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「失われた光」第8話|王国の影――二つの光が試される夜 (前半/無料)

――国見の儀の夜、黒縄が“余分な光”を断ちに来る

静けさは、平穏ではなかった。
見えない敵は、いつも“何も起きない時間”の底に潜んでいる。
国見の儀で倭全土の光と影を視たその夜、日向と壹真の前に、ついに暗闇の刺客、黒縄が姿を現す。

【一 静けさの底で】

高千穂の谷に、妙な静けさが降りていた。

火の国の残党は消えた。
奴国への急襲からも日が経った。
それなのに、人々の口からは「黒縄」という名ばかりが広がっていく。

けれど、肝心の敵影はどこにも見えない。

壹真は、宮殿の土塀に腰を下ろし、谷を見下ろしていた。

棚田の水面が、夕方前のやわらかな光を跳ね返す。
川べりでは子どもたちが遊び、大人たちは畑から戻ってくる。

戦で傷んだ場所は確かにある。
それでも、この一瞬だけを切り取れば、ただの穏やかな里の風景だった。

(……これが、壊されるのかもしれない)

胸元の勾玉が、ぴくりと震えた気がした。

「――また考えごとか」

背後から、低い声が飛んでくる。

佐士だった。

壹真が振り返ると、佐士は腕を組んだまま立っていた。
鎧は半分ほど外している。訓練を終えたばかりらしく、首筋にはまだ汗が残っていた。

「考えごとが多いのは、現代人の仕様です」

「その“現代人”という言葉、便利そうで腹が立つな」

そう言いながら、佐士は土塀に片足をかけ、そのまま壹真の隣に腰を下ろした。

二人のあいだを、土と汗と草の匂いの混じった風が抜ける。

「見回りは?」

「終えた。……不気味なほど、何もない」

佐士は谷を一瞥し、目を細めた。

「火の国の残党も、狗奴国の気配もない。
それなのに、境の注連縄が何か所か焼き切られていた」

「焼き切られてた?」

「火の跡は新しい。だが近くには足跡ひとつない。
……ただの賊の仕業じゃない」

壹真の背筋を、冷たいものが走った。

(暗闇の刺客、黒縄……)

火の国の廃村で、その名だけは聞いた。
まだ直接見たことはないのに、その存在を考えるだけで空気が重くなる。

「日向には報告したのか?」

「した。巫女たちと結界の張り直しを始めている」

佐士はそこで、少しだけ声を落とした。

「……だが、守りは守りでしかない。
本当に必要なのは、敵の心臓に届く刃だ」

無意識なのだろう。
佐士の手が、腰の刀の柄に触れた。

「黒縄を討つ気なんだな」

「当然だ。あれを野放しにすれば、いずれこの谷も燃える」

その声には、いつもの苛立ちだけでなく、静かな怒りが混じっていた。

「いっしん」

「ん?」

「お前の“光の目”は、戦場だけじゃなく、影を見ることもできるのか?」

「影?」

「犬のように匂いで敵を追う者はいる。
音のない足音を拾う術者もいる。
……だが、黒縄のような“影の男”を狩るには、光の側にいる者の目が要るんだろう」

壹真は、自分の勾玉に手を置いた。

(見えるかどうかなんて、正直わからない)

でも――。

「やるしか、ないんだろうな」

そう言うと、佐士は短く笑った。

「逃げ腰じゃないだけ、まだましだ。
それでこそ、“姉上が選んだ光”だ」

その横顔に、一瞬だけ複雑な影が差した。

嫉妬か。
諦めか。
それとも、別の何かか。

だが佐士は、すぐにいつもの硬い表情へ戻る。

そのとき、祭殿のほうから小走りの足音が近づいてきた。

「佐士様、いっしん様!」

若い兵が、土塀の下で息を弾ませながら頭を下げる。

「日向様がお呼びです。
“今すぐ、祭殿へ”とのこと」

壹真と佐士は、顔を見合わせた。

「……いい報せじゃないのは、確かだな」

「ろくな予感がしない」

二人はほぼ同時に、土塀から飛び降りた。

【二 光の中心で】

祭殿に足を踏み入れた瞬間、空気の重さが変わった。

白砂の広間。
勾玉形の柱が円を描くように立ち並ぶ。
香の煙が白く漂い、巫女たちが静かに座している。

その中心に、日向がいた。

いつもの白衣ではない。
深い紅を帯びた正装。
髪には幾本もの玉簪。
額の勾玉は、いつもより強く光って見えた。

「日向」

壹真が思わず呼ぶと、日向はふっと笑った。

「来てくれて、ありがとう」

美しい笑顔だった。
けれど、どこか無理をしているようにも見える。

「今日は“国見”をするの」

「国見?」

壹真が首をかしげると、佐士が低く補足した。

「倭の諸国の“気”を視て、どこに乱れが生じているかを探る儀式だ。
本来なら、卑弥呼となった後に行う大事だが……」

「狗奴国と黒縄が、待ってくれそうにないから」

日向は苦く笑った。

「本当は、もっと準備がいる儀式なの。
でも今、倭のどこが影に飲まれかけているのか、視ておかないといけない」

その視線が、壹真の胸元に落ちる。

「それに、いっしんの光も……一緒に使わせてほしいの」

勾玉が、応えるように淡く光った。

「俺の?」

「あなたは未来の光を知っている。
その光は、今の倭には存在しない種類のもの。
……だから、影にとっては“目障り”なはず」

「目障りって、ひどい言われ方だな……」

軽口のつもりだった。
だが、日向は笑わなかった。

「影は、光がなければ形を持てない。
強い光があるところには、必ず濃い影が寄ってくる」

その声は、遠いものを見つめるように静かだった。

「だから、この儀式は“光の強さ”を測るだけじゃない。
“王国の影”を炙り出すことにもなる」

(王国の影……)

