KKD(経験・勘・度胸)をあなどるなかれ
先日、問題解決研修に登壇してきた。このテーマは何度もやってきている。
ただ、今回、初めて感じ、実際クロージングで話したことがあって、大事なことかもと思うので、ここに記録する。
受講生のみなさんと問題解決のプロセスについて議論を重ねるなかで、あらためて深く考えさせられた論点。「KKD(経験・勘・度胸)」と「生成AI」の関係性について、である。
1.KKDは本当に「悪」なのか
ビジネスや論理的思考の文脈において、KKD(経験・勘・度胸)は時に「客観性に欠ける」「再現性がない」として、悪者のように扱われがちだ。「勘に頼るな、データとロジックで語れ」と教え込まれてきた人も多いのではないだろうか。
だが、現場で泥臭く課題に向き合ってきた人が持つ「なんとなく嫌な予感がする」「ここが本当のボトルネックな気がする」という直感は、決して単なる思い込みではない。過去の膨大な成功と失敗の体験から抽出された、身体感覚に近い暗黙知の結晶なのだ。
問題解決研修のワークを通じて感じたのは、このKKDを完全に排除してしまうと、どこか冷めていて、現場のリアルから浮いた解決案しか出てこなくなるということだった。
2.生成AI時代に問われる「筋の良い仮説」
一方で、最近は生成AIの活用が急速に広まっている。課題の整理やフレームワークへの当てはめ、ロジックツリーの作成などは、AIを使えば一瞬で完了する。
しかし、AIに「この問題の解決策を考えて」と丸投げして出てくる回答に対して、どこか「浅い」「どこかで見たような一般論だな」と不満を感じたことはないだろうか。
AIは世の中の平均的な回答を出すのは得意だが、目の前の現場に固有の「生の課題」を勝手に見抜いてはくれない。
大切なこと。(ここ、アンダーライン!笑)
『AI時代において重要なのは、分析のスピードではなく、人間の側が「筋の良い仮説」をいかに提示できるか』である。
ここで活きてくるのが、他でもない個人のKKDだ。長年の経験と勘から生まれる「ここが怪しいのではないか」という仮説があって初めて、分析や議論のスタートラインに立つことができる。
3.経験と勘を、AIのプロンプトに変える
では、KKDと生成AIをどう掛け合わせればいいのか。
答えはシンプルで、自分の「経験と勘」を捨てるのではなく、それをそのままAIに対する仮説としてぶつけてみることだ。
たとえば、「自分の経験上、このプロセスの裏には担当者の心理的ハードルがある気がしている。この仮説を検証するための問いや観察視点を挙げてほしい」とAIに投げてみる。
自分の勘をプロンプト(指示文)に変換することで、AIは単なる自動回答機から、自分の思考を深めてくれる「最高の壁打ち相手(相棒)」へと変わる。
自分の直感をロジックで補強し、AIを使って思考の解像度をぐっと高めていく。これこそが、生成AI時代の問題解決のリアルな姿なのではないだろうか。
あなたの内側にある「経験と勘」は、AI時代においても決して古くならない、むしろ最大の武器になるはずだ。
あなたは最近、自分の「勘」を仕事で活かせていますか?
むすびにかえて
研修を終えて受講生のみなさんの表情を見ながら、自分の頭の中もスッキリと整理された感覚があった。
AIを使いこなすということは、自分の人間らしさやこれまでの経験を否定することではない。むしろ、自分のKKDに誇りを持って、AIと対話していくことなんだろうな、と思う。特に、新卒や若手というより、そうしたKKDという個人資産を持つ管理職以上。プライベートでいえば、ミドルエイジ。
AIと対抗するのではなく、AIを活用しながら、自身の知見と掛け合わせて、若手には出せない価値をちゃんと創っていきましょう!
以上、ミドルエイジを励ますKKDへの礼賛でした。
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追伸:Spotifyのポッドキャスト番組で、しゃべりました
本日の内容は、Spotifyで配信している私のポッドキャスト番組「B面 さて、これからどうしましょ。」でもしゃべっています。(正確には、ポッドキャストで話した内容を、すこしすっきりさせてこのnote記事にしました)
読むより聴くほうがラク、というかたも、そうでないかたも、ぜひどうぞ。
KKD(経験・勘・度胸)こそ価値がある?#6
