本人も身分証明書を持っていないことを理由に現実の警察に拘束され、約2週間収監されました。

映画の中で演じた出来事が、撮影現場の外でも起きた。

彼女はカンヌの記者会見で、役が泣いているのではなく、自分自身が泣いていたという趣旨を語っています。(sonyclassics.com)

これは「リアルな演技」という言葉では足りません。

現実を映画に再現したのではなく、現実のほうが撮影を追いかけてきたような話です。

赤ちゃんの実の両親まで拘束されていた

さらに重いのが、トレジャーの実の両親の出来事です。

撮影中、両親も書類を持たないことを理由に拘束され、約3週間、キャスティング担当者がトレジャーの世話をしました。

劇中では、ヨナスが母親から取り残されます。

同じ時期、ヨナスを演じた赤ちゃんも、現実の両親と離れていた。

これは映画の宣伝に使うには重すぎる裏話です。

撮影隊が現実を利用して映画を作ったというより、映画を作っている間も、出演者たちは同じ制度の中で危険にさらされ続けていました。(sonyclassics.com)

撮影は6か月、素材は500時間以上

撮影は約6か月に及びました。

完成した映画は約2時間ですが、撮影素材は500時間以上。

最初の編集版は12時間あったと監督は語っています。(Motion Picture Association)

12時間版。

朝から観始めても、終わるころにはゼインだけでなく観客まで少し大人になっています。

ただ、長時間撮影したからこそ、子どもや赤ちゃんの本当の反応を待つことができた。

監督は台本どおりに出演者を動かすより、現実が何を差し出すかを待ちました。

刑務所の場面など一部を除き、おおむね物語の順序に沿って撮影したため、ゼインとトレジャーは撮影期間中に実際に成長しています。(sonyclassics.com)

この作品は、演技を撮ったというより、時間を撮った映画です。

ゼインとヨナスの二人だけになると、なぜ映画が急に強くなるのか

前半では、問題が多すぎます。

貧困。

児童労働。

出生登録。

早婚。

家庭内暴力。

移民。

拘束。

観客は、どれを考えればいいのか迷います。

ところがラヒルがいなくなり、ゼインがヨナスを一人で世話する段階へ入ると、物語が突然単純になります。

赤ちゃんを生かす。

それだけです。

ゼインは鍋へヨナスを入れ、スケートボードのような台で運ぶ。

まともな育児知識などない。

食べ物もない。

危なっかしい。

それでも置き去りにはしない。

ここで映画は、社会制度の話を超えます。

愛情とは正しい方法を知っていることではなく、逃げずに相手のそばにいることなのかもしれない。

ゼインは、自分が大人から受け取れなかった保護を、ヨナスへ渡そうとします。

ヨナスを守っているようで、実は幼いころの自分自身を守り直している。

そう考えると、二人の場面が異様に胸へ残る理由が見えてきます。

両親も被害者だが、それで責任が消えるわけではない

ゼインの両親は、ひどい親です。

子どもを働かせる。

出生登録もしない。

娘の人生を取引の材料にする。

しかし法廷で父親や母親が語り始めると、話は単純ではなくなります。

彼ら自身も教育を受けていない。

貧困の中で生き、別の選択肢を教えられていない。

社会から見捨てられ、その生き方を次の世代へ繰り返している。

だから両親は、加害者であると同時に被害者でもあります。

ただし、被害者だったことが、子どもへ与えた被害を帳消しにするわけではありません。

苦しんできた人が、必ず優しい親になるわけではない。

この不都合な事実から、映画は逃げません。

悪い親を逮捕して終わりなら簡単です。

本作が突きつけるのは、親を作った社会まで変えなければ、同じ親と同じ子どもがまた生まれるという問題です。

あの裁判は、現実には成立しない

子どもが「自分を産んだこと」を理由に両親を訴える。

映画としては強烈ですが、現実の法制度では成立しません。

未成年者が訴訟を起こすには保護者が必要で、訴える相手がその保護者だからです。

監督自身、裁判は法廷ドラマとして現実的に描いたのではなく、ゼインへ発言の場を与えるための象徴だと説明しています。(Motion Picture Association)

