250 「モンスター達のおとぎ話 part 2」 全2話(12000)
第三話 「幽霊屋敷の管理人」
古い屋敷には、ちょっと変わった幽霊たちが暮らしている。
ある夜、管理人は一人の少年の幽霊と出会う。
笑い声の絶えない幽霊屋敷に何が起こるのか…
【第四話 『魔女の便利屋』】
町の片隅にある「魔女の便利屋」には、今日もさまざまな依頼が舞い込む。
ある日訪れた老人の願いは、亡くなった妻にもう一度会うこと。
魔法では取り戻せないものを、残された言葉がそっとつないでいく物語。
第三話 「幽霊屋敷の管理人」
【登場人物】
管理人――古い洋館の管理を任されている男性。幽霊にも動じない穏やかな性格で、少々世話焼き。
幽霊――屋敷に住みついている幽霊。口が達者で、現代の暮らしにいちいち文句をつける。
老女の幽霊――長い間この屋敷にいる幽霊。上品だが、意外とちゃっかりしている。
少年の幽霊――生前は屋敷の近所に住んでいた少年。今も子どものような無邪気さが残っている。
【本編】
ナレーション:
その屋敷は、町の外れにひっそりと建っていた。
蔦の絡まる門。
長い石畳。
夜になると二階の窓に人影が見えるという噂まである。
町の人たちは、その屋敷を「幽霊屋敷」と呼んでいた。
けれど、そこに住み込みで働く管理人に言わせれば、少し事情が違う。
管理人:
幽霊屋敷というより……幽霊の住みやすい古民家ですね。
三年も暮らしていると、さすがに足音くらいでは驚きません。
むしろ、何も聞こえない夜のほうが気になってしまうくらいです。
ナレーション:
管理人が屋敷の管理を始めて三年。
最初の頃は、夜になると聞こえてくる足音に驚いた。
階段を誰かが上がっていく。
廊下を誰かが歩いている。
誰もいない部屋から、食器の音がする。
けれど、三年も暮らしていれば、慣れる。
いや、正確には、慣れるしかなかった。
ある夜、管理人が廊下の電球を替えていると、背後から声がした。
幽霊:
ちょっと、そこ。
悪いんだけど、もう少し明るくしてくれない?
この廊下、昼間でも薄暗いのに、夜になると本当に何も見えないのよ。
管理人:
……幽霊なのに、明るさが必要なんですか?
幽霊:
必要に決まってるでしょう。
暗いと顔色が悪く見えるじゃない。
せっかく綺麗にしているのに、青白く見えたら台無しなのよ。
管理人:
幽霊の顔色を気にするんですか?
幽霊:
生きている人だって気にするでしょう。
幽霊になったからって、美意識まで死ぬわけじゃないのよ。
管理人:
……幽霊になっても、そこは気になるんですね。
幽霊:
むしろ、幽霊だからこそよ。
「怖い顔ですね」なんて言われるの、失礼でしょう。
こっちは生まれつきじゃなくて、死後の仕様なんだから。
ナレーション:
この屋敷の幽霊たちは、どうも一般的な幽霊とは違っていた。
人を驚かせるより、生活の不便を訴えてくる。
ある夜には、また別の苦情が飛んできた。
幽霊:
それから、Wi-Fi。
管理人:
……またですか?
幽霊:
「また」じゃないわ。
これは継続案件。
この前からずっと言っているでしょう。
管理人:
幽霊がインターネットを使うんですか?
幽霊:
使うわよ。
生前は動画を見るのが趣味だったんだから。
今だって、時間だけはたっぷりあるんですもの。
管理人:
ちなみに、何を見ているんです?
幽霊:
料理動画。
管理人:
料理……。
幽霊:
そう。
死んでから食べられなくなったから、せめて美味しそうなものくらい眺めていたいの。
管理人:
……それは、ちょっと切ないですね。
幽霊:
でしょう?