壹真の背中に寒気が走る。

佐士が短く言った。

「無茶はするな、姉上。
近ごろ、未来視のあとに倒れることが増えている。
黒縄が動いている今、祭殿で意識を手放すのは危険だ」

「危険だからこそ、やらないと」

日向の声が少しだけ強くなる。

「影は待ってくれない。
私たちが光を灯すのをやめたら、その瞬間に呑まれる」

佐士は歯を食いしばった。
だが、もう何も言えなかった。

日向は壹真のほうへ向き直る。

「だから、お願い。
いっしんは、ここにいて。
私が“どこか遠く”へ行きすぎないように」

それは、巫女王の命令であると同時に、ひとりの少女の願いでもあった。

「……行かせないよ」

壹真は一歩前へ出た。

「どんな影が来ても、ここから日向を連れ戻す」

日向の顔に、ほっとした色が浮かぶ。

「ありがとう」

巫女たちが立ち上がり、日向の周囲に輪を描く。
太鼓が低く鳴り、銅鐸の澄んだ音がそれに続いた。

(始まる――)

壹真は、知らず知らずのうちに拳を握っていた。

【三 国見の儀】

松明の灯が一本ずつ消されていく。

最後に残った中央の火だけが、祭殿を照らしていた。

日向は白砂の中央に膝をつき、両手を胸の前で重ねる。

「倭の八十余国よ。
その息、その気配、その光と影よ。
いま、我が目にその姿を顕したまえ」

静かな祈りの言葉。

巫女たちが低く歌い始める。
太鼓が、心臓の鼓動と同じ拍で鳴る。

壹真の勾玉が熱を帯びた。
まるで日向の勾玉と呼応するように。

(これ……前にも)

天の岩戸でのカゴメの儀式。

あのときと似ている。
けれど今は、もっと広く、もっと深い何かへ触れようとしていた。

日向の黒髪が、ふわりと浮く。
風もないのに、衣が揺れる。

白砂の上に、細い光の筋が走った。

谷を越え、山を越え、海へ伸びていく川のようだった。

(これが……倭の“気”……?)

壹真の目にも、ぼんやりと線が見え始める。

北へ。
南へ。
西へ。

いくつもの光の流れ。
その中に、黒い滲みが混じっていく。

「……奴国。
伊都国……不弥……」

日向が低く呟くたび、その名に応じて光が明滅する。

「火の国……
まだ……揺れている」

日向の眉間に皺が寄る。

「そして……狗奴国」

その名を口にした瞬間だった。

空気の色が変わる。

光の筋が激しく震え、白砂の上に黒い墨を垂らしたような影が浮かび上がった。

冷たい気配が、祭殿全体を包む。

(これが……狗奴国の“影”……)

壹真は息を止めた。

影には、はっきりした形がない。
なのに、そこには明確な“意志”があった。

燃やす。
奪う。
崩す。
嗤う。

そんな意志だ。

日向の身体が、かすかに震える。

「……深い。
闇が、深い。
このままでは……倭が……」

そのとき――

白砂の端に、何かが触れた。

柱の陰。
さっきまで誰もいなかったはずの場所に、黒い影が立っていた。

黒縄だった。

黒い縄の面。
全身を墨のような衣で包んだ男。

祭殿の結界を、いつ、どうやって抜けたのか。

壹真の背中を、氷の刃が走り抜けた。

「……やはり、“ここ”か」

黒縄の声は、湿った岩の奥から響くように不気味だった。

「光が二つあれば、影もまた深くなる。
王国の影を視る儀。
その中心に――お前たちは立っている」

「誰だ!」

佐士が刀を抜き、日向と黒縄の間へ飛び込む。
巫女たちが悲鳴を呑み込んだ。

日向の意識は、まだ国見の中にあり、完全には戻っていない。

黒縄は、ゆっくり首を傾げる。

「噂どおりだな。巫女王の弟よ。
忠誠深く、よく鍛えられた剣だ」

佐士の目が細くなる。

「貴様が――狗奴国の黒縄か」

「名など、影には不要だ。
ただ、“使命”だけがあればよい」

黒縄が一歩前へ出た。

その歩き方は、地面を踏んでいるはずなのに、どこか現実感がない。
影が少し遅れてついてくるような、不自然さだった。

「使命……?」

壹真は、日向のそばへ膝をつく。
彼女の肩を支えながら、黒縄を見上げた。

黒縄の仮面が、壹真へ向く。

「“余分な光”を消すことだ」

その視線が、壹真の勾玉を貫いた。


ここまで無料公開

ここから先で、
黒縄は壹真を“歴史の誤差”だと断じます。
そして、
日向と壹真の二つの光は“光の壁”を生み出す。

けれどその直後、
王国の影は、最も残酷な形で二人を試します。

続きでは――

黒縄が語る“本来の歴史”と“修正”の意味
二つの勾玉が重なって生まれる「光の壁」
日向が受ける“影の傷”
そして、ついに壹真と佐士が同じ敵へ向かって手を組む瞬間

までを収録。

▶ 後半では、
「日向!!」
その叫びとともに、物語は一気に取り返しのつかない地点へ進みます。


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