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ファジアーノ岡山 ── キジは晴れの国でJ1に飛んだ

市民クラブが21年かけて掴んだもの。そしてまだ掴んでいないもの。


ついに、その日が来た

2024年12月7日。岡山の空は澄んでいた。

スタジアムの外に、一人の男が立っていた。試合前だというのに、サポーターの長い列に混じって、一人ひとりと握手を続けている。元ゴールドマン・サックスの執行役員。故郷に戻り、無報酬でサッカークラブの社長に転じた男。その名は木村正明。

「1人1人の力でクラブを育ててくださった……泣くのは勝った後で泣きたいので、ただ本当に感謝の一言です」

試合後、その男は泣いた。

21年、である。

2003年のクラブ創設から数えて、ファジアーノ岡山がJ1の舞台を手に入れるまでに要した年月。J2参入(2009年)からは16シーズン。「長かった」と書くのは簡単だが、その長さの中身を、もう少しだけ丁寧に辿ってみたい。

このクラブが積み上げてきたものは、単なるサッカーの結果ではないから。

桃太郎が育てた街

岡山という街は、少し特別な場所だ。

年間の降水量は全国の県庁所在地で最少クラス。日照時間は約2,000時間と長い。だから岡山県のキャッチフレーズは「晴れの国おかやま」という。白桃とマスカットが育つのも、この陽光のおかげだ。

街の中心には旭川が流れ、岡山城(別名・烏城)と後楽園が向かい合っている。後楽園は日本三名園のひとつ。観光客が訪れる場所でもあるが、地元の人には「散歩する庭」でもある。

そして、この土地には「桃太郎」がいる。

岡山は桃太郎伝説の発祥地とされる。古代「吉備国」と呼ばれたこの地に、吉備津彦命が鬼(温羅)を退治したという伝説が残る。その鬼退治で活躍した仲間のひとりが、「雉(キジ)」だった。

ファジアーノ(Fagiano)。イタリア語でキジを意味する。

岡山県の県鳥はキジ。桃太郎の仲間もキジ。そして、このサッカークラブの名もキジ。三重の必然があって、このクラブ名は生まれた。マスコットの「ファジ丸」もキジの姿をしている。

だが、かつての岡山は「プロスポーツ不毛の地」と呼ばれていた。中国地方ではサンフレッチェ広島が圧倒的な存在感を持ち、岡山には地元のプロクラブがなかった。子どもたちが応援できるチームが、なかった。

そこに一羽のキジが舞い降りた。

男は外資系を捨てた

2006年、木村正明は岡山に戻った。

ゴールドマン・サックス証券の執行役員というキャリアを捨て、地元の友人の説得に応じた。無報酬での社長就任。私財の一部を出資。社員は最初2人だった。

木村には原体験があった。小学生のころ、隣県・広島での試合後、負けた広島の子どもたちが「今からカープの試合じゃ!」と言って自転車で球場に向かって走っていった。その笑顔が、ずっと頭に残っていた。「岡山の子どもたちにも、地元のプロクラブを」──その思いが、彼の背中を押した。

彼が定めたクラブ理念は「子どもたちに夢を!」

ところがクラブをプロ化するにあたり、選手たちに提示した月給は3万円・5万円・7万円のいずれか。議論の末、25人のうち19人が退団した。

残った選手と新加入の選手たちで、ファジアーノは再出発した。そして木村は「30年計画」を宣言した。「15年でJ1昇格」「20年で専用スタジアム」「25年でACL出場」──途方もない計画だが、本気だった。

地べたからJリーグへ

草創期のファジアーノは、おとぎ話とはほど遠い現実を生きていた。

クラブハウスがなかった。練習後、選手たちは子ども用のプールでクールダウンした。雪山でキャンプをした。無人島に合宿に行った。他のJリーグクラブとは異質な、手作りのチームカラーが生まれていった。

2007年、全国地域リーグ決勝大会で優勝してJFLへ。地域リーグのチームとして全国で初めてJリーグ準加盟を承認されるという異例の出来事もあった。

そして2009年、ついにJ2参戦。しかし初年度は最下位。J2は資金力に勝るクラブが揃うリーグだ。しばらく中位を漂い、時には下位に沈んだ。

それでも観客は増え続けた。

木村が考案した「夢パス」制度が、その一因だった。協賛企業がサポーターに代わって小学生の入場料を負担する。子どもたちはタダでスタジアムに入れる。その結果、スタジアムに「来る理由」が生まれた。この仕組みはやがて西日本の多くのJクラブに広がっていく。