だから通信環境は大事なの。
それと猫動画。
猫は食べられなくても見ていられるから。
管理人:
急に現実的になりましたね。
幽霊:
猫は死んでも可愛いのよ。
そこに生死の境界なんて関係ないわ。
ナレーション:
別の日には、老女の幽霊が現れた。
老女の幽霊:
管理人さん、ちょっとお願いがあるの。
管理人:
はい、今度は何でしょう。
老女の幽霊:
階段がつらいのよ。
毎晩、二階まで上がるのが本当に大変で。
管理人:
……幽霊なのに?
老女の幽霊:
生きている頃から膝が悪かったのよ。
死んだら全部すっきり治ると思っていたのに、そうでもないのね。
どうも死後の世界というところは、サービスが悪いみたい。
管理人:
それは……大変ですね。
老女の幽霊:
だから、エレベーターを付けてちょうだい。
管理人:
無理です。
老女の幽霊:
即答なのね。
管理人:
この屋敷の構造では、エレベーターを設置するだけでも大工事になります。
それに予算もありません。
老女の幽霊:
幽霊からも家賃を取っているくせに?
管理人:
取ってません。
老女の幽霊:
じゃあ、せめてクッションを。
管理人:
……それくらいなら。
老女の幽霊:
まあ。
あなた、思っていたよりずっと優しいのね。
管理人:
幽霊に褒められるのも、なかなか不思議な気分です。
老女の幽霊:
じゃあ、クッションは二つお願い。
管理人:
一つです。
老女の幽霊:
ケチねえ。
ナレーション:
管理人は苦笑しながら、階段の踊り場に古い椅子を置いた。
その上にクッションを一つ。
老女の幽霊は満足そうに腰を下ろした。
老女の幽霊:
ああ……いいわね。
こういうのが欲しかったのよ。
管理人:
気に入っていただけて何よりです。
老女の幽霊:
人間って、死んでからも案外役に立つのね。
管理人:
生きているうちに言ってほしかったですね。
ナレーション:
幽霊たちとの暮らしは、そんな調子だった。
怖くはない。
むしろ、うるさい。
けれど、管理人は少しずつ気づいていた。
幽霊たちは、くだらないことを言っているようで、いつも何かを話し続けている。
Wi-Fiのこと。
料理のこと。
階段のこと。
昔の天気のこと。
誰かが聞いてくれる限り、彼らは話す。
まるで、話さなくなった瞬間、自分たちまで消えてしまうように。
そんなある晩。
管理人が庭の落ち葉を掃いていると、屋敷の裏から小さな声が聞こえた。
少年の幽霊:
ねえ……。
ちょっと聞いてもいい?
ここ、まだ遊んでいても大丈夫かな。
管理人:
もちろんです。
……君は、いつからここにいるんです?
少年の幽霊:
ずっと前から。
ずっと、ここにいたよ。
ナレーション:
少年は古いボールを抱えていた。
擦り切れ、ところどころ色の抜けた布製のボール。
少年の幽霊:
これ、まだ使えるかな。
ずいぶん古くなっちゃったけど、僕には大事なものなんだ。
管理人:
かなり年季が入っていますね。
でも、まだ使えそうですよ。
少年の幽霊:
よかった。
僕より古いかなって、ちょっと心配してたんだ。
管理人:
それは……さすがに君のほうが古くはないでしょう。
少年の幽霊:
どうかな。
僕、いつからここにいるのか分からないから。
ナレーション:
少年は笑った。
その笑顔は明るかった。
けれど、どこか遠いところに置き去りにされたような寂しさがあった。
管理人:
昔、この庭で遊んでいたんですか?
少年の幽霊:
うん。
ここなら、誰にも怒られなかったから。
ボールを蹴っても、走り回っても、誰も「静かにしなさい」って言わなかった。
管理人:
友達と一緒に?
少年の幽霊:
ううん。
僕、一人だったから。
管理人:
……一人で、ずっと?
