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【歌詞考察】日向坂46「空飛ぶ車」が見た夢











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ハッ!!?




すみませんサムネに見惚れていました……。




しゅへと申します。

私はふだんから、人が心血注いで作り上げた歌詞を「考察」のおもちゃにするという、たいへん徳の高い趣味をたしなんでおります。

今回は日向坂46「空飛ぶ車」がターゲットになってしまいました 🚙 。。。



ただ前回投稿した「お願いバッハ!」の歌詞考察記事よりは軽めのものになると思います。

あっちの記事は自信作なので、まだの方はぜひ「お願いバッハ!」考察も読んでくださると嬉しいです。


もちろん軽めと言っても、「空飛ぶ車」について考察記事を書くからには、

この曲を1度聞いたことがある人が、次に聞くのがより楽しくなるような、見えてなかった景色が見えるようになることを目標にします。


つまり、こんな場末のnoteまでたどり着くような、あなたのために書いた記事です。

短い旅ですが、ぜひ最後までお付き合いください。





颯爽と風を切る そんなイメージだった


この曲は、開幕からいきなり謎めいた歌詞が出てきます。



気になるなぁ。

ね? 気になりますよね。


気になりません?


「颯爽と風を切る そんなイメージだった」ってとこです。


これがもし、「そんなイメージを持っていた」という意味だとしたら、

主人公である「私」が今乗っている車は、そんなイメージとはかけ離れた、もっとなんか、ドンくさい空飛ぶ車だということになります。

だから最初の、「空を本当に飛べる?(飛べる?)」というのも文字通り、

この車、、ほんとに大丈夫かな、、、

と心配している「私」の胸の内のセリフではないでしょうか。


そんな少し、そわそわするような始まり方の「空飛ぶ車」は、全体として、


「理想と現実」と書いてある


というテーマがあります。

最初の頭サビの歌詞だけでも、

 理想:颯爽と風を切る、空飛ぶ車

 現実:この車、ほんとに大丈夫かな、、

という対立が読み取れます。


次に1番の歌詞を見ていきましょう。

1番は、この曲の「現実パート」です。



SFみたいな 世界はやって来るのかな?



「空飛ぶ車」というワンパクなタイトルとは裏腹に、ここの歌詞は嫌ってほど現実的です。

私たちはさまざまな問題を抱え、しかもそれに、その場その場で対処していくしかない。

渋滞という問題に対して、「空飛ぶ車」なんて発想はただの理想でしかありません。


ただ、私がこの歌詞で注目したいのは、

SFみたいな 世界はやって来るのかな?

という歌詞です。


頭サビを思い出してください。

確かに、「私」が子どもの頃に夢見たような、理想的な空飛ぶ車ではないかもしれない。

でも、まがりなりにもその車は空を飛びます

それはどう考えても「SFみたいな世界」でしょう。


つまり「私」は、空飛ぶ車が実現した世界の中で、「SFみたいな 世界はやって来るのかな?」とつぶやいている。

この違和感を、どう説明すれば良いでしょうか。



今 あなたの助手席で 手を振る私がいる



「空飛ぶ車」のもう一つ大きな謎は、この「あなた」という存在です。

誰なんだ、いったい。

「あなた」と「私」が乗っている空飛ぶ車を見て、地上の人たちは「あんなに驚いているわ(真上を見て)」。

つまりこのフライト時、空飛ぶ車はまったく普及していない、もしかしたら初めて有人飛行に成功したくらいのタイミングかもしれません。


だとすると、そんな空飛ぶ車を運転している人物(「あなた」)は、きっとこの車の開発者でしょう。

ただ、それにしてもこの二人の関係は?


「あなた」と「私」という人物は、実はこのサビ①にしか出てきません。

なのでこれ以上の考察のしようがない。


でも、それは逆にピンチでもあるのです。

逆です。チャンスでした。チャンスはピンチ。……ん?


考察の材料が少ないということは、
それだけ解釈の幅があるということです。


ということで、ここからはあえて、まるで車が空を飛ぶくらいの、思わずワクワクしちゃうような解釈をしてみましょう。


すなわち、




「あなた」と「私」、同一人物説です。



夢は夢のまま 終わらせてはいけないんだ


この曲を、頭サビを例外として、すべて時系列に並んでいると仮定しましょう。


ここではまだ、空飛ぶ車は存在しません

現実的に生きている「私」は、目の前の問題に埋もれながら、暫定的な日々を送っています。



これは、1番の「私」が見た、未来の空想シーンです。

決して明るくは見えない「私」の日々がパッと明るくなるような理想を、「私」は子どもの頃に夢見た空飛ぶ車に託します

「私」の空想なので、このときに乗っている車は、きっとイメージ通りの「颯爽と風を切る」ステキな乗り物です。

(「空を本当に飛べる?(飛べる?)」という歌詞ではなくなっていることに注目してください)


