サブスクサービス 『はぴいく』
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「今日ね、学校でおえかきしたの」
平日の食卓。
息子が慣れない箸でハンバーグをこねくり回す。
「上手にかけた?」
「お母さんのえかいたよ」
微妙に食い違う会話の中に出てきた、私を指すと思われる一般名詞に、思わず喉をつまらせそうになる。
「だいじょうぶ?」
「うん、ごめんね、大丈夫」
息子はその後も、今日がどんな1日だったかを、子どもらしく、しっちゃかめっちゃかに教えてくれた。腕につけたバングルと机が当たる音が少し耳障りだった。
食器の後片付けを終えると、息子はスマホを持って自室へ歩き出した。「お父さんにほうこくしてくるね」といういつものセリフは、それまでの息子とは違った、事務的な印象を与える。
いったいどんな話をしているのか、いろいろと想像がめぐる。大きめの皿が泡で手から滑り落ちそうになった。
息子の通話相手は、当然彼の父親ではない。
いや、むしろ父親の可能性もある。私にはわからない。息子の両親については、本人に尋ねてはならない。利用規約の冒頭に赤字でそう書かれていた。
サービスの名前は『はぴいく』。ハッピー育児の略だと思っていたが、あるとき「はっぴーじゃなくてはぴねすだよ」と息子が教えてくれた。
利用登録すると、子どもが届く。私は安めのプランにしたので7歳の状態で届いたが、上位プランなら0歳から育てられる。
月額の基本使用料を払いさえすれば、子どもにかかる養育費の一切は運営会社が肩代わりしてくれる。病気や事故の治療費から、クリスマスのプレゼントさえ、申請すれば運営が負担してくれる。
息子が24時間腕につけているバングルは、息子の健康状態をモニターしているらしい。異常(虐待など)があれば運営が飛んでくる。またGPS付きなので親も居場所を監視できる。わかりやすい枷だ。
息子は毎晩、運営支給のスマホで「お父さん」と話している。いわば業務日報。私から嫌な思いを受けていないかの確認も兼ねているだろう。このサブスク契約は、子どもの方からも運営に頼めば契約解除が可能となる。
登録から2週間、私は未だに母親をうまく演じられている自信がない。
「テレビみてもいい?」
ソファーで呆けていた私に、報告を終えたらしい息子が顔を近づけてきた。子どもながらに整った顔だ。劇団に所属していたりするのだろうか。
時計を見ると20時前だ。そろそろ寝る準備をさせたほうが良いのだろうか。しかし、これは私の子どもではない。
「いっしょに見ようか」と言うと、息子は嬉しそうに私の上に座り込んだ。ずっしりとして温かい。私は少しずつ、これに愛着が湧いてきていた。
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「サービスを解約させていただきたくて」
電話でそう伝えると、一度オフィスにお越し下さいと言われた。登録は簡単だが解約は困難。サブスクは常にそうだ。
駅から微妙に便の悪い、こぎれいな雑居ビルの4階。入り口の真新しい看板に、企業名らしいカタカナが書かれていた。
受付の女性に「こちらでお待ち下さい」と言われた場所は、まるで病院の待合室のようだった。ほどなくして通された部屋には私と同世代に見える男性が座っていた。
「はぴいくの解約がご希望とのことですね」
私が対面に座ると、ショウノと名乗った男性はさっそく本題に入った。「宜しければ経緯をお聞かせいただけますか」
11歳になった息子は、私に反抗するようになってきた。口答えをし、約束を守らず、自室にこもる時間が長くなっていた。扉から、誰かと話す声が聞こえる。運営に愚痴を漏らしているのではないか。
「友だちが家に来たいって」
私の顔を見ずに息子はそう言った。遊びの約束のくせに、声が浮かないのが気になる。息子が言いたいことはなんとなくわかった。
「泊まりはダメよ」
「なんで?」私に向けた顔は、私とは不釣り合いなくらいに整っていた。
「だって…いろいろめんどくさいでしょ、説明が」
私が悪い。
息子に、友だちを招く環境さえ提供できない。
でもこの子どもは、私の子ではない。
「お父さんがいる家が良かったな…」
これは私が飼っている商品だ。
愛情のようなものを抱いていたとて、私は、この子どもになんら責任は持たなくて良い。
いらなくなったら手放せば良い。
できれば幸せになってほしいが、それが私の役目だとは限らない。
