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愛するとは、見ないことなのか|谷崎潤一郎『春琴抄』読書ノート

はじめに

谷崎潤一郎の『春琴抄』は、盲目の琴の師匠・春琴と、彼女に生涯仕えた佐助との関係を描いた小説です。物語の終盤、顔に傷を負った春琴を見まいとして、佐助は自らの目を突きます。この場面は「究極の愛」として語られることが多く、たしかに初めて読んだときには、その凄絶な献身に圧倒されます。

けれども、読み返すほどに、これはただ美しい愛の物語ではないと思えてきます。佐助は、傷ついた春琴を受け入れたのでしょうか。それとも、変わってしまった春琴を見ることを拒み、記憶の中の美しい姿だけを守ろうとしたのでしょうか。愛しているから見ないのか、愛しているつもりで現実から目をそらしたのか。その境目がはっきりしないところに、『春琴抄』の美しさと怖さがあります。


作者・谷崎潤一郎について

谷崎潤一郎は、1886年に東京で生まれ、1965年に亡くなった小説家です。初期から一貫して、女性の美への崇拝、支配する女性と服従する男性、官能と残酷さが隣り合う関係を描き続けました。代表作には『刺青』『痴人の愛』『細雪』『卍』『鍵』などがあります。

1923年の関東大震災後、谷崎は関西へ移り住みます。そこで関西のことばや風土、古典芸能、日本の伝統的な美意識に強くひかれていきました。『春琴抄』は、そうした谷崎の「古典回帰」と呼ばれる時期に書かれた作品です。ただし、単純に昔を懐かしんだ小説ではありません。古い伝記を読むような文体を使いながら、人が他人をどのように見つめ、どのように自分の都合のよい像へ作り替えてしまうのかという、きわめて近代的な問題も描いています。

初出

『春琴抄』は、1933年6月に雑誌『中央公論』へ発表されました。同じ頃、谷崎は日本家屋の薄暗さや、光に照らし出されすぎない美について考えた随筆『陰翳礼讃』も執筆しています。『春琴抄』と『陰翳礼讃』は、小説と随筆という違いはありますが、すべてを明るみに出さず、見えにくいものの中へ美を感じるという点で、深く響き合っています。

あらすじ

大阪・道修町の裕福な薬種商、鵙屋の娘として生まれた春琴は、幼い頃に視力を失います。その後、琴と三味線の稽古に励み、美貌と優れた才能を持つ師匠となります。一方、奉公人の佐助は、少年時代から春琴の手引きを務め、やがて弟子となり、身の回りの世話を一手に引き受けるようになります。

二人は男女の関係を結びながらも、公には夫婦にならず、あくまで師匠と弟子、主人と奉公人という形を崩しません。ある夜、春琴は何者かに熱湯を浴びせられ、顔に大きな傷を負います。春琴が自分の傷を佐助に見られることを恐れていると悟った佐助は、針で自らの目を突き、視力を失います。それ以後、佐助の心の中には、傷を負う前の美しい春琴だけが生き続けることになります。

主な登場人物と相関関係

春琴は、美しく、音曲の才能に恵まれた女性です。しかし性格は誇り高く、気難しく、弟子に対して容赦のない厳しさを見せます。佐助を深く必要としていながら、対等な伴侶として扱うことはなく、最後まで師匠として君臨し続けます。

佐助は、春琴の手引き役であり、弟子であり、世話役であり、実質的には伴侶でもあります。彼は春琴から厳しく扱われても、それを単なる苦痛とは受け止めません。春琴に仕え、叱られ、そばに置かれることそのものが、彼にとっては幸福なのです。

二人の関係には、恋愛、主従、師弟、崇拝、依存が絡み合っています。春琴が一方的に佐助を支配しているように見えて、実際には春琴も佐助の献身なしには生活できません。強い者と弱い者という単純な関係ではなく、お互いが決められた役割を守ることで成立する、閉ざされた共同体のようにも見えます。

また、この物語を組み立てている「私」という語り手も重要です。語り手は二人の墓を訪ね、伝記や写真、周囲の証言を集めながら、春琴と佐助の人生をたどります。つまり、私たちが読んでいるのは、春琴本人の告白でも、佐助本人の回想でもありません。いくつもの記録と伝聞を通して再構成された、どこか不確かな物語なのです。

執筆時の時代背景

作品が発表された1933年頃の大阪は、近代的な大都市として急速に発展していました。地下鉄や百貨店、映画館、カフェー、ラジオなどが人々の生活へ入り込み、都市の風景も大きく変わっていた時代です。

ところが『春琴抄』が描くのは、江戸末期から明治にかけての大阪の商家と、琴や三味線を中心とした古風な世界です。近代化のただ中にいた谷崎が、すでに失われつつあった大阪の暮らしを、少し距離を置いて描いたことになります。

ただし、この作品には懐古趣味だけでは片づけられないものがあります。写真、伝記、証言といった近代的な記録の方法が使われているにもかかわらず、春琴の本当の姿は最後までつかめません。資料が増えれば真実に近づけるはずなのに、むしろ謎が深まっていく。その感覚には、記録や合理性だけでは人間を理解できないという、谷崎の冷ややかな視線が感じられます。

他の谷崎作品との比較

谷崎の初期作品『刺青』では、女性の美は人を圧倒し、男性をひれ伏させる力として描かれます。『痴人の愛』でも、譲治は自分の理想に合わせてナオミを育てようとしながら、最後には彼女の支配を受け入れていきます。美しい女性に男性が服従するという構図は、『春琴抄』にもはっきり受け継がれています。

