大菩薩峠紀行 16 猿橋 岩殿山 笹子隧道
長編小説『大菩薩峠』の聖地巡礼を楽しむ本稿、前回は鳥沢宿(大月市)にたどり着いた。国道20号線の両側に家並みが続く鳥沢に、宿場風情を心ゆくまで味わったものである。
鳥沢といえば、小説に「鳥沢の粂」なる親分がほんの端役で登場する。幕末に実在した博徒らしい。がんりきの百蔵が、峠道でお角さんに悪さをしているのを、鳥沢の粂に捕まえられ、その懲らしめとして、奇橋・猿橋からがんりきが吊り下げられた、というエピソードに登場する。このときのがんりきの哀れな様子は次のように描写されている。
「欄干に細引が結えつけてあって、それから釣忍(つりしのぶ)を吊したように何か吊してあるようです。何が吊してあるのかとよく見定めると人間が一人、四ツ手に絡んで高さ十七間の猿橋の真ん中から吊り下げてありました。」
釣忍とは伝統園芸、忍草を吊るして鑑賞する夏の風物詩。四ツ手に絡むとは四手網のような形に、ということ。つまりは手足をひとつに括られてしまっているのだろう。
高さ十七間とあるから30mほどか。実際、猿橋に立って下をのぞき込むと、水面までそのくらいの高さがありそうだ。その独特な構造の木橋が、桂川の両岸に屹立する崖に架かる光景だけでも迫力がある。駒井能登守一行に引き上げられ、息も絶えんばかりに弱っていたにもかかわらず、与力らからの尋問に「どうか打捨(うっちゃ)ってお置きなすって下さいまし」とシラを切る。宿所へ連行されたがんりき、自力歩行もままならぬ様子、ところが、その晩 宿に忍び込んだ七兵衛に助け出されてしまう。その行方を追うこともせず、駒井能登守たちは甲府への旅を続ける。大月で岩殿山を見上げ、かつて繰り広げられた戦について、武田、上杉、織田諸将の知略、武略について語らい合う。そうでなくても岩殿山の巨大な岩肌には、筆者もいつも目を奪われる、中央本線の車窓から眺めるこの山にはパワーが宿る。
やがて街道は笹子の山越えに向かい上り坂となる。峠越えの手前最後の宿が黒野田宿。今となっては閑散としたのどかな集落でそれと知らなければ素通りしてしまいそうである。かつては峠越えに備えて多くの旅人がここに一泊をする賑やかな宿場であったろう。駒井一行の留まる本陣にひょんなことからお絹 お松 米友が同宿となる。鶴川で槍の妙技を見物した与力たちは、しきりに米友に武芸談を語らせからかいながら盛り上がる。お松は勤番支配たる駒井能登守に、獄中の兵馬の助命を嘆願する。そうこうするうちに、なんとお絹ががんりきに誘拐されるという椿事が出来。翌朝にかけて笹子峠の山狩り、と小説は展開するのだが、筆者は静かに笹子峠に向かうことにしよう。
ここは道中一番の難所と聞く。先に、鶴川-野田尻-犬目-鳥沢の道行きでアゴを出してしまった筆者である、軟弱だがマイカーを使おうか。国道20号線をそれるとじきに上り坂、車線減少、急カーブの連続、つまり山道に迷い込んだ思いにとらわれる。鬱蒼とした杉林、陽射しも遮られて薄暗い山中を右に左にくねって進む。ときおり紫地に黄色く「矢立ての杉」と染められた幟が現われる、地元ではとても大切にされている伝説の杉である。戦勝を願って武士が巨杉に向かって矢を射立てた、とは何かで得た知識だが、なるほど杉良太郎氏が自ら作詞作曲した「矢立ての杉」という楽曲が、さらに地元に力を与えているのだな、いい話だ、県道沿いに設置された大きな説明板でそれを知る。
上りついたのは「笹子隧道」であった。1938年開通、長さ239.0m、巾3.25mの一車線のトンネルである。登録有形文化財に指定されたことを示す現地の説明板には「坑門の左右にある洋風建築的な二本並びの柱形装飾が大変特徴的であります」とある。確かに、この難所に近代的トンネルを穿った当時の人々の気概が伝わってくる坑口の構えだ。これを見ただけでも達成感に打たれる。
さて、駒井能登守一行の道行きに付き合いずいぶんと紙数を費やしてしまった。あらすじを紹介するのでなく、単に聖地巡礼を楽しむ本稿、場面を先に進めねばならぬ。このあと新たな重要人物が登場するのだ。名をお銀様という。有野村の馬大尽、藤原家の一人娘だという。この特異な新たな主役によって小説の流れはさらに波立って行くのであった。