少年の幽霊:
そう。
壁に向かってボールを投げるの。
跳ね返ってきたら、それをまた投げる。
ずっと一緒に遊んでくれるんだよ。
だから寂しくなかった。
……たぶん。
ナレーション:
最後の言葉だけが、小さく消えた。
管理人は何も言わず、少年の隣に立った。
少年の幽霊:
でもね。
最近、誰も僕のことを知らないんだ。
管理人:
……。
少年の幽霊:
この前、町の人に聞いてみたの。
「この屋敷で昔、子どもが遊んでた?」って。
そしたら、みんな知らないって。
昔のことだから仕方ないんだけど……。
僕がここにいたことまで、なくなったみたいで。
管理人:
どうして、そんなことを考えたんです?
少年の幽霊:
だって、誰も僕の名前を呼ばないから。
誰も僕のことを知らない。
写真も、記憶も、何も残ってないと思ってた。
だから、ときどき分からなくなるんだ。
僕、本当にここにいたのかなって。
ナレーション:
その言葉を聞いた瞬間、管理人は、これまで幽霊たちが口にしていたくだらない不満を思い出した。
Wi-Fiが遅い。
階段がつらい。
部屋が暗い。
料理動画が見たい。
クッションが欲しい。
もしかすると、彼らが欲しがっていたのは、そんなものではなかったのかもしれない。
誰かに返事をしてもらうこと。
誰かに名前を呼んでもらうこと。
誰かに「そこにいる」と気づいてもらうこと。
管理人:
君は、ちゃんとここにいましたよ。
僕が知らなかったとしても、それで君がいなかったことにはならない。
少年の幽霊:
でも、管理人さんは僕のことを知らなかったでしょう?
管理人:
ええ。
だから、今から知ればいいんです。
君がここで遊んでいたことも。
一人でボールを投げていたことも。
ここにいたことも。
ナレーション:
管理人は屋敷の物置を思い出した。
そこには、以前から気になっていた古いアルバムがある。
管理人:
少し待っていてください。
もしかしたら、何か残っているかもしれません。
ナレーション:
管理人が屋敷の中へ戻ってからしばらくすると、埃をかぶったアルバムを抱えて戻ってきた。
古いページを一枚ずつめくる。
屋敷の主人。
庭で開かれた食事会。
近所の人たち。
そして、一枚の写真。
庭の隅で、ボールを抱えて笑っている少年。
少年の幽霊:
……これ。
管理人:
君でしょう?
少年の幽霊:
うん……。
これ、僕だ。
ナレーション:
少年は写真を覗き込んだ。
何度も確かめるように、写真の中の自分を見つめている。
少年の幽霊:
僕、こんなふうに笑ってたんだね。
管理人:
ええ。
とても楽しそうです。
少年の幽霊:
もっと寂しい顔をしてたと思ってた。
でも、ちゃんと笑ってた。
管理人:
きっと、この庭が好きだったんでしょうね。
少年の幽霊:
……うん。
ここが好きだった。
ナレーション:
少年は写真にそっと手を伸ばした。
指先は写真をすり抜ける。
それでも何度も触れようとした。
少年の幽霊:
触れられないのに……なんだか、あったかいね。
管理人:
写真は触れなくても、思い出は触れられるのかもしれません。
少年の幽霊:
……そっか。
じゃあ、僕、ちゃんとここにいたんだね。
管理人:
もちろん。
誰かに忘れられたとしても、存在したことまで消えるわけじゃありません。
ナレーション:
少年はしばらく写真を見つめていた。
やがて、古いボールを管理人へ差し出す。
少年の幽霊:
これ、預かってくれる?
管理人:
いいんですか?
少年の幽霊:
うん。
もう、ずっと持ってなくても大丈夫そうだから。
ここに置いておけば、誰かが見つけてくれるかもしれない。
僕がいたことを、思い出してくれるかもしれないから。
管理人:
分かりました。
大切に預かります。
ナレーション:
管理人は、ボールを大切に受け取った。
翌朝。
庭の片隅に、小さな木の札を立てる。
そこには少年の名前を書いた。
誰に頼まれたわけでもない。
誰かに見せるためでもない。
ただ、この屋敷で確かに生きていた少年がいたことを、残しておきたかった。
その夜。
幽霊:
管理人さん。
管理人:
はい?
