プログラムは、“正解を出す道具”じゃない
先生をやっていると、
正解を出す場面が、どうしても多くなります。
この説明で合っているか。
この指導でよかったか。
この判断は間違っていないか。
毎日が、
小さな正解探しの連続です。
だからなのか、
「正解がない」と言われると、
少し落ち着かなくなることがあります。
間違えたらどうしよう。
変なことをしたらどうしよう。
そんな気持ちが、
先に立ってしまう。
でも、プログラミングの世界は、
どうも様子が違うようです。
最初から、
うまくいかないのが前提。
思った通りに動かない。
理由が分からない。
直したら、別のところが動かなくなる。
それでも、
「不正解」にはなりません。
あるのは、
「今は、こうなっている」という事実だけ。
自分が悪い、ではなくて、
ここが違っていたみたいだな、
という距離感。
この感覚、
少し救われるところがあります。
授業で失敗すると、
どうしても自分を責めがちです。
もっと準備すればよかった。
あのとき、別の言い方があったかも。
でも、プログラムの前では、
そういう気持ちになりにくい。
動かないなら、
「あ、ここだな」で終わる。
感情が、
必要以上に入り込まない。
正解を出さなくていい時間。
評価されない時間。
うまくいかなくても、
次に持ち越せる時間。
それは、
先生にとって、
思っている以上に大事なものかもしれません。
プログラミングは、
答えを当てる場所ではなくて、
様子を見る場所。
今日できなくても、
それで終わりにならない場所。
その感じが、
ちょうどいい距離なのだと思います。
次回は、
「忙しい先生ほど、ゆっくりハマれる」
そんな話を書きます。
時間がない人のための、
時間の話です。
#先生とプログラムのちょうどいい距離 #ナマケモノ先生 #教員エッセイ #放課後の教室 #正解を出さない #うまくいかなくていい #自分を責めない #独り言のような文章 #がんばらない働き方 #ゆっくり考える #プログラミングの話だけど #プログラミングの話じゃない #ChatGPT #AI
