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ゆるく繋がるということ

素敵なクリエイターさんから、「クリエイター図鑑」というバトンが回ってきた。

こういう企画に参加するのが初めてで、ドキドキ。

早速ですが、ででーん!

すごい。これが伝説級。なんか魔法使いみたい?
めっちゃ盛っていただき、恐縮です。


noteを始めてから、いろいろな人と繋がった。

といっても、その人の本当の名前を知っているわけではない。

どこに住んでいて、どんな仕事をしているのか、家族が何人いるのかも知らない。

ただ、その人が書いた文章を読んで、そっと「スキ」を押す。

ほんの少し勇気を出して、コメントを送ったり、いただいたコメントにお返事したり。

そんなやりとりを、少しずつ重ねている。

不思議な関係だなと思う。

名前も、住んでいるところも知らない。

それでも、その人の考えていることや、心が動いた瞬間を知っている。

文章を読んでいると、

「この人はこういうことを大切にする人なんだな」

とか、

「その感覚、すごくわかるなあ」

とか思うことがある。

本当は、その人のことをほとんど知らないのに。

でも、だからこそいいのかもしれない。

安全な、ゆるいつながり。

「今日はこんなことを考えた」

「こんなものを見つけた」

「こんなことで笑った」

そんな小さなことを、それぞれの場所からそっと差し出す。

そして、誰かがそれを拾ってくれる。

そのくらいの距離感が、なんだか心地いい。

現実の人間関係では、どうしても役割がついてくる。

母親だったり、妻だったり、仕事をする人だったり。

でもnoteでは、肩書きより先に文章がある。

何者なのかを詳しく知らなくても、その人の言葉に触れることができる。

自分もまた、何者なのかをすべて説明しなくても、言葉を置いていくことができる。

それは、思っていた以上に自由なことだった。

もちろん、だからといって、ゆるいつながりだけがあればいいとは思わない。

家族やパートナー、友達。

日々顔を合わせて、くだらない話をして、時にはぶつかって、困ったときには助け合う。

傷つけたり、傷つけられたりしながら、それでも日々を支えてくれる、愛おしいつながり。

そういう、がっちりとしたつながりも、とても大切だ。

がっちり、ゆるゆる。
いろいろな強さの結びつきがあっていい。

そして、考えてみれば、リアルな日常の中にも「ゆるいつながり」はたくさんある。

同じマンションに住んでいて、会えば子どもに声をかけてくださる近所のおばさま。

毎朝、「暑いですね」と声をかけて、「いってらっしゃい」と送り出してくださる、マンションの清掃員さん。

子どもを連れて耳鼻科へ行くたびに、「今日もお利口やね」と声をかけてくれる受付さん。

名前なんて知らない。

どんな暮らしをしているのかも知らない。

きっと相手も、こちらの事情はほとんど知らない。

それでも、何度か顔を合わせるうちに、なんとなくお互いの存在を知っている。

ほんの数秒の挨拶。

ひとこと、ふたことの会話。

それだけなのに、そこにはちゃんと温度がある。

なくても生活はできる。

でも、あると少しうれしい。

「今日も暑いですね」と言葉を交わすだけで、ひとりで歩いていた道に、ほんの少し人の気配が生まれる。

子どもに声をかけてもらえば、「見ていてくれる人がいるんだな」と思う。

そんな小さなつながりが、暮らしの中にいくつもある。

noteでのつながりも、きっと少し似ている。

毎日会うわけではない。

詳しいことを知っているわけでもない。

それでも、文章を読んで、「わかるなあ」と思ったり、スキが届いて「今日も読んでくれたんだな」とうれしくなったりする。

たったそれだけ。

でも、たったそれだけが、やっぱりうれしい。

今回、回ってきた「クリエイター図鑑」のバトンも、そんなゆるやかなつながりのひとつなのだと思う。

知らない人から始まったものが、誰かから誰かへ渡っていく。

その途中で、また新しい人の文章を読む。

「こんな人がいるんだ」と知る。

人と人との間に、細い糸が一本ずつ増えていくような感じがする。

太い糸じゃなくてもいいし、

いつも繋がっていなくてもいい。

少し離れたり、また近づいたりしながら。

そんなふうに、ゆるく繋がっていられたらいいなと思う。

濃いつながりも、薄いつながりも。

近いつながりも、遠いつながりも。

その全部が、少しずつ自分の世界をつくっている。


人見知りをなかなか卒業できない私は、そっとバトンをここに置いておきます。

もし、拾ってもいいよ、という方や、面白そうだから伝説カードになってみたい!という方がいらっしゃいましたら、そっとコメントください。

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