「そうだね、…ごめんね」すっかり冷めたハンバーグは、味がする前に喉を通り過ぎていった。
「当社スタッフの不適切な発言があったことをお詫びします。申し訳ありませんでした」
男性はわざわざ立ちあがり、深く頭を下げた。当社スタッフ、が息子を指す言葉だとようやく理解した私は、「いえ…」と情けなく返した。
男性は机上のタブレットを操作すると、「今お話くださった件は、スタッフからもその日のうちに報告を受けております」と言った。それもそうだ。ならなぜ私に話させたのか。
「報告の中で、当該スタッフはお客様への謝意を述べていました。涙声だった、と記録にはあります」業務上の事故を報告するかのように、男性は淡々と述べた。「その後、スタッフから対応はありましたか?」
「対応…、謝られました。次の朝に」
息子は学校に行く直前、私の背中に向かって「あんなこと言ってごめんなさい」と言った。
私は家事を済ませたらスマホで運営の連絡先を検索することしか頭になかった。
「行ってきます」の声も、震えていた気がする。
「実は、契約解除について事前に当該スタッフの意思を確認したのですが、彼は全くその気がないという回答でした」男性はタブレットの操作をやめて、私の目を見つめる。「それどころか、お客様との楽しかった思い出をたくさん語って…こういうケースって、当社では珍しいんですよ。ふつう、お客様と気まずくなって、お客様から解除意思があった場合、受け入れるスタッフが多い中で…」なぜか男性は恥ずかしそうにした。
「お客様にとって、彼はどんな存在ですか?」
私は、私こそ、急に恥ずかしくなった。
私は何をしにここに来たのだろう。
これではどちらが子どもなのかわからない。
私は、私はいつでもあの子を捨てられる存在として、距離をとって接していたつもりだった。
そんなことは、もうとっくに、無理だったのに。
私自身が、あの子に捨てられることを恐れていた。お母さんと呼んでくれなくなることが怖かった。だからそうなる前に、私はあの子を捨てようとした。あの子の笑顔を、代償にして。
男性の問いかけには答えられなかった。うつむき、思わず右手で掴んだ左の手首は、ちょうど息子がバングルを付けているあたりだった。なんとか絞り出した声で、サービス継続の意思を伝えた。
帰り際、「また何かあったらご連絡くださいね」と微笑んだ男性は、目元のあたりがどこか息子に似ている気がした。
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「今までお世話になりました」
カーテンさえ取り払われた自分の部屋で、息子は言った。
息子は先月、18歳を迎えた。『はぴいく』の契約は子どもが18歳になったら終了となる。子どもたちは自立し、親元を離れる。息子は都内の大学に進学し、近郊でひとり暮らしを始めることになった。
私は、晴れがましい気持ちと、不安な気持ちと、寂しさと、よくわからない感情に押しつぶされそうになっていた。私は本当の母親ではない。だからこの感情は、ふつうの母親のそれとは違う。『はぴいく』の契約終了により、それ以降、私たちは親子ではなくなる。無関係の他人になるのだ。
ずっと気になっていて、ずっと聞けていないことがある。それは、聞かなくてもいいことだった。
息子はいつだって、私の息子であるかのように振る舞った。ほんとうに私を母親だと思ってくれているんじゃないかと錯覚するほどに。
私は息子の母親になれたのか。最後まで、息子のほんとうの気持ちはわからなかった。
でもそれは、どんな親子もそうなのかもしれない。
気がつくと、息子は私に右手を出してきた。逆光で顔がよく見えない。私がその手を握ると、息子は首を振って、おもむろに私のズボンのポケットからスマホを取り出し、カメラを起動した。
「ナイショだから」
息子はそう言って自分のスマホにカメラをかざし、返してきた。LINEに新しい連絡先が登録されている。契約終了後の、顧客との個人的な連絡は禁止されているはずだ。私は、誰にも取られないようにスマホをぎゅっと握った。
「また『お母さん』って呼んでくれる?」
大事な息子の顔が見えないのは、逆光のせいだけではなかった。でもきっと、あのころと変わらない笑顔で息子は言った。
「最初からずっとそうだよ、お母さん」
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夜、僕は駅前にある雑居ビルを訪れた。