2016年。転機が訪れる。

ファジアーノは6位でJ1昇格プレーオフに初進出し、決勝まで勝ち上がった。あとひとつ──そこでセレッソ大阪に1-0で敗れた。

J1はスルリと逃げた。

そして2022年。木山隆之監督が就任した初年度、チームは過去最高の3位でシーズンを終え、再びプレーオフへ。しかし準決勝でモンテディオ山形に0-3の完敗。

スタジアムが静まり返ったその夜のことを、多くのサポーターは今も覚えている。

堅守と、信じ続けた3年間

木山隆之という監督は、端的に言えば「諦めない男」だ。

それまで4つのクラブでJ1昇格プレーオフに挑み、すべて敗退。ジェフユナイテッド千葉、愛媛FC、モンテディオ山形、そして岡山での1度目。4連敗。それでも岡山に残り、同じクラブで2度目の挑戦権を得た。自身初のことだった。

「3年目という言葉を周りから言われて、今年なんだなと。昨シーズンは全部を懸けるつもりで、総決算のつもりでやった1年でした」

2024年のファジアーノが作り上げたのは、「守らせたら天下一品」と評された堅守だった。J2リーグ2番目に少ない失点数。その象徴がドイツ出身のGKスベンド・ブローダーセンだ。身長188cmの守護神はシーズンを通じてゴール前に立ち続け、J2最多・20クリーンシートを記録した。

開幕から5勝1分のスタートダッシュ。夏場に勝ち切れない時期が続いたが、崩れなかった。最終5位でプレーオフへ。

「夏場に勝ち切れず、難しい状況になるのが早かった。ならばプレーオフで勝ち抜く、という切り替えが早くできた」と木山監督は振り返る。

晴れの国の12月7日

プレーオフ準決勝。2年前に0-3で叩かれたモンテディオ山形を、今度は3-0で返した。

決勝の相手はベガルタ仙台。ホームのシティライトスタジアムに1万4,673人が集まった。

前半20分、MF末吉塁がボックス左角から狙いすましたシュートを沈めた。先制。

仙台が後半から反撃を試みる。ブローダーセンが立ちはだかった。

61分、途中出場のルカオのドリブル突破から、右で受けたMF本山遥が右足を振り抜いた。ゴールへ。2-0。

その後も岡山は主導権を手放さなかった。

長い笛の音が、スタジアムに響いた。

木村正明は、泣いた。

「泣けるじゃないですか……。やっぱり長かったですよね。でもこれで終わりじゃないので、J1のタイトルも取りに行きたい」

スタジアムの空が、澄んでいた。8年前、J1を逃した日とは違い、雨ではなかった。晴れの国は、晴れていた。

これで終わりじゃない

2025年、ファジアーノ岡山はJ1の舞台に立った。

開幕戦を勝利で飾り、強豪クラブとも互角以上に渡り合った。最終成績は13位。J1残留を達成した。

ただ、このクラブが本当に欲しいものは、まだ手に入っていない。

37万人を超えた。

2025年、クラブとサポーターが岡山県に向けて始めた「新スタジアム建設」の署名活動の数だ。JFE晴れの国スタジアムは収容人数16,500人。J1基準をギリギリ満たすだけで、屋根も芝生席も十分とはいえない。

その署名数は、広島の新スタジアムが検討された際に1年かけて集まった数を、数ヶ月で上回った。日本サッカー協会会長の宮本恒靖は「足りないのはスタジアムだけ。熱はある」と評した。岡山県知事も岡山市長も、前向きな姿勢を示している。

木村正明が「30年計画」を立てたのは2006年のことだった。15年でJ1昇格と言ったが、実際には21年かかった。それでも、形にした。

次は「スタジアム」。その次は「ACL」。

ファジ丸の瞳が、次の夢を見ている。

桃太郎は鬼を倒した後、村に帰ってきた。でもファジアーノは、まだ帰り道の途中だ。「これで終わりじゃない」という言葉の先に、このクラブが目指す場所がある。

それが何かは──おそらく、岡山の子どもたちが一番よく知っている。