はじめて出会った“疥癬タヌキ”——想像がふくらんだ朝
旅先で迎えた、少しひんやりとした夏の朝でした。
その日は、湖のそばにある宿泊施設に泊まっていて、チェックインのとき、スタッフの方がこう教えてくれたのを思い出しました。
「宿泊施設の前にある畑、ブルーベリーがちょうど食べごろなんです。無農薬なので、よかったら自由に摘んで、食べてみてくださいね」
無農薬のブルーベリー。しかも取り放題。
朝のヨーグルトにちょっと添えたら、それだけでごちそうになる——
そんな想像をしながら、私は収穫したブルーベリーを入れるビニール袋をズボンの左ポケットに押し込んで、それから、なんだか良い朝だから鳥でも撮ろうと思って、カメラを右手に持って、早朝の畑に向かいました。

不思議な気配と、わからない「何か」
畑の手前まで来たとき、草がざわっと揺れました。
風にしては重く、どこか生き物の気配を含んだ音。
猫? リス? それとも、もっと大きな動物?
私はその場に立ち止まり、じっと目を凝らしました。
すると、ゆっくりと低い草むらから姿を現した“何か”が、目に入りました。
「……何だろう、この動物?」

そのとき、すぐには何かわかりませんでした。
よく知るどの動物にも当てはまらない、異様な姿だったのです。
痩せ細った体。骨ばった背中。
そして、何より目を引いたのは、毛がほとんど抜け落ち、カサついた肌がむき出しになっていたこと。
細くうつろな目をして、それでもゆっくりと草を踏みながら歩いているその後ろ姿に、私はやっと「タヌキ」の面影を見つけました。

そのすぐあと、少し離れた場所から、もう1匹が現れました。2匹は寄り添うでもなく、静かに、落ちたブルーベリーを食べるのです。
疥癬(かいせん)という病気
宿に戻っても、あのタヌキたちの姿が頭から離れませんでした。
写真を見返しながら、インターネットで調べてみました。
どうやら彼らは「疥癬(かいせん)」という皮膚病にかかっていたようです。
原因は「ヒゼンダニ」という微小なダニで、皮膚に寄生し、強烈なかゆみと脱毛を引き起こすのだとか。

かゆみのあまり自分で毛をむしってしまい、傷が広がり、感染が悪化すると、食べ物を探す体力も奪われていく——。
重症化すれば、命を落とすことも少なくないそうです。
野生のタヌキには、そこまで珍しくない病気らしく、時折こうした姿が見られるのだとか。
けれど、私にとっては、それが「はじめて出会った、病気の野生動物」でした。
思い出そうとしなくても、彼らがふっと頭に浮かびます。
よろよろと歩く背中、荒れた肌、どこか孤独そうな雰囲気で
タヌキがブルーベリーを食べている景色。
「かゆくないのかな」
「何してるんやろう」
「会話してたみたいに見えたけど……」
そんな風に、私の中でタヌキの姿が、少しずつ言葉になってふくらんでいきました。
生き物が背負っている感情と、雰囲気。
それがどうしようもなく切なく感じたのです。
彼らは逃げる様子もなく、ただそこで、ブルーベリーを食べていました。
私は近づく事を、ためらっていました。
野生動物に無暗に接触してはいけないこと、感染リスクがあるかもしれないことは、頭ではなんとなくわかっていたからです。
それでも、「助けてあげたい」と思うわけでもなく、ただ、どうにもできないまま——
私は小一時間ほど、落ちたブルーベリーをついばむ様子を、ただ静かに見ていました。
タヌキにとって、不運にも感染症にかかってしまうこと。
でも、それもまた、自然の中の営みのひとつなのかもしれない。
もしそうだとしたら、人間の価値観を持ち込んで「かわいそう」「助けなきゃ」と判断することは、おそらく、たぶん少し違う気がしていたのです。
できることは何もなくて、
でもだからこそ、「遠くから見つめること」「想像すること」が、自分にできる精一杯の関わりだったように思います。
あの朝がくれた問い
ほんの短い時間の出会いでした。
けれど私は、あの朝を経てこんな問いが心に浮かんでいました。
「生きるって、何だろうか」
生きることは、美しくも、苦しくもある。
自然は、やさしくも、残酷でもあって、
人間は、そのあいだで、見守ったり、手を出したりしながら、共に在ろうとしています。
私は、たまたま旅先で、たまたま早起きをして、たまたまブルーベリーの畑に行った——
そんな偶然が重なって、ひとつの命と出会って、少しだけ考える機会をもらいました。
——静かな願いを込めて
あのタヌキたちが今どこにいるのかはわかりません。
二度と出会うことはないかもしれません。
でも、あのときの姿は、たぶん今後の人生で、ブルーベリーを食べるときになんとなく、ふと私の中で思い出すのだろうなと思います。
そういえば——
京丹後の海沿いの絶壁で見た牡鹿は、角が立派で堂々としていて、たくましかった。
立山(たてやま)で出会った雷鳥も、ふわふわの羽を風になびかせていました。
タブノキの幹に巣をつくっていたトゲアリにさえ、なぜか無性に心を奪われました。
私は、生き物たちの姿から、いつも何かしらのメッセージを受け取っているような気がします。
その感覚を、これからも私は、できるだけ忘れずにいたいと思っています。
補足:疥癬(かいせん)とは?
疥癬は、ヒゼンダニという微小なダニが皮膚に寄生することで発症する皮膚疾患です。
強いかゆみや脱毛、皮膚の炎症などが見られ、野生のタヌキやキツネなどによく発症します。
重症化すると衰弱し、餌が取れなくなって命を落とすこともある、深刻な感染症です。
また、人間にも感染するリスクがあるため、見かけても不用意に近づかず、触れないようにしましょう。

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