人は忘れていく。それでも、残るものがある。
子どもの心に残るもの
アイルランドでの生活を終えたあと、私はドイツへ渡りました。
そこで、3歳の男の子と5歳の女の子がいる家庭に住み込み、ベビーシッターとして子どもたちと一緒に生活することになりました。
ベビーシッターといっても、子どもたちを預かってお世話をするというより、私自身も家族の中に入れてもらい、一緒に食卓を囲み、一緒に出かけ、子どもたちと遊ぶ。そんな毎日でした。
当時、私は大学で4年間、幼児教育について学んでいました。
そんな私が興味を持ったのが、子どもたちが通っていた幼稚園です。
そこでは、モンテッソーリ教育が取り入れられていました。
「実際の現場を見てみたい」
そう思ってホストマザーに相談すると、幼稚園の先生に話をしてくれて、数日間見学させてもらえることになりました。
そこで印象に残ったのは、先生たちが必要以上に子どもに手を出さないことでした。
整えられた環境の中で、何をするのかを子ども自身が選ぶ。
大人が先回りして答えを与えるのではなく、子どもが自分で考え、選び、やってみることを待つ。
日本で私がそれまで見てきた、集団で同じ活動をすることの多い幼児教育とは異なって見え、とても新鮮でした。
大学でも、幼児期の環境や周囲の大人との関わりが、その後の子どもの成長にとって大切であることを学んでいました。
でも、実際に海外の子どもたちと生活し、先生たちの関わりを間近で見たことで、その意味を改めて考えるようになりました。
子どもにどんな言葉をかけるのか。
失敗しそうになったとき、先回りして助けるのか、
それとも少し待ってみるのか。
「こうしなさい」と大人が決めるのか、
「あなたはどうしたい?」と聞くのか。
毎日の小さな関わりの積み重ねが、子どもの自主性や社会性、自分を大切にする感覚を育てていくのだと感じます。
当時3歳と5歳だった子どもたちは、私のことなんて覚えていないだろう。
一緒に何をして遊んだのか。どんな話をしたのか。
そんなことは、ほとんど忘れてしまっていると思う。
それでいい。
たくさん抱きしめてもらったこと。
一緒に笑ったこと。
自分の話を聞いてもらったこと。
安心して甘えられたこと。
一つひとつの出来事は忘れてしまっても、
「自分は大切にされていた」
という温かい感覚が、心のどこかに残ってくれたら
意味があったのではないかと思う。
そう考えると、私自身も同じでした。
幼いころの出来事を、私はほとんど覚えていません。
母が何と言ってくれたのか。
どんなふうに抱きしめてくれたのか。
具体的な場面は、もう思い出せないものばかりです。
それでも、
「私は母に愛されていた」
という感覚だけは、今もちゃんと残っています。
安心できる場所があって、その中で自由に育ててもらった。
それだけは、胸を張って言えます。
もしかすると子育てで本当に残っていくものは、親が思っているよりも
ずっと小さくて、目には見えないものなのかもしれません。
何をしてあげたかではなく、
「あなたは大切な存在だよ」と言葉や行動で伝え続けること。
ドイツで子どもたちと過ごした時間は、そんなことを改めて考えさせてくれました。