幽霊:
今日の夕飯、何?
管理人:
……幽霊って夕飯を気にするんですか?
幽霊:
食べられなくても、気分というものがあるのよ。
それに、献立を聞くだけでも楽しいでしょう。
管理人:
なるほど。
では、今日はカレーです。
老女の幽霊:
私は甘いものがいいわ。
管理人:
カレーのあとに甘いものですか?
老女の幽霊:
死んでいるんだから、カロリーくらい気にしなくていいでしょう。
管理人:
そもそも食べてないじゃないですか。
老女の幽霊:
気持ちの問題よ。
幽霊:
私はデザートよりWi-Fiのほうが重要。
管理人:
皆さん、本当に成仏する気はないんですね。
幽霊:
だって、ここ、居心地がいいもの。
それに、誰かとくだらない話をできるって、案外いいものよ。
老女の幽霊:
そうね。
死んでから、こんなに笑うとは思わなかったわ。
管理人:
……それが、一番の理由なんですね。
幽霊:
そういうことにしておいて。
ナレーション:
管理人は、ふと庭へ目を向けた。
そこには少年の姿はない。
けれど、不思議と寂しくはなかった。
少年はもう、「自分がここにいたのか」と迷わなくていい。
写真の中で笑う自分を見つけたから。
誰か一人でも、自分を覚えてくれたから。
そして、この屋敷にはまだ、忘れられたくない人たちがいる。
その夜から、庭には少年の姿が現れなくなった。
けれど、ときどき廊下を歩いていると、小さなボールの音が聞こえる。
ぽん。ぽん。ぽん。
誰もいない庭から聞こえてくる、懐かしい音。
管理人:
……元気でやってるんでしょうね。
幽霊:
誰が?
管理人:
少年ですよ。
幽霊:
ああ。
きっと遊びに来てるのよ。
老女の幽霊:
一人で?
幽霊:
もう、一人じゃないんじゃない?
ナレーション:
その言葉に、管理人は庭を見る。
風が木の葉を揺らしている。
姿は見えない。
けれど、確かにそこには、誰かがいるような気がした。
幽霊屋敷には、今も幽霊がいる。
相変わらずWi-Fiの文句を言い、階段にエレベーターを欲しがり、夕飯の心配までしている。
けれど、そのくだらない会話の一つひとつが、この屋敷に残された人たちの「生きていた証」なのかもしれない。
人は、忘れられたときに消えるのではない。
誰かの記憶から、最後の温度まで消えてしまったときに、本当の意味で遠くなる。
だから幽霊たちは、今日もくだらないことを話す。
「まだいるよ」と知らせるために。
「ここにいることを忘れないで」と、誰かに気づいてもらうために。
管理人:
おやすみなさい。
また明日も、ここで会いましょう。
幽霊:
……明日もWi-Fi、よろしくね。
管理人:
そこは忘れないんですね。
幽霊:
忘れたら、私たち幽霊じゃなくて、ただの古い家具になっちゃうもの。
管理人:
それはそれで、困りますね。
老女の幽霊:
そうそう。
家具になるくらいなら、幽霊のままでいいわ。
ナレーション:
屋敷の奥から、笑い声が響いた。
怖いはずの夜。
けれど、その笑い声の中には、もう誰にも聞こえないはずだった人たちの人生が、静かに息づいていた。
忘れられたくない。
誰かに気づいてほしい。
ほんの少しでいいから、自分がここにいたことを覚えていてほしい。
そんな願いを抱えたまま、幽霊たちは今日も屋敷にいる。
そして管理人もまた、その声を聞きながら、古い屋敷の灯りを消す。
管理人:
