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私が悪いんだ、と思い込んでしまうあなたへ――責められたとき、すぐに自分を責めてしまう癖

あるとき、SNSでこんな投稿を見かけました。

「友達申請だけして、メッセージには指マークだけの人。非常識だと思いませんか?逆の立場で考えるべきです。人間、皆平等なんですから。」

読んだ瞬間、ドキッとしました。

もしかして、これって私のこと……?


思い当たるやり取り

数週間前、とある人から突然メッセージが届きました。 最初は「こんにちは」などの挨拶程度のやり取りでしたが、ある日、こう言われたのです。

「あなたの歌、聞きました。プロデュースしたいので、ケータイに連絡してください。」

そして電話番号と、今滞在しているというホテルの名前が送られてきました。

面識は、カラオケ大会の場で一度あっただけ。 それにしても、あまりに唐突すぎて、私は戸惑いました。

怖くなって、その後のメッセージには返事をしませんでした。

数日後、また「こんにちは」とだけメッセージが。 私は「いいね」の指マークだけを返し、それ以降やり取りはしていませんでした。

その矢先に、その方が、SNSであの投稿をしていたのです。 まるで責められているような気がして、胃がキュッと痛くなりました。 何も言わずに無視した自分が、すごく悪いことをしたように思えてきたのです。


アドラー心理学に出会って変わった視点

でも、そんなとき、私はアドラー心理学で学んだ言葉を思い出しました。

「それは、誰の課題か?」

このケースでいえば、相手が「返事が来ない」と不満に思うのは、相手の課題。 それに対して、どう対応するかは私の課題。

私は、「怖い」「違和感がある」「信頼できない」と感じた。 だから返事をしなかった。それは、自分の感覚を信じた結果です。

それでいいんです。


人に責められたように感じたとき、まず立ち止まってみて


「自分が悪いんだ」とすぐに思い込む癖。 これは、これまでの人生で「人の顔色を伺って生きてきた人」が持ちやすいパターンです。

でも、他人の言動すべてを自分の責任だと思う必要はありません。 特に、相手が感情的な態度をとったときは、それは相手の未整理な課題であることが多い。

そして、そもそもあの投稿が私に向けられたものかどうかも、実際にはわかりません。

「これは仮想論的な思い込みかも?」

そう思えるようになったのも、アドラー心理学を学んだからこそです。


最後に

誰かに「あなたが悪い」と言われると、すべてを背負い込みそうになること、ありませんか?

でも、アドラー心理学の教えに基づいている『嫌われる勇気』では、「課題の分離」が重要なキーワードとされています。

私はこれからも、自分の感覚を信じて行動したい。 たとえ誰かの期待に添えなくても、

「私は、私のやり方で生きていい」

そう思えるようになってきたのです。

そして忘れてはいけないのが、アドラー心理学の根底にあるのは「共同体感覚」。

自分を大切にすることと、他者とつながりながら貢献し合うことは、両立できます。 誰かの期待に応えなくても、誰かを喜ばせたいという気持ちは、自然に湧いてくるもの。

これからも私は、自分らしく、そして少しずつでも「誰かの役に立てたかも」と思える日々を大切にしていきたいと思っています。