彼のオフィスは、以前の少し不便な場所から最近移転したばかりだった。エレベーターで6階に上がる。まだ中の電気は付いているが、入り口には受付時間終了の文字とともに、『生野心療内科』と書いてある。
「やぁ、幸太くん。大学進学おめでとう」
以前より広くなった診療室に誘われ、生野医師は嬉しそうにグータッチしてきた。「どう、新生活は慣れた?」
「いやまだまだですよ、気づいたら部屋が散らかっていて、洗濯機もパンパンだし、全部一人でやるってこんな大変なのかと…」
「親のありがたみってやつだな」生野医師は目を細くした。「で、どうだった? お母さんは。最後の日」
「そりゃもう、目真っ赤にして泣き腫らしてました。なんか改めて、親の愛情っていうか、大切に思っててくれてたんだなぁと感じて、嬉しかったですよ。今でも、きっかり3日に1回連絡が来ます」僕はポケットのスマホを指した。
「顧客との個人的な連絡は違反行為だなぁ」そう言って笑いながら、生野医師は机からキャッシュカードを取り出した。「これ、忘れないうちに。君のお母さんから毎月振り込まれてたお金は、全部ここに貯まってる。君の思うタイミングでお母さんに報告して、このお金をどうするか2人で話し合ってくれ」
僕の母は、僕を産んだことを忘れている。
正確には、精神の防御機能により、彼女の中では僕を産んでいなかったことになっている。
不倫の末にできた子どもを、相手の男は堕ろすように言ったが、母は産もうとした。精神を病み、産んだ後もまともに育てられないだろうと判断した男は、生後まもない僕を自分の実家に預け、母が近寄れないようにした。
僕は父と呼ぶべきその男と、顔を合わせたことはない。僕は祖父母と、男の従兄弟である生野医師によって育てられた。
生野医師は精神科のつてを使い、僕の母の情報を入手した。僕を失った母は、周囲の助けで近くの心療内科に通っているが、やっと生きているというような様子で、自傷行為が止められない状態だった。
僕は母のもとで暮らしたいと、生野医師に伝えた。
しかし彼は渋った。いまの母の精神状態で、子どもを育てられるかは、賭けでしかなかった。それに母はいま、「息子を産む前に流産した」というストーリーの中で生きている。
そこで生野医師は、『はぴいく』という、とんでもない架空のサブスクサービスをでっち上げることにした。母が通う精神科の医師にそのサービスを紹介させ、反応を伺った。結果、母は乗り気になり、僕は晴れて母とともに生活することになった。
「いまの幸太くんならわかるとは思うが、子育てというのはほんとうにしんどいことだからね。それは親にとっても、子どもにとってもそうだ。お互いに逃げ場がない」生野医師は精神科医の顔になった。「だから私たちとしても、お母さんに君を預けるのは慎重になるしかなかったんだ」
だから『はぴいく』が考案された。
母親は、いつ捨てても良い子どもを育てる。
息子は、いつ捨てても良い親元で暮らす。
そうやって、母子双方の精神負担を軽くさせようとしたのだ。
「結果として、お母さんは立派にやり遂げたな。彼女がここに来たのも、結局あのときの1回だけだった」
小学校高学年のころ、僕は心無い言葉で母を傷つけた。
「あぁ、…あのときは、つい思ったことを口にしてしまいました。ミスりました」
「親子喧嘩はミスじゃない、必要なプロセスだよ」
最初に母の元を訪ねたとき、僕は不安で仕方なかった。
母は僕を他人だと思っている。僕はどうするべきだろう。
僕はサービスとして、母を過剰に母と思い込んで接した。それでも、母がそれを受け入れてくれるとは限らない。いつ捨てられてしまうか、怖くて眠れない日もあった。
でもこの奇妙な同居生活は、少なくとも僕にとって、母とのつながりを確かめ合う期間だった。母はより母親として、僕もより息子として、ふさわしい存在でいようとした。
ほんとうの親子であっても究極には他人に過ぎない。そう思えば、擬似的であれなんであれ、僕らはお互いを認め合い、助け合って、良くやってきたほうじゃないか。そう思えるのだ。
「会ってやらないのか? 連絡きてるんだろ?」帰り際、机上を整理しながら生野医師が言った。
「せっかく口うるさい母から解放されたんですよ、もう少し自由を味わいます」
僕はすっかり息子気取りでそう言った。
※本稿はこちらの企画に「サブスク」カテゴリとして参加しています。https://note.com/calm_avocet202/n/nb6c713b0bfd0