……おやすみなさい。
ナレーション:
返事の代わりに、庭から小さくボールの音がした。
ぽん。ぽん。ぽん。
その音は、怖いというより、誰かが「また明日」と言っているようだった。
【第四話 『魔女の便利屋』】
【登場人物】
魔女
町の片隅で「魔女の便利屋」を営む女性。
長く生きているが、現代社会には少々疎い。
魔法は一流。ただし、スマートフォンと役所の書類が苦手。
助手
魔女のもとで働く青年。
人間。
魔女の魔法より、現代社会の常識に詳しい。
老人
一人暮らしの男性。妻を亡くして数年になる。
穏やかな性格だが、心の奥にひとつだけ願いを抱えている。
【本編】
ナレーション:
町の外れに、一軒の小さな店がある。
看板には、少し古びた文字で「魔女の便利屋」と書かれている。
便利屋というからには、基本的に何でも引き受ける。
電球の交換、迷子になった猫探し、引っ越しの手伝い、庭の草むしり。
最近では、スマートフォンの設定や、インターネットでの買い物まで頼まれるようになった。
そして、ときどき、人間には少し難しい願いごとまで持ち込まれる。
ただし、店には一つだけ、妙な注意書きが貼られていた。
「蘇生・若返り・時間の巻き戻しは、お断りします」
その下には、さらに小さな文字でこう書かれている。
「過去の恋人を別人にする依頼も、お断りします」
魔女:
そこまで書いておかないと、人間というものは本当に何でも頼んでくるのよ。
魔法が使えると分かった途端、「ついでにこれもお願い」なんて、ずいぶん気軽に言ってくるんだから。
私だって、何百年も生きているとはいえ、便利な魔法の自動販売機じゃないのよ。
助手:
最後の「過去の恋人を別人にする」という依頼は、いったい何があったんですか。
そんなお願いをする人、本当にいるんですか?
魔女:
聞かないほうがいいわ。
世の中には、知らないほうが人生を穏やかに過ごせる話というものがあるの。
それに、魔女にも守秘義務はあるんだから。
助手:
魔女にも守秘義務があるんですね。
魔女:
当然でしょう。
秘密を守れない魔女なんて、ただの近所のおしゃべりよ。
箒に乗って空を飛べたとしても、口が軽ければ信用なんてされないんだから。
ナレーション:
魔女の便利屋は、そんな調子で今日も営業していた。
店内には、古い薬瓶や魔法書に混じって、最新型のスマートフォンが置かれている。
魔女にとっては、魔法の呪文よりもスマートフォンの通知音のほうが、よほど厄介な存在らしい。
そんな店の扉が開いたのは、昼を少し過ぎた頃だった。
老人:
すまない。
ここは……「魔女の便利屋」で間違いないかな。
看板を見て来たんだが、こういう店に入るのは初めてでね。
魔女:
看板にそう書いてあるでしょう。
わざわざ確認するなんて、ずいぶん慎重な人ね。
でも、大丈夫よ。
怖がらなくても取って食べたりはしないわ。
老人:
はは……。
いや、怖がっているわけではないんだが、少し緊張していてね。
魔女:
それなら安心したわ。
こういう店を初めて訪れる人は、たいてい「本当に魔女がいるのか」と半信半疑の顔をするものなの。
あなたはずいぶん素直な顔をしているわ。
老人:
それで……お願いしたいことがあるんだ。
魔女:
もちろん。
ここへ来たからには、遠慮なく話してちょうだい。
屋根の修理でも、猫探しでも、電球の交換でも構わないわ。