ただし、『痴人の愛』には近代都市の軽さや滑稽さがありますが、『春琴抄』の服従はもっと静かで、儀式的です。佐助は春琴に仕えることを恥じるどころか、そこに自分の存在理由を見いだします。服従は彼にとって屈辱ではなく、信仰に近いものへ変わっています。

また、『陰翳礼讃』と比べると、『春琴抄』では「見えないこと」がそのまま美の条件になっています。明るい場所で細部まで確認するのではなく、薄暗さの中で想像を働かせる。佐助は視力を失うことで、現実の春琴ではなく、自分の心にある春琴を永遠のものにしました。谷崎が好んだ陰影の美学が、ここでは人間関係そのものにまで及んでいるように思います。

主要テーマ

1. 愛と服従
佐助の献身は、外から見れば異常なほど徹底しています。しかし本人にとっては、それが最も自然な生き方です。春琴に仕え続けることで、佐助は幸福を得ています。春琴もまた、佐助の存在によって自分の誇りと生活を保っています。二人の関係は不平等ですが、その不平等を二人とも必要としているのです。

2. 美と時間
人の容貌は変わり、老い、傷つきます。佐助が自分の目を失ったのは、春琴の傷を見ないためでしたが、同時に、美しい春琴を時間の外へ置くためでもありました。現実を見なければ、春琴はいつまでも傷つく前の姿でいられます。

3.見ることと見ないこと
普通、愛するとは相手をよく見ることだと思われています。けれども佐助は、愛するがゆえに見ないことを選びました。その行為は春琴の尊厳を守る優しさにも見えますし、変わってしまった彼女を受け入れない残酷さにも見えます。この二つをどちらか一方に決めきれないところが、この物語の核心ではないでしょうか。

隠されたテーマ

私には、『春琴抄』には「春琴という人物を作っているのは誰か」という、もう一つのテーマが隠れているように思えます。

読者は、生身の春琴に直接会うことができません。残された写真はぼんやりとしており、彼女の姿や性格は、佐助の記憶、伝記、周囲の証言、語り手の推測によって少しずつ形づくられます。しかも、語る人によって春琴の印象は変わります。気位の高い残酷な女性にも見えれば、傷つきやすい誇りを守ろうとした女性にも見えます。

佐助もまた、現実の春琴ではなく、自分の心の中で完成させた春琴を愛していたのかもしれません。そして読者も、断片的な情報をつなぎ合わせ、自分なりの春琴像を作ります。つまりこの小説では、佐助だけでなく、語り手も読者も、春琴を「見る側」に立っています。

だからこそ、春琴の顔に熱湯をかけた犯人が誰なのかも、決定的には明かされません。犯人を当てることより、真実らしく語られた物語であっても、私たちは本当のことを知ることができない。その不確かさの方が重要なのだと思います。

読書ノート的感想

初めて読んだとき、佐助が自分の目を突く場面には、圧倒的な愛の完成を感じました。ここまで誰かを思うことができるのかと、息をのむような気持ちになったのです。

けれども、読み返すと、その感動の中へ少しずつ怖さが混じってきます。佐助は春琴のために目を失ったのでしょうか。それとも、自分が信じる美しい春琴を守るために、現実を見る力を捨てたのでしょうか。もし後者なら、それは献身であると同時に、かなり身勝手な愛でもあります。

それでも、二人を現代の価値観だけで裁くことはできません。春琴は佐助を必要とし、佐助は春琴に仕えることを望みました。一般的な夫婦の形を選ばず、最後まで師匠と弟子であり続けたことが、二人にとって最も自然な結びつきだったのでしょう。

私は、『春琴抄』の魅力は、佐助の行為を純愛とも狂気とも決めつけないところにあると思います。美しいと思った次の瞬間に怖くなり、怖いと思ったあとで、やはり切実な愛だったのかもしれないと考え直す。読むたびに、作品の見え方が少しずつ変わります。

朗読者としての私の視点

朗読者として読むと、『春琴抄』は、感情を強く出せばよい作品ではないと感じます。文章は長く、伝記、証言、語り手の推測、人物の言葉が、境目を曖昧にしながら流れていきます。誰の言葉なのかを声色で大きく分けるより、呼吸や間の置き方で静かに示した方が、この作品の陰影を残せるように思います。

春琴の厳しさも、ただ冷たく読むだけでは平板になります。その奥にある誇りや、傷つくことへの恐れまで感じながら読みたい。佐助も、弱々しい人物としてではなく、自分の意志で春琴に仕えている人物として捉えたいと思います。

何より、作品の中に残された「見えなさ」を、朗読で説明しすぎないことが大切です。すべてをわかりやすく届けるより、聴き手の中に少し曖昧な像を残す。その余白が、『春琴抄』にはよく似合います。

おわりに

『春琴抄』は、佐助の自己犠牲をたたえるだけの純愛物語ではありません。美を失うことへの恐れ、見る者と見られる者の力関係、愛する人を自分の理想の中へ閉じ込める危うさ、そして記憶と言葉が一人の人物像を作っていく過程までが描かれています。

佐助は目を閉じることで、変わらない春琴を手に入れました。しかし私たちは、その行為を美しいと感じながらも、「それは本当に春琴その人を愛したことになるのだろうか」と問わずにはいられません。

愛するとは、相手を見つめ続けることなのか。それとも、ときには見ないことで守ることなのか。答えが出ないまま、二人のいる暗闇だけが静かに残る。その余韻こそが、『春琴抄』を何度も読み返したくなる理由なのだと思います。

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