私とアートの四半世紀記
6歳
よく漫画を描いていた。
『スーパーマリオくん』の面白さに衝撃を受けた私は、コロコロコミックを読み漁り、自分でも4コマ漫画を描くようになっていた。
自分の表現したいことにあふれていた。
8歳
自分が不器用な人間だと気づき始めた。
図工、書写、体育、あらゆる「体を制御すること」が絶望的に苦手なのだとわかった。
周りよりも明らかにできの悪い姿を、恥ずかしいものだと思うようになった。
11歳
教育実習明け1年目の先生がやってきた。図工だ。
木の板に絵を書き、上から色の付いた砂をぶちまける、という絵に取り組まされた。
私が私なりに工夫したものを見て、先生は「キース・ヘリングって知ってる?」と言った。知るはずもない。
「こことかね、キース・ヘリングっぽいね。いいよ」と言われた。
家に帰ると、私はキース・ヘリングがプリントされた服をすでに何着も持っていた。ユニクロで自分が選んで買ってもらったものだった。
自分がかっこいいと思っていたものは、やはりかっこいいのだと、認められた気がした。
14歳
自分は絵が下手なのだと改めて理解した。
美術の授業が苦痛だった。
五教科の成績だけは良かった私が、心の何処かでバカにしていた運動大好き運動部も、学校の裏サイトで仲間といじめを計画する権力者もどきも、みんな私より絵がうまかった。
この頃になると、子どものいたずら書きから、構図と意味を持った絵に進化するように、外圧がかけられていく。私は完全にこぼれ落ちた。
美術の定期試験は、即興のスケッチを書かされるものばかりだった。必死に勉強した美術史の問題は、配点が20点足らずしかなかった。
【次の円を球に見えるようにしなさい】という問題が出た。困った私は、上部に光沢をつけてみた。

10点満点中、1点もらえた。
「真面目にやりなさい」とコメントを付けられた。
通知表は「2」だった。
幼い頃、私はたくさんの創作をした。
中学生の私は、創作意欲を活字に回した。小説を読み、自分でも書いた。
文化祭の演劇は、私の書いた台本が採用された。
私は自己表現の方法として、絵を完全に捨てた。
24歳
誕生日プレゼントとして、画集をもらった。中村佑介さんの画集だ。
私はとっくに美術とのつながりを断っていたつもりだった。2人で美術館に行った思い出もない。
理由を尋ねると、彼女は「その人の絵、好きでしょ」と言った。
「いっしょに本屋さん行くとね、この人の絵がカバーの本、見てる時間長いの」
イジワルな顔をして笑っていたので、私も、ウソでしょと笑った。
言われるまで意識はしていなかった。でも確かに、私はその絵が好きだった。
私は絵が壊滅的に下手だ。そのせいで、私は絵が嫌いだと勘違いしていたのかもしれない。
下手なりに、好きな絵は存在するらしい。
描いてみようとは思わないが、絵を少し知りたいと思うようになった。
27歳
『絵を見る技術』という本を読んだ。
東京の丸善でその本を見つけて、あまり迷わずに購入し、1階の喫茶店で半分くらい読んだ。とても面白く、止めどきがわからなかった。
『絵を見る技術』で紹介されている絵の見方は、イメージと違うものだった。

この絵の主役は誰か。それは階段の上でひざまずく小さな少女である。
それはこの絵に描かれている人物の中で、彼女の顔がもっとも強いコントラストで描かれているからだ(他の人物は彼女に比べるとどれも薄暗い)。
さらに、手前にいる女性が指を指す方向、あるいは左上の子どもが指す方向にも少女がいる。この指差しは、いわば漫画の集中線の役割を果たしており、いっそう少女が主役であることを示している。
その他の人物の視線、体の向きが生み出す線、これらも鑑賞者の視線を誘導し、最終的に少女に眼が向かうように誘導されている。

この少女が誰なのか、これはなんのシーンなのか。それを知るのが絵を理解することだと思っていた。
コントラスト、集中線、構図、色。これらを武器に絵を解読していくその本は、私に大きな驚きをくれた。
私はあまりにも、絵を知らなかった。
28歳
『13歳からのアート思考』という本を28歳で読んだ。
アートはそれまで、才能あふれるアーティストの才能そのものを楽しむものだと思っていた。オリンピック選手のパフォーマンスを見るような感覚だ。
だから私には、それを楽しむことができたとしても、相変わらず縁遠いものだと思っていた。
この本のアート観は「既成の認識枠組みを破壊する企て」だ。
アンディー・ウォーホルが紹介されている。
『ブリロボックス』は、アートが本来持っているはずの「唯一性」を持っていない。
アートには「本物」と「複製」がある。
そんな常識を彼は市販の洗剤の包装箱で破壊しようとした。

既存の認識枠組みの破壊、それは私がかつて大学で夢中になった哲学と根本は同じだ。哲学もまた、人々が当たり前と思っている足元を切り崩そうとする。
縁遠いと思っていたアーティストという人種は、私と共通の言語さえ、持ち合わせていたのだとようやく気がついた。
小学生の頃、私の絵をキース・ヘリングみたいだと言った、あの先生の言葉を思い出していた。
29歳
千葉県のホキ美術館に足を運んだ。
そこに収められているのは「写実絵画」と呼ばれるジャンルの絵だ。文字通り、写真のような絵だ。その精彩さに、私は立ちすくんだ。


執念を感じた。スマホなら5秒で写し取れるものに、数ヶ月単位の長い時間がかけられている。
その圧縮されたパワーで、私の脳はイカれた。順路の後半から、脳はそれを絵と認識しなくなった。しかしふと、写真にはない違和感が、私を倒錯した現実へ引き戻した。
出口の外の景色は、まるで誰かの描いた絵のようだった。
32歳
私は気づけば、まったく絵を描かない人間になっていた。
絵を描いている私は、目を覆いたくなるほど惨めだ。進んで描こうとは思わない。
しかし絵は、アートは、確実に私の近くに存在している。
それを見ること、味わうことで、私の有り様が更新されていく実感がある。
自分にもいつかはまた4コマ漫画を描いていた頃のような、絵でしか表現し得ないものを表現したいと思えるときが来るのかもしれない。
※本稿はこちらの企画に「おアート」カテゴリとして参加しています。https://note.com/calm_avocet202/n/nb6c713b0bfd0
※そんなことでもなければ、私とアートのつながりなど書こうとは思いませんでした。機会をいただきありがとうございました。