人間関係のもつれや、ちょっとした呪いまでなら相談に乗れる。
できることなら、できるだけ手伝うわ。
老人:
……妻に、会いたい。
ナレーション:
店の空気が、ほんの少しだけ静かになった。
魔女は老人の顔をじっと見つめる。
さっきまでの軽い口調を少しだけ引っ込め、その言葉の奥にあるものを確かめるように、ゆっくりと尋ねた。
魔女:
奥さんは……もう亡くなっているのね。
老人:
ああ。
もう、三年になる。
時間が経てば、少しは平気になるものだと思っていたんだが……そう簡単なものでもないらしい。
魔女:
そう。
それなら、その願いは引き受けられないわ。
老人:
……そうか。
魔女:
ごめんなさい。
でも、ここで曖昧な返事をして期待を持たせるわけにはいかないの。
死んだ人を生き返らせることは、魔法でできる、できないという問題じゃない。
残された人が、今ここにある時間まで手放してしまうことがあるから。
老人:
……分かっている。
頭では、ちゃんと分かっているつもりなんだ。
妻が戻ってくるわけじゃない。
そんなことが自然じゃないことも分かっている。
それでもね……もう一度だけ、妻と話したいと思ってしまうんだよ。
ナレーション:
老人はポケットから、一枚の古い写真を取り出した。
そこには、若い頃の夫婦が写っている。
少し照れたように笑う妻と、その隣で肩に力が入りすぎている夫。
二人の距離には、長い年月を共に過ごす前の、初々しい空気が残っていた。
魔女:
ずいぶん緊張した顔ね。
今より昔のほうが、写真を撮るのにも覚悟が必要だったのかしら。
老人:
結婚したばかりだったからね。
妻には、「写真くらい自然に撮れないの」と、さんざん笑われたよ。
でも、あのときはどうしていいのか分からなくてね。
笑おうとすると余計に顔が固くなってしまうんだ。
魔女:
ふふ。
でも、奥さんは楽しそうに笑っているわね。
老人:
妻はよく笑う人だった。
大きな出来事なんてなくても、家の中でよく笑っていたよ。
私が靴下を片方だけ裏返しで履いているとか、冷蔵庫を開けたまま考え事をしているとか。
本当に、そんなくだらないことでね。
魔女:
それは……笑うわね。
しかも、毎回同じことをやっていたんでしょう?
老人:
そうなんだ。
何度言われても直らなくてね。
魔女:
それなら、奥さんは笑う理由に困らなかったでしょうね。
老人:
君まで笑うのかい。
魔女:
ごめんなさい。
でも……少し羨ましいわ。
そんなことで笑い合える相手がいたことが。
ナレーション:
老人は写真を見つめたまま、しばらく黙っていた。
その沈黙には、寂しさだけではなく、遠い日の生活をもう一度手のひらに乗せているような、静かな懐かしさがあった。
老人:
妻が亡くなってから、家が静かになった。
テレビをつけても、音が大きく感じる。
食事を作っても、味が薄いような気がする。
同じ家なのに、誰か一人いなくなるだけで、こんなにも違ってしまうものなんだね。
魔女:
一緒に暮らしていた人がいなくなると、家そのものが変わったように感じることはあるわね。
老人:
それでね。
ある日、妻の机を整理していたら、引き出しの奥から手紙が出てきたんだ。
魔女:
手紙?
老人:
ああ。
封筒には、「あなたへ」とだけ書いてあった。
魔女:
それは……少し気になるわね。
老人:
読めなかったんだ。
魔女:
どうして?
