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優しさが、少しずつ自分を削っていたことに気づくまで

優しいと言われることが多かった。
人の話を聞くことが多いから、
その人たちから自然とそう言われるようになった。

ただ、私は自分のことを
「優しい人間だ」と思ったことは、あまりない。
誰かを導こうとしていたわけでも、
正しいことを教えようとしていたわけでもなくて、
ただ、その人の話を聞いて、
その人の心を受け入れていただけだった。

空気を読むことも、特別なことだとは思っていなかった。
厳しいことを言うよりも、
相手が自分で自分の道を見つけられるように、
私はただ横にいる。
それが、私なりの距離感だった。

だから、それが苦しいとは思っていなかった。
少なくとも、最初のうちは。

でも今振り返ると、
「優しいと思ってもらいたい」という気持ちが、
いつの間にかどこかにあったのかもしれない。
無理をしている自覚はなかったけれど、
少しずつ、自分の感覚を後回しにしていたように思う。



はっきりしたきっかけがあったわけではない。
ただ、なぜか疲れていた。

誰かに責められているわけでもないのに、
大きなトラブルがあったわけでもないのに、
気づくと、心が消耗している感覚だけが残っていた。

「私が我慢すればいい」という言葉が
口癖だったわけではない。
でも、その考え方は、
いつも思考の根底にあった気がする。

私が受け流せば、波風は立たない。
私が黙っていれば、その場は丸く収まる。

そんなふうに考える自分がいたからこそ、
自己主張できる人を、
少しだけ羨ましいと思ったこともあった。

私は、受け流すことができる人間だと思っていた。
でも実際には、
ちゃんとキャパシティがあって、
それを超えれば、ちゃんと傷つく人間だった。

その当たり前の事実に、
ずいぶんあとになってから気づいた。



優しさそのものが、悪いわけじゃない。
誰かの話を聞くことも、
寄り添うことも、
大切な在り方だと思っている。

でも、自分を後回しにする優しさがあることも、
ようやく認められるようになった。

相手を守るつもりで選んでいた沈黙が、
いつの間にか、
自分を削る形になっていたのかもしれない。

今、あらためて自分に問いかけてみる。

私は今、
誰を守ろうとしているんだろう。

この問いは、
すぐに答えが出なくてもいい。
ただ、立ち止まるための場所として、
ここに置いておきたいと思っている。

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