だから被告席にいるのは両親ですが、本当に訴えられているのは、もっと大きなものです。

子どもを登録しない制度。

貧困を放置する政治。

少女の結婚を止められない社会。

安価な外国人労働力を使い、書類がなくなれば犯罪者として扱う仕組み。

そして、そこまで見ながら日常へ戻っていく観客。

法廷は現実には成立しない。しかし、映画館の中では世界全体に対する裁判が成立しています。

最後の笑顔は、幸福ではなく「登録された」という小さな勝利

最後に、ゼインは身分証明書用の写真を撮ります。

笑おうとしないゼインに、係員が死亡証明書ではないのだから笑え、という趣旨の言葉をかける。

そこで初めて、彼の顔がわずかに緩みます。

あれは救済の笑顔ではありません。

貧困も解決していない。

家族関係も元に戻らない。

ゼインは自由になったわけでもない。

しかし、自分の名前が書かれた紙を持てる。

行政上、初めて存在する人間になる。

監督は、あの笑顔を、ゼインが声を上げ、自分の存在を登録させた小さな勝利だと説明しています。(sonyclassics.com)

大きなハッピーエンドではありません。

墓石より先に、身分証明書へ名前を載せることができた。

その程度の光です。

しかし、それまで闇しかなかった子どもには、その小さな光が必要だったのでしょう。

映画の外で、ゼインの人生は続いた

撮影後、ゼインと家族は国連難民高等弁務官事務所の支援を受け、ノルウェーへ移住しました。

2024年のカンヌ映画祭のインタビューで、ラバキー監督は、ゼインがノルウェーで元気に暮らし、若者となって俳優活動も続けていると報告しています。(カンヌ映画祭)

映画の結末だけを見れば、ゼインの未来は不透明です。

しかし現実のゼインには、その後がありました。

映画一本で世界の子どもたちが救われたわけではありません。

ただ、少なくとも一人の少年の人生は、映画と出会ったことで別の方向へ動いた。

それを奇跡と呼ぶには現実が重すぎます。

しかし、何も起きなかったとも言えません。

この映画の本質

『存在のない子供たち』は、子どもの貧困を見せる映画ではありません。

子どもを産むとは何か。

親になるとは何か。

国家が人間の存在を認めるとは何か。

書類一枚を持たないだけで、なぜ教育も医療も未来も失うのか。

そうした問いを、ゼインという小さな原告が大人へ突きつけます。

彼は聖人ではありません。

品行方正でもない。

しかし、赤ちゃんを捨てなかった。

その一点で、周囲の大人たちより大人です。

この映画で最も幼いのは赤ちゃんです。しかし、最も未成熟なのは大人が作った社会のほうです。


2026年8月現在、どこで観られるか

配信状況は国や時期によって変わります。視聴前に、リンク先で最終確認が必要です。

日本から観る

最も見やすいのは、現在見放題配信されているU-NEXT『存在のない子供たち』作品ページです。U-NEXTの作品画面では、2026年8月31日23時59分までとの終了表示が出ているため、見放題で観る場合は8月中に済ませたほうが安全です。U-NEXTの公式ページでも2026年7月時点で見放題作品として掲載されています。 (U-NEXT<ユーネクスト>)

レンタルまたは購入なら、Apple TV Store『Capernaum/存在のない子供たち』があります。日本語字幕の表示が確認できます。 (Apple TV)

このほか、2026年7月末時点ではAmazon Video、FOD、DMM TVなどでレンタルまたは購入の選択肢が確認されています。料金や配信先をまとめて比較する場合は、JustWatch日本版『存在のない子供たち』が分かりやすいです。 (JustWatch)

Netflix日本版には作品ページがありますが、2026年8月時点では日本から視聴できない表示です。(Netflix)

海外から観る

海外では国ごとに配信先がかなり違います。

米国では2026年7月末時点で、YouTubeの広告付き無料配信、Amazon Video、Apple TV Store、Fandango at Homeなどが案内されています。JustWatch米国版『Capernaum』で最新状況を確認できます。 (JustWatch)

英国では、Apple TV Store、Amazon Video、Sky Store、BFI Playerなどでレンタルまたは購入できます。JustWatch英国版に現在の料金と字幕情報がまとまっています。 (JustWatch)

フランスでは、Amazon Video、Canal VOD、Apple TV Store、Rakuten TV、ARTE Boutiqueなど複数のレンタル・購入先があります。JustWatchフランス版『Capharnaüm』から確認できます。 (JustWatch)

ドイツでは2026年7月末時点でAmazon Prime Videoの見放題対象となっており、Apple TV StoreやRakuten TVなどでもレンタル・購入できます。JustWatchドイツ版が最新の一覧です。 (JustWatch)

国を問わず利用しやすい購入・レンタル候補として、Apple TVの海外版作品ページと、Google Play Movies『Capernaum』もあります。ただし、アクセスした国によって購入可否、字幕、料金が変わります。 (Apple TV)

この作品は、配信期限を忘れて見逃すには惜しすぎます。

8月31日の夜になってから再生ボタンを探し始めると、ゼイン(主人公の少年)だけでなく視聴者まで制度に振り回されることになります。

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