老人:
怖くなったんだよ。
妻が最後に何を思っていたのか知るのが。
もし、私に言いたかったことが書かれていたらと思うと……開けることができなかった。
魔女:
なるほど。
だから、ここへ来たのね。
老人:
妻に会えなくてもいい。
もう一度、声を聞けなくても構わない。
ただ、その手紙に何が書かれているのか知りたい。
妻が最後に私へ何を伝えたかったのか、それだけでも知ることができたらと思ってね。
ナレーション:
老人が差し出した封筒を、魔女は両手で受け取った。
古い紙には、妻の名前が小さく書かれている。
魔女は封筒を見つめ、それから老人へ視線を戻した。
魔女:
これは、魔法を使わなくても読めるわ。
老人:
……そうなのか。
魔女:
ええ。
手紙というものは、死者を呼び戻す道具じゃないの。
生きている人のところへ、残していった言葉を届けるものよ。
だから、この仕事は魔法じゃなくていい。
あなた自身が、その言葉を受け取ればいいの。
ナレーション:
魔女は封筒を静かに開いた。
中には、何枚かの便箋が入っている。
文字は少し震えていたが、一つ一つ丁寧に書かれていた。
魔女:
「あなたは、いつも私のことを心配しすぎます」
老人:
……ああ。
魔女:
「私がいなくなったあとも、ちゃんとご飯を食べてください」
老人:
……あいつらしい。
魔女:
まだあるわ。
「靴下は、できれば左右そろえてください」
助手:
最後まで、そこなんですね。
老人:
はは……。
本当に、あいつらしいよ。
ナレーション:
老人の口から、久しぶりに笑い声がこぼれた。
それは大きな笑いではない。
けれど、妻が生きていた頃の時間が、ほんの一瞬だけ戻ってきたような笑いだった。
魔女:
まだ続きがあるわ。
「それから、私のことを思い出して寂しくなった日は、無理に忘れようとしないでください」
「思い出してくれるなら、それだけで十分です」
ナレーション:
老人は目を閉じた。
頬を伝うものが、涙なのか、それとも笑いの名残なのか、魔女には分からなかった。
ただ、その顔には、店へ入ってきたときとは違う表情が浮かんでいる。
老人:
そうか。
あいつは……分かっていたんだな。
私が、いつまでも妻のことを忘れられないんじゃないかって、きっと心配していたんだ。
魔女:
ええ。
ずいぶん先まで、あなたのことを心配していたみたいね。
亡くなったあとまで、あなたの食事と靴下の心配をするなんて、なかなか忙しい奥さんだわ。
老人:
そうだな。
あいつは、最後までそういう人だった。
魔女:
それなら、もう一度会いたいという願いも、少し形を変えられるかもしれないわ。
老人:
形を?
魔女:
人は、いなくなったあとも、残したものを通して話すことがあるの。
写真だったり、手紙だったり。
料理の味だったり、口癖だったり。
ふとした瞬間に思い出す仕草や、何気ない生活の癖だってそう。
姿はなくても、その人がいた時間まで消えてしまうわけじゃないもの。
老人:
……会えなくても、話せるんだな。
魔女:
ええ。
少なくとも、あなたの中には、まだ奥さんとの会話が残っているでしょう。
「また靴下が裏返しよ」とか、「ちゃんとご飯を食べて」とか。
そういう言葉は、誰かが無理に消そうとしなくてもいいのよ。
ナレーション:
老人は手紙を丁寧に折りたたみ、胸の内ポケットへしまった。
老人:
ありがとう。
これで……少し帰れそうな気がする。
魔女:
お代は結構よ。
老人:
いいのかい?
ここへ来るだけでも、ずいぶん助けてもらった気がするんだが。
魔女:
ええ。
今日は、もう十分に仕事をしたもの。
老人:
何をしたんだい?
魔女:
あなたを奥さんに会わせる代わりに、奥さんの言葉に会わせたの。
老人:
……そうか。
魔女:
それで十分よ。
あとは、あなたがその言葉と一緒に帰ればいいわ。
ナレーション:
老人は深く頭を下げ、店を出ていった。
扉が閉まると、店の中に静かな時間が戻ってくる。
助手:
魔女さん。
魔女:
何?
助手:
あれ、本当は魔法で手紙の内容を読み取ったんじゃないですよね。
魔女:
当たり前でしょう。
助手:
じゃあ、どうして奥さんの気持ちが分かったんですか。
魔女:
分からないわよ。
助手:
え?