そしてここでの「あなた」とは、「私」にとっては誰かもよくわからない存在です。「私」の理想を現実のものにしてくれた、ただ漠然とした空飛ぶ車の開発者。

最後の
いつの日かこの景色を 誰かへと語ろうと思う」とは、

もし、この夢のような景色が"いつの日か"現実になったとしたら、その感動を誰かに語りたいなあ

という意味だと解釈できます。



現実から理想を空想するだけだった「私」は、夢を夢のままで終わらせてはならないという考えに至ります。

それはつまり、日々の問題をちまちまやり過ごしていくような、みんなで考えた最大公約数的な答えではなくて、

馬鹿馬鹿しくてありえない、実現性なんてありもしない、でも心からワクワクする、そんな夢のような答えを求めるということです。



そして頭サビの光景に合流します。

いま「私」の目の前には、あの頃の理想とはかけ離れた、それでも立派な「空飛ぶ車」があります。


その開発者は、もちろん、「私」自身です。


そう考えると、このサビ③では、サビ①にいた正体不明の「あなた」という存在が消去されていることに気づきます。この辺の言葉運び、ほんとうにどれくらいまで意識しているんだろう……。


「私」が乗り込んだ空飛ぶ車は、結局のところ、それでもまだ暫定的な答えに過ぎません。理想にはほど遠い。

しかし、私たちが現実と向き合いながら、それでもワクワクするような理想を夢見て、それを現実のものにしようとする限り、




日向坂46「空飛ぶ車」



いつの日かこの景色を 誰かへと語ろうと思う


最後に、サビ③の

いつの日かこの景色を 誰かへと語ろうと思う

の謎に答えて終わりにしましょう。


「私」は自分の車で、夢のような景色を目の当たりにしました。

しかし、「私」はその感動を、「いつの日か」語ろう、と言います。

なぜそれは今ではない、「いつの日か」なのでしょうか。


それは、「私」が語りたい景色とは、決して夢が現実になった感動ではないからです。もう一度、2番の歌詞に戻ってみます。


ポイントは「次の未来 見つけられるように(楽観的)」です。

ここでは、「夢」ということに関して現実的なことが述べられています。


……どういうこと?


私たちが夢にワクワクし続けるためには、常に新たな夢が必要となるということです。

現に、空飛ぶ車についても、そんな夢が私たちをワクワクさせていた頃から比べれば、だいぶ現実のものになってきました。

夢は人をワクワクさせるけれど、そのワクワクを原動力に人が夢へと近づけば近づくほど、ワクワクの燃料は減っていってしまう


でも私たちは、仮に1つの夢が現実に近づいたとしても、そこからまた別の夢を見つけることができる。

それはまるで、現実の世界において、1つの問題が解決することで新たな問題が発見されることにとても似ています。

しかしそのおかげで、私たちはワクワクし続けることができる


ここで一つ。

もしこの曲が私の言うように時系列で並んでいるとしたら、次の歌詞はかなり異質なものになります。


なぜなら、このサビ②の時点では、空飛ぶ車が完成していないからです。


「私」は空飛ぶ車の夢に近づきながら、それとはまた別の夢を見ている


そんな「私」は、自分の車が空を飛んだとき、いったいどんな景色を見たのでしょうか。

それは確実に、1つの夢の終わりを意味します。

でも、同時に新しい夢への第1歩でもあります。


だから「私」が見た景色とは、夢のような景色の中に見える、また新しい夢の景色。


空飛ぶ車のフロントガラスから見える青空の中で、たくさんの魚たちやクジラが泳いでいる。

そんな景色だったのかもしれないな、と思ったりします。





そして「いつの日か」、私のワクワクが終わりに近づいたとき、

あのとき私はこんな景色を見ていたんだ

と、誰かに語る時が来るのでしょう。




というわけで


いかかでしょう。

私の「空を飛ぶ車」の景色は、こんな感じです。

それがあなたにとって新鮮な景色だとしたら、とても嬉しいです。

とは言え、これはあくまで私の解釈。

特に「私」と「あなた」の関係についてはかなりぶっ飛んだ説をあえて採ってみたりしてます。

次に聞くときには、ぜひ歌声とともに歌詞にも思いを向けてみてください。

「こんな景色が見えた」と教えてくれたら、私はとても嬉しいです。

ではでは、また現地で。



日向坂46「空飛ぶ車」






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