魔女:
手紙に書いてあったことを読んだだけ。
その先にどんな意味を見つけるのかは、あの人が決めることよ。
魔女だからって、人の心まで勝手に決めていいわけじゃないでしょう。
助手:
なるほど……。
そういうところは、魔女というより普通の人みたいですね。
魔女:
失礼ね。
普通の人より長く生きている分、少しくらい人間のことを分かっていてもいいでしょう。
助手:
でも、さっきの老人、少し顔が軽くなっていました。
魔女:
そうね。
助手:
魔法を使わなくても、人を救えることってあるんですね。
魔女:
救ったなんて大げさなことじゃないわ。
あの人が自分で持っていたものを、見つけやすくしてあげただけよ。
人は、ときどき大切なものほど近くに置きすぎて、自分では見えなくなるものだから。
ナレーション:
魔女はそう言って、店先の看板を裏返した。
「営業中」が「本日終了」に変わる。
助手:
今日は早じまいですか?
魔女:
少し疲れたのよ。
こういう仕事は、見た目より魔力を使うんだから。
助手:
でも、今日はほとんど魔法を使っていませんよね。
魔女:
魔法を使わない魔女が疲れないと思ったら大間違いよ。
人の話を聞くというのは、それだけで結構な仕事なの。
助手:
それなら、夕飯はどうします?
魔女:
あなたが作って。
助手:
便利屋の店主が、助手に家事を依頼するんですか?
魔女:
何を言っているの。
便利屋なんだから、便利な人を使って何が悪いの。
助手:
ずいぶん都合のいい便利屋ですね。
魔女:
今さら気づいたの?
あなたも随分と長く働いているのに。
ナレーション:
店の奥から、鍋の蓋が小さく鳴った。
魔女はそちらへ顔を向け、ふと思い出したように口を開く。
魔女:
あ、そうだ。
今日はシチューにしましょう。
助手:
急に家庭的ですね。
さっきまで何百年も生きた魔女だったとは思えませんよ。
魔女:
失礼ね。
魔女だってシチューくらい食べるわ。
むしろ長生きしている分、家庭料理の大切さはよく知っているのよ。
助手:
じゃあ、二人分ですね。
魔女:
三人分。
助手:
……誰か来るんですか?
魔女:
知らないわ。
助手:
知らないんですか?
魔女:
ええ。
でも、余ったら明日の分にすればいいでしょう。
誰かがふらっと訪ねてくるかもしれないし、来なくても明日食べればいい。
料理なんて、そういうくらいでいいのよ。
ナレーション:
魔女の便利屋には、今日も不思議な依頼が舞い込む。
猫を探してほしい。
電球を替えてほしい。
スマートフォンの使い方を教えてほしい。
庭の雑草を何とかしてほしい。
そして、ときには、もう会えない人に会いたいという願いまで。
魔法で何でも叶えられるわけではない。
過去を取り戻すことも、失った時間を巻き戻すこともできない。
それでも、叶えられない願いのそばに座り、残されたものを一緒に見つめることならできる。
言葉を探し、写真を眺め、思い出の中に残された小さな笑い声を拾い上げる。
それもきっと、魔女の便利屋にしかできない仕事なのだろう。
翌朝。
店の前には、昨日の老人が置いていった小さな紙袋があった。
中には、左右ばらばらの靴下が二足。
そして、一枚のメモ。
「妻に叱られないよう、そろえておいてください」
魔女:
……最後まで人使いが荒いわね。
助手:
誰の奥さんですか。
そもそも、どうして僕たちに靴下をそろえさせるんです?
魔女:
知らないわよ。
でも……こういう依頼なら、引き受けてもいいかもしれないわね。
助手:
魔女さん、結構気に入ってるでしょう。
魔女:
何を?
助手:
こういう、ちょっとくだらなくて、でも温かい依頼ですよ。
魔女:
……さあね。
ナレーション:
魔女は小さく笑いながら、靴下を一足ずつ並べていった。
左右を確かめ、きちんとそろえる。
たったそれだけの作業なのに、なぜか胸の奥が少しだけ温かくなる。
町の片隅の小さな店では、今日も誰かの困りごとが待っている。
大きな魔法でなくてもいい。
失くしたものを、元の形のまま取り戻せなくてもいい。
残された人が、もう一度だけ誰かの言葉に触れ、ほんの少し前を向けるなら。
それだけで、十分に不思議な仕事なのだから。
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